Ⅱ.~邂逅~
Ⅱ.~邂逅~
初めて“そのこと”を知ったのは中学生くらいの時だった。
何となく気づき始めたのは、いつだったか。多分、小学校低学年の頃だったように思う。
自分には親がいない。
小さい時の記憶はあやふやだけれど、その頃にあった授業参観日に来てくれたわたしの保護者と、他の子の親とがなにか違うなぁ、と感じたのを今でも覚えている。
若々しい母親たち──当時のわたしには大人はみんな同じに見えたが──に混ざったわたしの保護者は、“老人”と呼んでも差し障りのない体躯だったから。
──ねぇ、わたしのパパとママはどこにいるの?
空気をよむ、ということを知らなかったわたしは、何度かそう訊ねた事もあったが、そんな時は決まって、皺の入った顔にさらに深く、皺が刻み込まれることとなるだけだった。
いつしかわたしは、これは聞いてはいけない事なんだ、と学習し、顔色をうかがうということもそれと同時に憶えた。
中学生になって英語の授業が始まると、辞典を借りに、ちょくちょく書斎を利用するようになっていた。
そんな幾度目かのある日、いつもは鍵が掛かっているはずの机の引き出しが、何故かその時は僅かながら開いて見えた。
若干の好奇心とイタズラ心がわたしを誘惑し、引き出しに手を伸ばさせる。
黒檀で設えられたそれの真鍮部にそっと手を触れ手前に引き寄せると、その中には十数冊にも及ぶ『サクラ観察日誌』と書かれたノートが入っていた。
庭に植えられた桜の生長記録かと思い、深く考えず比較的新しい日付の入った1冊に手を伸ばした。
──それは、ほんのささいな出来心のはずだった。
それなのに……、
それなのに、この結果は、わたしには重たすぎた。
相手の顔色をよむ事に長けていたわたしは、それでもなんとか上手にやって来れたように思う。
でも、その頃からわたしは鏡が見られなくなってしまった。
鏡が語るのだ──。
「お前は、生まれてきてはいけない存在だ」
と……。
一人きりになる時や、期せずして鏡に映った自分と二人っきりになってしまった時などは、自己を保つのに気力を使い果たしもしたものだ。
一度、校医に相談をした事もある。だが、アイデンティティー・クライシス、つまり、ノイローゼだと診断され、思春期にはよくある事だから、と軽くあしらわれた。
こんなに使い古された台詞を、まさか自分が使う事になるとは露ほども思わなかったが、今、高らかに宣言しよう。
──大人は何も分かっちゃくれない。
それ以来、大人を信用してはいけない、とそう心に誓って、なんとかやってきた。
わたしがわたしであるために。
わたしの存在がこの世に許される為に──。
高校に進学したわたしは、自分が女である事を最大限に利用した。
求められれば断らなかった。勿論、避妊なんてするはずもない。
最初のうちはほいほい喜んでついてきた馬鹿どもも、わたしが妊娠した場合に子供を産むつもりであると告げると、怖じけづいたのか、だんだんとその数を減らしていった。
その間、たくさんの種馬達と幾度となく身体を重ねたけれど、わたしが子を宿す事は、終ぞ無かった。
──そして、あの日。
わたしはとうとう悪魔と出会ってしまった。
その後の事は、もう、あまり覚えていない。
ただ、あの悪魔が身につけていた白のワンピースは、可愛い顔にとても良く似合っていて、本当に素敵だった。……きっとわたしにも良く似合うはずだ、そう思って先程、似たような服を買ってきた。
どこのブランドなのか、と確認する余裕がなかった事が悔やまれてならない。しかし、これはこれでなかなかに素敵で、試着室からそのまま着替えてきてしまったわたしを店員さんも笑って見ていた。
そして、その白いワンピースが風にはためく。弄ばれるがままに、裾はたなびく雲のように。
何だか気持ちいいな。
そう思ったら、不思議と声に出して笑ってしまった。
「ふふっ、……はははっ、あはははは……」
いけない、いけない。
このままでは変な人だ、堪えなきゃ。と思ったけれど、……もう遅いみたい。
なぜなら、地面はもうすぐそこだったから──。
──どすん。