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第七戦

七回目の勝負の中盤だった。

 今回のゲームは混戦で、ほんのわずかに俺がリードしていた。その後を三人が入り乱れて追う形となっている。ろうそくの明かりに下から照らされている三人の顔は、痩せこけてさながら幽鬼のようだが、それでも、ダイスの一投一投には強烈な気迫が満ちている。日に一度の食事の時以外にはほとんど何もせず、地下に眠る連中との相違はただ息をしていることだけ、と言った有様の連中だったが、今日この日のために一週間分の気力を貯めているようにも思えた。それで得られるものといえば、一週間、余計に地獄で過ごすための権利と、誰かを地獄に突き落とす権利だ。最も、死ぬことこそが本当は救いなのかもしれないが。少なくとも、命長らえることが、生存に繋がるとは、俺は考えていなかった。

「指定した相手を五マス戻す」というマス目に俺が止まった時、ナオミが重苦しい沈黙を破って、精一杯の甘い声をだした。

「私を選ばなかったら、なんでもしてあげる……」

 その媚びた口調で、かつて水商売をしていたころに幾人ものの男に命以外の物なら何でも貢がせた女だ。百日以上も風呂に入らず、化粧一つしていない顔。その痩せこけた顔の奥に、俺は、どういうわけか原始的なほどの色気を感じていた。

 ちらりとグンジンの方に目をやると、目が飛び出さんばかりに俺をにらんでいる。百日前なら、臆病者の俺を脅しつけることができそうな目線だ。、かつて、この地下で、銃を持を手に暴君として君臨したヤクザを絞め殺した腕の筋肉もしぼみ、枯れ木のようになっている。生殺与奪、とまではいかないが、この男への、ささやかな権力の行使は俺の征服心を満たしてくれそうだった。

「知っていますか?一回のSEXで人間は二百キロカロリー以上を消費するそうですよ。缶詰一個分です。寿命が縮まりますよ。もし彼女の申し出に心が動かされたのなら、それは種を残そうとする本能の働きです。」

 声のトーンだけは相変わらず衰えさせること無く、ガクセイが言う。それも微笑みながらであって、こんな状況の中明るい声を出せるガクセイのことを、俺は、初めから気に入っていなかった。どこかの有名大学の学生だったということもますます気に入らない。

「ガクセイ。お前が戻れ。」

 反射的に俺が言うと、ガクセイは薄い頬をプッと膨らませて、帽子の形の駒をサッと五マス戻した。これでガクセイは一番後ろの位置になってしまった。

「せっかく忠告してあげたのに。後悔させてあげますよ。」

 その口調は、部室でゲームをあたりまえに楽しむ学生そのもので、俺はかすかなおかしみと、なにか訳の分からぬ恐ろしさを感じていた。こいつはビリになった者を撃ち殺す時にも片頬に笑みを浮かべているのではあるまいか。

「あんたが生き残ったらなんでもしてあげる、ということだけどね。」

「ふん。俺を選ばなかったのは無難な選択だ。」

 むじろ、二人の反応こそが俺には居心地がよいものだった。

 ガクセイの宣言もむなしく、俺は順当に駒を進めて一足先に上がった。

「ちっ」

 舌打ちと共にナオミが俺に銃を渡す。さらにガクセイから渡された一つの銃弾を、俺はマガジンに装填した。一番に上がったものがとりあえず銃を持ち、ゲーム後半から終盤にかけて不正ないし逃亡がないように審判をするのである。一発だけしか弾が渡されないのは、全員を撃ち殺して生き残りを図ろうとするのを防ぐためである。黒く重い鉄の塊は、握力を失った俺の手に余った。

「四……『もう一回サイコロを振る』、ね。」

 ナオミは枝のように細い指でダイスをつまみ上げ、周囲のマスを見つめる。三マス先には、「六進む」のマスがあり、大幅にゴールに近づくことができるが、その一つ前のマスには、「振り出しに戻る」の赤い文字が記されている。その二つのマスの上にはそれぞれ天使と悪魔の絵が踊っていて、この双六の製作者の底意地の悪さが感じられた。過去、この悪魔は三人の命を結果的に奪っていて、このゲームにおける最大の鬼門となっていた。

 ナオミはサイコロを指の上もてあそぶように転がしていた。その目つきには自信がこぼれそうなほどに溢れている。ナオミは後の二人に一歩先んじていて、ここさえ突破すれば、よほどのことが無い限り二人より先にゴールにたどり着くことができた。

