幕間
六度目の勝負は終わった。
広々とした倉庫の一角に、三人はいつものよう、カチョウ……岡本という人間など元から存在しなかったかのように、食事を黙々と取っていた。缶詰一つだけ。それが一日で唯一の食事である。だが、それを食べられるのは、勝者の唯一にして至上の特権だった。
三人は物置の広い空間に好き勝手に座っていた。グンジンは倉庫の隅にあぐらをかき、ガクセイはその横でいつものように正座をしている。ナオミはスカートを履いているにもかかわらず、グンジンのようにあぐらをかいていたが、俺を含め誰もそのスカートの中に興味を示しているものは居なかった。
俺は、適当なスペースにもぐりこみ、疲れきった体を横たわらせた。ふと顔を触ると、そこにはべっとりと赤い液体が付いていたが、それをどうする気にもならない。その液体を拭おうにも洗濯済みのタオルどころか、無駄な水の一滴すらこの穴倉には存在しないのだ。わずかに命をつなぐペットボトルの水すら尽きかけている。コップ一杯分の水が一日の割り当てになったのは10日ほど前のことで、それでも2L入りのペットボトルが3本あるきりだ。
この場にある文明の利器といえば常にノイズしか鳴らないラジオしが存在しない。常に周波数はNHKに合わせられているが、まともな放送が入らないようになって久しい。それでも、いつまた聞こえるようになるかわからないため、常に電源はつけられていた。時折は声が届くが、中国語がほとんどその割合を占めている。
俺は足元に散らばっているカラのペットボトルを蹴飛ばすと、握力の弱った手でやっとのことでプルタブをつまみ、缶詰を開けた。老人のようにしわがれた指に白い跡が残る。
カチョウの断末魔と銃声が、まだ耳の奥でまだこだましていたが、食欲がそれで抑えられるということはない。スパイスの効いた匂いが食欲をそそった。俺は、一足先にテーブルについた連中が、俺と同じだけ食べているか確認すると、濃厚な、ただひたすらに濃厚な赤い豆スープをむさぼり食った。丸一日ぶりの食料である。はじめは胸のむかつくような思いで口にしていたこれも、唯一の食料となるとどんな美味にも優る。
「人を殺した後で、良くそんなに食べられるわね」
既にスープを食べ終えていたナオミが、かすれきった声で言った。その声は責める調子よりも、疲れが主成分となっているようだった。向かいからしきりに身を乗り出して来る姿はホラー映画の女幽霊を思わせる。その伸び放題のかみはボサボサで、ゴミ捨て場に捨てられた人形のもののように色あせている。
俺は、なにを今更、と反論する気にもならなかった。
初めのときは、赤いスープの色と、頭からはじけ飛ぶ血の色のあまりの相似に食欲は消し飛び、空っぽのはずの胃からその中の透明な液体を搾り出してしまったものだが、今では食欲を妨げるものは、床に散らばる脳漿だろうと、飛び出した眼球だろうと、何一つとして無い。
「カチョウさん、二人の子供さんがいるんですってよ。あなたが殺したということを知ればどうするでしょうね。」
蝋燭の明かりに照らされたナオミの顔は、化粧も無く、顔一つを洗えずに残酷なほどにくすんでいたが、目だけがギラギラと輝いていた。俺を責めているはずのその目線は、焦点が合わずにどこか遠いところを見ているようだった。
(自分の旦那を殺した女がよく言う)
と、俺が口に出さなかったのは、良心のかけらが残っていたからだろうか。それとも、言い争うのもエネルギーを使うと体が忠告するのを脳が素直に聞いているのか。もっとも、俺にそんな事を言う資格が無いことは明らかだったが。俺は、たった今、カチョウを殺して地下に広がる穴倉に放り込んできたのだ。最低一週間、長くてもひと月余分に生き残るために。そして俺が手にかけたのはカチョウで二人目である。
俺たちはあの双六への掛け金として、命を張っていた。「人生一周旅行」と題された、ごく当たり前の、子供用のおもちゃだったが、俺たちはその遊びに文字通り人生をかけていた。それは、残り少ない食料を少しでも食い延ばすための残酷な遊戯だった。
一位で上がったものが銃を管理し、二位が弾を管理する。そしてビリから二番目に上がったものが、ビリになった者を撃ち殺し、穴に捨てに行く…今生き残っている四人の中で、ビリから二番目……最も忌まわしい順位だ……を経験していない者は、誰一人としていなかった。
動かなくなった自動式の地下駐車場の深い穴は、車だけではなく、すでに十人以上が眠る墓場となっていて、そのうちの六人があの双六の敗者である。
「子供が居たんだって、の間違いじゃないのか?」
空の缶詰を指にかけてぐるぐると回しつつグンジンが言う。この男の本名はたしか佐藤と言ったが、自分は自衛官だ名乗ったのと、今はすっかり色あせたアーミールックのシャツから誰言うとも無くそう呼んでいる。
「もう地上の人間はみんな、少なくとも日本人は死んでいるだろうよ。…日本は戦争に負けたんだ。」
「そんなのうそよ!あれはただの地震…あんたたちが見たって言う爆発なんて、でたらめに決まっているし、戦争なんてしちゃいない。きっと今頃私達を地上では探しているわよ」
「バカな女だとは思っていたがここまでだったとはな。NHKでも中国軍が攻めてきたってはっきり言っていただろう。あの爆発は間違いなく核攻撃で、俺達が今こうして生きているのも奇跡みたいなもんだ。どうせ一週間後にはまた誰か一人死ぬんだがな。」
「あんなの全部デタラメよ、それにどうせアンタが負けるに決まってる。そうして私だけは生き延びるのよ!」
「その前に殺してやろうか!」
俺は、二人の口論を尻目にその場を離れると、倉庫の隅に寄って寝転んだ。ナオミがの精神が壊れているというのは分かっていたが、この状況で狂いもしない人間はいないだろう。俺の正気を保障してくれるものもない。、そもそも正常な人間がどういうものであるかなどは忘れてしまった。
横でガリガリと壁を削る音がする。ガクセイが一日が終わった数を記録している音だ。あの若い男は、いつも零時を過ぎるときまってそれを行うのだが、昼も夜もない地下倉庫の中では何の意味がさない。チラリと見ると、その印の正の字は二十一個で、その横のには後一本で字になる出来損ないが記されていた。