~瓦解~ 7.
あれからすぐに店を出て、すずと佐穂里の二人とは駅で別れた。
バスに乗り込む、私と秀人。座席に腰を下ろすと、濡れたハンカチを頬に当てがい直した。
「──さっきは悪かった。……痛むか?」
カフェでのこと──。
秀人は語り出した私の異変に気づき、声を掛けつつ肩を揺らした。でも私が話を中断する様子はなかったという。次第に不気味がるすずたち。秀人は、これはいけない、と感じ気付けに頬を打った、と説明した。
「……お前、俺のこと『鳴沢くん』って呼んでた。ただでさえ声が似てるのに、口調までがアイツにそっくりで──」
「私、覚えてない」
「…………」
「……覚えてないもん」
そっか、と外を眺めて溜め息を漏らす。秀人はそれっきり口を閉ざした。
家に着く前に、すずと佐穂里にはメールを送った。
──さっきはゴメン。
突然頭が痛み出して、自分でも何を言ってるのか解らなくなっちゃった。
気味悪がらせちゃったよね、ゴメン。
でも今日は話を聞いてくれてありがとう──
こんなような文章を、それぞれ言葉を変えて送った。
「……お婆ちゃん。今朝のニュースのことなんだけど──」
もう、無理だと思った。
このままでは色々とおかしくなって、壊れてしまう。私の心も。そして、友人関係も──。最早、こだわってなどいられなかった。
疲弊しきっていた私は、夕食を摂りながら朝、テレビで観た報道を取っ掛かりにしてお婆ちゃんに相談することにした。倉持サクラのこと、総一郎からの手紙のこと、和泉咲良のこと、お母さん・お父さんのこと。それから、頭の中に這入ってくる映像のこと。
だけど、お婆ちゃんは私に最後まで言わせなかった。
「──気にせんでおればいい。さくらが気にするようなもんじゃない」
ぴしゃりとそう言って箸を置くと、お婆ちゃんは食事の途中なのにもかかわらず、何故かそのまま席を立った。
「……どうしたの? ご飯は?」
「……なんか疲れたのかねぇ。──もう休みます」
お婆ちゃんは自室に姿を消すと「おやすみ」と漏らした。
「……そう。おやすみなさい、お婆ちゃん」
居間に掛けられた、日めくりのカレンダー。米穀店の粗品でもらったものだ。
長い一日だったな、そんなことを考えながら、当初の半分ほどに痩せたそれの表面を一枚破り取る。30の次に顔を出した数字は、1。
(七月か……)
食事を終え、自室の襖を開くと、パラパラと砂をこぼしたような音が、しんと静まる部屋の中にひそんでいた。
今日はもう何もする気になれない。布団を伸ばすと明かりを落とし、横になった。
日が暮れてから降り出したのか、そんな雨音を子守唄代わりにして、私は眠りに落ちていく。
──結局、この日、二人からメールが返って来ることはなかった。
教室に自分の居場所がない。
こんなふうに感じるのはいつ以来だろうか──。昔、小学生の時に、親がいないことを理由にいじめを受けた経験がある。その時以来かもしれない。
すずと佐穂里は、登校した私がおはよう、と声を掛けると、笑って「おはよう」と返してくれた。
だけど、笑っているのは顔の表情筋だけだ。そもそも、目が笑っていない。
私はカバンを机に掛けると、何気なさを装い、後ろの友人たちに声をかけた。
「昨日はなんかゴメンね。ねぇ、おめざめテレビ観た? 今朝の占いカウントアップでさ──」
ちょっと具合が悪いかと、あえて事件の話題を避けてはみたものの、そんな心配は杞憂に終わった。だが、それは良くない形で……。
「ご、ゴメン、さくら。私、英語の予習やんないと。……今日当たるから、さ」
英語の予習などとおよそ似合わない台詞を残し、すずは去って行った。
「……すずちゃん」
すずを見送って、もう一人の親友に顔を向けると、佐穂里はその後ろ姿をすがるような目で見ていた。置いてきぼりにしないで、とか、そんな露骨な、とか瞳が語っている。
「あっ……じゃ、じゃあ私たちも予習……しようか」
すずとはまた別の理由で予習の似合わない佐穂里は、そう言うとグラマーの教科書を開き、視線を落とした。
ちなみに、私の今朝の占いカウントアップは《友達が突然勉強に目覚めて、放れていっちゃうかも~!?》だった。
何気に当たっていた。
「悪い、さくら! 今日はちょっと。……ここの所ちょくちょく部活サボってたからもう休めなくって」
放課後、秀人に一緒に帰ろうと誘ってはみたけれど、返ってきたのはそんな言葉だった。
サッカー部に所属している秀人に声をかけたのは一応の建前。無理だろうな、ってことは始めから判っていた。すずたちに今日は秀人と帰るからと言った手前、ダメもとで誘ってみたに過ぎない。
昼休み、露骨に避けられることは無かったけれど、お弁当を食べている間中、誰も口を開くことはなかった(口を開かないのに食事が出来るとは、これ如何に)。
私を退けたいのに避けられない、そんな二人が不憫でならなかった。だから、いつものように帰りに寄り道をしてショップを覗いたり、甘味探訪をしたり、後で思えば下らないとすら思えるたわいのないお喋りで時間をドブに捨てたり。本当にしょうもないけれど、私にとってはとても大切な時間。でも、私はそんな佐穂里たちに遠慮をする。私から身を引くことしか二人の為に出来ることが無かった。そういうことだ。
この日家に帰ると、いつもより早い時間だったのにもかかわらず、食卓には既にお夕飯が用意されていた。一緒に置かれているメモを手に取る。
《今日も先に休みます。温めて食べて下さい。》
──瞬間、カッとなった。
私はメモをくしゃくしゃに丸めてくず籠に叩きつけると、自室の襖をすぱぁーんと乱暴に開き、カバンを放った。
頭に血が上る。でも本当に頭部に血液が集中するわけでは、多分ないと思う。だってもしそうなら、この目に溢れんばかりの体液は血でなければならない。
思考と感情は別物で、感情は思考のスイッチみたいだ。一瞬、カッとなった。だけど、どうやらこれは怒りではないようで、すぐに、ああ、哀しいんだと解った。
柱に背中を預け、私は自問する。
(私が何をした?)
涙を堪える為に天井を見る。
(私が一体、何をしたっていうの?)
歯を食いしばるも、がちがちとぶれて噛み合わない。
(ただ、ただ私にそっくりな女が死んだってだけじゃないっ!)
掌を強く握り締める。
(そんなことで、どうしてみんな私を避けるのっ!?)
目尻から一つ。
(ねぇ! どうして!?)
また、一つ。
(お婆ちゃん……シュート……すず……さほ……)
柱を這うように、崩れ落ちる。寂寥感と膝を抱えてそこに顔を埋めた。
(ねぇ、……どうして?)
何故、私がこんな目に遇わなければならないのか──。
「誰か、……教えてよおぅ……」