~瓦解~ 9.
お婆ちゃんの葬儀は滞りなく幕を下ろした──。
ひっそりと二人きりで暮らしていた日常が嘘であるかのように、思ったよりも沢山の人がお婆ちゃんの旅立ちに立ち会うために私たちの家を訪れた。
押しなべて、年配の弔問客で黒い山を形成していたけれど、その中にはテレビや新聞で見た覚えのある顔もちらほら見受けられた。もしかしたらお婆ちゃんは、ある世界ではちょっとばかり顔の知れた存在だったのかもしれない。
そして、その中に倉持総一郎がいたのも、私は気づいていた。
──あの晩。冷たく、そして生きているとは到底思えない程の強張りで私の帰宅を迎えたお婆ちゃんを前に、私はどうすれば良いのか判らなくなって、気がつけば携帯でシュートの番号を呼び出していた。
その後のことは今に至るまで、あまり覚えていない。ただ、シュートと鳴沢夫妻が来て、慌てるように電話をかけたりしているうちに、救急車がやって来た。
──脳卒中。
簡単に言えば、脳の病気だ。いろいろな脳の病気をおおまかにまとめて『脳卒中』と呼ぶらしい。詳しい病名の説明も受けたはずだけれど、馴染みの無い言葉は、全く私の頭の中には入って来なかった。そして医師の言葉に、私は絶句した。
「亡くなられたのは、おそらく昨日の夕方から夜、日付が変わる頃までの間でしょう」
──夕方!?
(昨日、私は何時頃家に帰っただろうか?)
たしか学校が終わってすぐだったはずだから、比較的早く帰宅していたように思う。
(なら、その時、私は何をしていた? お婆ちゃんが苦しんでいる、そんな時、私は一体何をしていた?)
……そうだ。私は一人、いじけて泣いていたんだ──。
(『私が何をした?』)
…………最低だ。
(『私が一体、何をしたっていうの?』)
…………私は……最低だ。
(『どうしてみんな私を避けるのっ!?』)
…………自分のことばかり考えてて、
(『お婆ちゃん……シュート……すず……さほ……』)
…………相手をおもいやることすら出来ていなくて、
(『ねぇ、……どうして?』)
…………お婆ちゃんが苦しんでいることにも気づけなかった。
──私は、最低の人間だ。
「わ、わたし……、家に、いた……のに……」
「……さくらっ?」
「その時……わたし、う、うち……に、いた……のに……。……お、おばあちゃ──うゎぁぁぁあん!」
深夜の病院のベンチ。独特の閉鎖した空間に、私の嗚咽が反響する。
「わあぁぁぁあぁん!! おばぁちゃーぁん! ごめんなさい!! わ、わたし……お、おばぁ……うえぇぇぇーん!」
「──さくらっ!!」
隣に座るシュートが肩を掴む。
「お前は、悪くないっ! 誰も悪くなんかないよ。……仕方のないことだ」
「うえぇっ、……だけど……だけど、わたし……」
「だけど、も何もない。どうしようも無いことだって中にはあるさ! ……今回がそれだったんだよ──」
「う……うわぁあぁん! しゅぅとぉおー!!」
シュートは「大丈夫、大丈夫だから……」と泣き崩れる私をいつまでも、いつまでも支えてくれていた。
忌引で喪に服している間中、毎日誰かしら私に──というか、お婆ちゃんに──会いに来る客の姿があった。それもようやく落ち着きをみせた頃、それを見計らったかのように、再び倉持総一郎が私を訪ねて来た。
「──千鶴さんとは昔からの付き合いでね、……私も大変お世話になったものです」
仏壇に手を合わせた後、遺影に目を向けたままで総一郎は口を開いた。
「──さくらさん。私は、君に話さねばならない事があります」
初めて聞く総一郎の肉声は、年の割には若々しく、声に張りがあるというか、筋が一本通っていて、まるで役者のように言葉に不思議な説得力が含まれていた。
「……はい」
そこで初めて総一郎はこちらに身体を向けた。
「『はい』ときたか……。──やはり君は、何かしら勘づいているようだね、千鶴さんの言っていた通りだ。……失礼だが、調べさせてもらったよ。彼、──鳴沢秀人くん。君のお友達だね、……彼から聞いたのかい?」
畳、一畳分ほどの間を開けて正座で向かい合う。これからは『仏間』と呼ぶことになるだろう、お婆ちゃんの部屋で……。
「──いえ。シュート、彼からは何も聞いていません。ただ……彼が倉持さんを訪ねた時に、私もいましたから」
「──君もいた? ……おかしな事を言うね、あの時は彼しかいなかったように思うが」
「はい、そうです。お会いになられたのは彼だけですが、……ごめんなさい。実は、電話で聴いていました。……こう、イヤホンマイクを付けて──」
ジェスチャーを加えて簡単に説明をする。総一郎は二、三度頷いて「なるほど。……じゃあお互い様かな」と微笑んだ。
「──でも、途中までしか聴けませんでした。『日誌』がどう、とか。……だけど、もういいんです。倉持さんには失礼ですが、倉持サクラさんのこととか、やっぱり私には関係無いですし。……大事なのはお婆ちゃんだけだったんだって、……今さらですが気づきましたから」
二の句が継げず、眉根を寄せたままの総一郎は、ふと思い出したように懐から白い封筒を取り出すと畳に置き、つい、と差し出した。
「……これは?」
手に取って良いものか迷っていると、
「千鶴さん、君のお婆さんからの手紙だ」
そう言ってから、どうぞ、と掌で示した。
便箋を畳み、元のように封筒へ収めると、
「──それで、君はどうしたい?」
と総一郎が口を開いた。
「……どうもしません。私の──、お婆ちゃんたちの過去に何があったとしても、私は私です。それに──」
封筒に目を落とし、私は続ける。
「それに、お婆ちゃんの願いは、私が真実を求めることではないと思いました」
総一郎はひとつため息をつくと、こう言った。
「良いかね? 私は『君はどうしたいか』と訊いたんだ。千鶴さんの遺志は問題じゃない。……今日ここへ来て、私が君に何と言ったか覚えているかね?」
何と言ったか……。総一郎は私に、お婆ちゃんから預かった手紙を見せに来たはずだ。だったらそれは『見せたいものがある』か、『渡したいものがある』だったか。
そう言うと、ぴしゃりと「違う」と言い、こう続けた。
「私は『君に話さねばならない事がある』と、そう言ったんだ」
総一郎は一度、目を落とし、深く息を吐くと、こう、続けた。
「……生憎だがね、君は知るべきだ。その上で、どう行動するかは君の自由だといえる。──しかしね、動くだろう、君は。……なにせ、これ以上犠牲者を出したくはないだろう? ──では、語ろう。『サクラプロジェクト』の全貌を──」