~瓦解~ 6.
手紙の内容を私は知らない。でも、日々乃家と倉持家に関係があることは間違いないはずだ。
そこに、新たに和泉家が現れた。
和泉咲良──。彼女は一体、どんな人生を歩んできたのだろう。
「──でも、そうなってくると、ますます姉妹説が現実味を帯びてくるね」
佐穂里の呟きに、すずも乗っかって、
「じゃあ……三つ子の『さくら三姉妹』だ」
と言った。
三つ子。──それは私も考えたことだった。性別は異なる事もあるはずだけれど、現実的に、年が同じで容姿が似ているとくればその可能性は大きいと言える。
「さくらには両親がいなくって、倉持サクラも養子。その和泉って子はどうなんだろう?」
すずが訊ねる。それを受けて佐穂里が口を開いた。
「ニュースではそこまで言ってなかったと思うけれど、これだけの事件なんだからすぐに判るんじゃないかな。──もし和泉咲良さんが和泉家の本当の子供だとしたら、そこのご両親がさくらちゃんのお父様・お母様だっていう可能性も出てくるよね」
「ああ。さらに言えば、和泉咲良の母親がさくらの婆ちゃんの娘だっていう確率も大きくなる」
「どうして?」
まぁ、あくまで一般的に見た可能性の問題だけど、と前置きをし、秀人が講釈を垂れる。
「和泉咲良の両親の苗字は当然『和泉』だろ? ってことは旦那が婿養子じゃない限り、父親の苗字が『和泉』だ」
つまり、和泉咲良の母親の旧姓に『日々乃』である可能性がある、ってことか。
「さくらは覚えてないみたいだけど、さくらの婆ちゃんは元から独身だったわけじゃなくて、爺さんもいたんだ。幼稚園に入る前に日々乃家で葬儀があったのをうっすらと覚えてる。だから、さくらの婆ちゃんに子供がいたらその子の苗字は『日々乃』になってるはずだからね」
長い上に解りづらいが、秀人はなにも難しい話をしているわけではないようだ。
「ねぇねぇ、さくら。今まで身内はお婆ちゃん一人しかいなかったワケじゃん? 他にも家族がいるって分かって嬉しい?」
すずは無邪気な女の子。発言に裏の意味とか悪意が含まれていないのは理解しているつもりなので、やや勇み足とも取れる質問をそのままの意味として受け取ることにする。一方、秀人と佐穂里は苦虫を噛み潰してしまった、というような表情で私を見ていた。
「そうだね。少し嬉しいかな。……でも、二人とも亡くなっちゃったからね。生きてるうちに会って話してみたかった、かな。……それに、そうだとしたら、親にしても『捨てた』とまでは言わないけど、私をお婆ちゃんに預けた理由も気になるし──」
そこでハッとしたすずは「……ゴメン」としゅんと小さくなった。
「ううん。……でも、これまで会わないできて良かったんだと思う。私が知らないってことは、知らなくてもいいことなんだ、って思わなくちゃいけないんだろうし。私がお婆ちゃんに訊かないのもそう。お婆ちゃんを信じてるから。──それに、まだそうと決まったわけじゃないしね」
言葉の半分はすずへのフォロー。もう半分は秀人への牽制だ。どこかの薬のように、成分の半分は優しさで出来ている。
秀人の隠し持っている『カード』……。いつまでも温めていないで、出すならさっさと出しなさい、そう意味を込めたつもりだが、はたして伝わったかどうか。
しかし、秀人は「まぁ、あくまで仮の話だしな」と言うだけに留め、背もたれに体重を預けた。
なかなかに重たい話。
普通の感性であれば腫れ物に触るようで、聞くだけでもしんどいはずだ。その証拠に一息ついてしまったことで、秀人も佐穂里も口を開くのを躊躇っているように見える。
でもそんな時こそ、すずの存在が役に立つ。
場の空気に合わせることに不器用な箕浦すずというキャラクターは、半面、場の空気を作り上げるという稀有な才能をも併せ持つ。
すずはそんな才能を遺憾無く発揮した。
「それにしても、さっきはホントにビックリしたよー。だってあんなトコでわんわん泣きだしちゃうんだもん! さくらってばカワイイ」