 俺は、このときほど運命の神の残酷さを祝福したことはない。

「あっ」

 ぽろっ、とナオミの手からダイスが転がり落ちた。それは計った行動ではなかったようで、ダイスは宙で拾おうとしたナオミの手をすり抜けていった。


「……二! 二が出た!」

「今のはちがう! 今のは無しよ! だって今のは投げたんじゃない、こんなの無効よ!」

 ナオミがダイスを拾おうとするのを、興奮しきったグンジンが制した。その顔には、獣が歯をむき出しにしたような表情が浮かんでいて、それは笑みというよりは獲物を前にした獣の顔だった。

「この通り、サイコロははっきり二を指している、お前は振り出しに戻るんだ!」

「なんでよ、振ったんじゃないのよ!無効、無効よ!」

「おい、今のはどうなんだ?」

 グンジンが俺のほうに顔を向けた。その目は真っ赤に充血している。否やを言う理由もないので、俺はそれを認めた。

「二だよ。」

 「うん、間違いないね」

 ガクセイが俺の言葉に合わせて頷く。怒りの権化と化して、ナオミは、すっくと立ち上がった。ぼさぼさの髪を半ば逆立たせた様子は、鬼気迫るものだった。

「バカらしい!こんな遊び…… くだらないわ。もうすぐ助けが来るっていうのに!こんなの……」

「遊びだと!」

 グンジンが声を荒げた。

「だって、そうじゃない。こんなスゴロクごときに命を賭けて!それよりも、脱出方法を考えた方がどんなに良いか……今からでも遅くないわ、皆で一緒に出る方法を……」

「それができなかったから、今、こうして生き残る人を選んでいるのを忘れたんですか?」

「自分が負けそうだからそう言うのは分かりきってる。さあ、さっさと振り出しに戻れよ。それとも、俺みたいに三回休むか? それでも俺は勝ったがな!」

 二人に言い詰められると、ナオミはますますいきり立った。ナオミは、ほとんどエネルギーなど残ってないはずの体で、素早くダイスを拾うと、グンジンが止める間があればこそ、力いっぱい遠く投げ飛ばしてしまった。

「てめえ!」

「なによ、大の大人がこんなので生き死にを決めて!」

 ヒステリックに叫ぶなり、ナオミはマスの書き込まれた紙までも破ると、さっさとその場を離れようと振り返った。そのナオミの姿は、栄養失調の女というよりは精神病棟に棲まう鬼女さながらだった。

「貸せっ!」

 グンジンが、あまりの事にあっけにとられていた俺の手から銃を取り上げると、倉庫の奥に去っていったナオミの後を追いかけていった。足早に離れていく二人から取り残されて、ガクセイと俺はお互いに顔を見合わせた。

「彼女のことだから、こういう事になるとは思っていましたけどね。」

 バラバラになった紙を拾い集めながら、ガクセイが安堵したように言う。やはり、三人の間で、今回のゲームの敗者はもう決してしまっていた。

「気持ちは分かるがな」

「今まで何人も死んでいて、一人は自分の手で殺しているのに、あんなことを言えるっていうのは、ある意味すごいですね。」

「今更何をと言ってやりたかったところだ」

 ナオミとグンジンの言い争う声が遠くから響いてくる。ナオミがののしる声が、だんだん引きつったものに変わっていった。二人の向かった先に地下自動駐車上の深い穴が開いていて、敗者は死体になってそこから放り込まれる運命だった。パン、と乾いた銃声が鳴った。続いて悲鳴が上がるものと思っていたが、聞こえてきたのは激しい物音だった。箱が崩れ落ちる音、壁に肉体がぶつかった肉体が上げる声。その合間に猛獣同士が争う咆哮が闇を切り裂いた。

「どうやら、外したみたいですね。」

「ああ。」

 俺は、ただ返事をした。ガクセイと同様、その声には無関心の響きがあった。最下位の者が殺される、と言ってもそれは絶対の決まりではなく、死刑囚が執行人に反抗する機会が残されていた。ただ、銃を持つものと持たないものとの差は歴然としていて、いままで最下位から生還を果たしたものは居なかったが、今回はひょっとするとナオミが生きて戻ってくるかもしれなかった……だからといって、別に何か嬉しい訳でもないが。少なくとも、わざわざ立ち上がってどちらかを助けに行こうとする意思はこれっぽっちも無い。

「とりあえず食事にしましょうか」

 ひときわ高い絶叫がこだましたのは、俺がやっとの思いでスープの缶を開けた時で、その声は男と女の両方の声が混ざっていた。どすん、という音が聞こえた時、俺が考えたのは次の勝負をどうするか、ということだった。



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