最終戦
最後の勝負が始まった。
ガクセイが3日をかけて見つけてきたダイスは、六の右上の角が欠けていたためか、大きい数字があまり出ずに展開が遅かった。
俺が、三。野口が二を出して始まったゲームは、のろのろと進んだ。たった二人での双六だというのに、延々と進まない。四を出して、「五戻る」。二を出して「一回休み」。二人揃って振り出しに戻った時、俺達は顔を見合わせて苦笑した。まるで最後の決着がつくのを、何者かが惜しんでいるかのようだった。
「もう止めておこうか。缶詰を半分ずつ食べて、それでお仕舞いだ。後は知ったことじゃない」
野口は何も言わずにダイスを振った。そういう反応をするだろうと分かりきっていた俺は、続けてダイスを振った。珍しく六が出て、さらに「三進む」のマスに止まった。野口の目がきゅっと細くなり、ダイスを握り締める手が強くなった。
それからも一進一退が続き、「振り出しに戻る」のマスも通り過ぎてゲームは佳境に入った。七マスほどリードしている俺が三を出して「十マス戻る」のマスに止まると、野口がにやりと笑った。俺は、背中に冷たい物を感じた。二回前俺とカチョウが最下位を争ったときも、俺はこのマスに止まってしまった。
「これで逆転……っと。」
「すぐ追い越すさ。」
野口が五、俺が二。何かに見放されたように、俺はだんだんと差をつけられていく。頭を半分吹き飛ばされたカチョウの顔が不意に脳裏をよぎった。
「悪運も尽きたかな。」
俺は、他人事のように呟いた。最後の結果が死であれ、少し後の死であろうとも、受け入れる覚悟はできていた。ただ、この男に負けるという事実だけは癪だったが。俺は、ずっとポケットに入れていた銃弾を取り出すと、野口に投げ渡した。野口はそれを受け取ると、粛として銃に弾を込め、二人の間に置いた。長かったこのゲームも、ようやく終わりに近づいていた。
「まだ分かりませんよ。」
「ああ、そうだな。」
野口の目は、三。続いて俺が一。野口が四で「二つ進む」。俺の次の数字は二、だった。体の中に水分なんて残っていないはずなのに、じわじわと鼻の頭に汗が浮かんでくるのを感じる。野口が、五。次に六を出せば、野口は上がれる位置に付いた。俺はそのはるか後ろ、十三マス後方だった。ゴールちょうどに止まらなければ上がりにならないとはいえ、この差は致命的といえた。
ラジオから流れる中国語も、俺の神経がそうさせるのか次第に断末魔に近いものに変わっていく…日本語らしき言葉がその奥で聞こえるのは気のせいだろうか。
野口が銃を引き寄せる。この最後の局面で、缶詰だけではなく、命までも余計に賭けてしまう所が、俺たちが今までに生き残ることができた理由なのかもしれない。が、それも俺にとっては終わりに近づいている。勝利を目前にした野口にも何か意味があるものか知れなかった。缶詰一個で、どのくらい人は生き延びることができるものだろうか。まったく、ナオミの言うとおりだ。こんな遊びをしているより、もう少し脱出方法をもう一度考察してみるべきかもしれなかった。後悔するだけの力も、俺にはもう残されていない。
力なく振ったダイスは、三を示した。その歩みは、油断しなかった兎を追い抜こうと努力する亀のようだ。俺は、次の野口の一投が最後になるであろう事を、長年のギャンブラーとしての経験から感じていた。
野口が転がしたダイスは、あっさりと止まり、六つの黒い点を見せた。俺は、全身の力が抜けるのを感じた。
俺は、負けた。
思ったよりも恐怖はなく、ただ最後の缶詰を味わうことができないのが残念だった。俺は、そのまま床に仰向けに倒れると、なぜかすがすがしささえ感じた。
「最後の勝負も終わったな。もう動きたくない。悪いがここで始末してくれないか。」
「ええ……」
重苦しい沈黙が、ろうそくの薄い明かりを隔てて二人の間に流れる。野口はじっと動こうともせずに、銃をじっと見つめていた。
遠くから、先に逝った連中が俺を差し招く声が聞こえてくるのは気のせいだろうか。
「最後の相手があなたで良かったです」
「そうか。」
銃声が、鳴った。