……そうだった。それを言うのを忘れていた。
「──んっと、それはまた、ちょっと別の話なのかもしれないんだけど」
信じてもらえるか微妙だけれど、時として現れる『映像』。これについて説明をしなければいけなかったんだ。──それから、『三つ子』どころでは済まないかもしれないことについても……。
「……私ね。この前、──秀人と百貨店の屋上へ行ってからなんだけど、……なんかおかしくなっちゃったみたいで」
「……どういうこと?」
「……うん、なんか知らない情景っていうか、夢を見てるみたいに、突然、頭の中で映像が流れてくるの」
「白昼夢……とか?」
ううん、違うと思う、と佐穂里に返すと、秀人が言った。
「──あん時、さくらが倒れた時の?」
「そう。あの時、と……それから今日も。──それと、今日は、あそこに女の子がいた」
「──! 女の子!?」
秀人がすずと佐穂里を見る。二人は首を横に振った。
「確かにいたの。……また私とそっくりな女の子だった」
「…………」
秀人が言った。
「四人目の『さくら』か……」
「…………」
それで? と促す佐穂里。
「──それで、この前も今日も、貧血みたいに急に目の前が白っぽくなっていって、そのうち立っていられなくなっちゃった」
だけど……そこからが普通の立ち眩みとは違う。
「そうしたら今度は、その白いスクリーンに映画が映し出されるみたいに……見えるの」
ごくん、と固唾を飲む音──。
「……何が……見えたんだ?」
秀人が食い入るように見つめる二人を代表し、先を促した。
「──倉持サクラの死ぬところ。……それから、和泉咲良を殺すところ」
ひいっ、とすずから声が上がる。
「さくらが、……さくらが倉持さんと、和泉咲良のその現場を眺めていたってことか?」
「ううん、私が『倉持サクラ』なの。私があの子になってるの。──それから、和泉咲良の方は、私が犯人になってた」
倉持サクラの、屋上でのことを思い出してみる。
最初に見えたのは、倉持サクラの人生。彼女のダイジェスト映像を三倍速で眺めているような……。
「──なんていうか、テレビのチャンネルを適当に変えてるみたいに……」
「ザッピング?」と秀人。
「ザッピング? ──ああ、そうかも。ちゃんと音も聴こえるの。彼女が回顧を巡らせているみたいな。……そうしたら最後に、元いた屋上の風景になったの」
心なしか頭が痛い。どくどく脈が動くのが分かる。
「気がついたら屋上だった。だから元に戻ったんだ、と思ったら……違った。私は倉持サクラの中にいた。……太陽の温もり、風の揺らぎ。植物の匂いや鳥の声──。五感は私のものなのに、身体は動かせなかった」
頭がガンガンする──。
堪えられず目を閉じた。
瞳からの情報をシャットダウンすることで回想が幾分か容易になったように、さらに、頭痛も多少和らいだように感じた。
私の口からは音が聞こえる。
「────わたしはフェンスに指を掛けるの。……ああ、その時はこんなことを思ったわ。『これを乗り越えるのは大変ね』って……。でも登ったの。だって向こう側に行かなくちゃ……飛べないもの。──スカートが風で煽られていたのを覚えてる。……白い生地がバタバタって。ミュールは……どうしようか迷っちゃった。──だって、気に入ってたんだもの。普通は置いていくらしいのだけれど。……それで、ギリギリにまで立ってから、少しだけ前に飛んだわ。そうしないと落下しながら壁にぶつかりそうで嫌だったから。──わたし、空を飛びながら考えてた。地面に当たる前に気を失えなかったらどうしよう、って。……流石に痛そうだなーって。──ねぇ、鳴沢くん。バンジージャンプってあるじゃない? あれに馴れすぎた人は大変ね。だって、ぶつかる瞬間まで覚醒しているのでしょう? ……ふふっ、わたし、そんなこと考えていたら可笑しくって可笑しくって。──そうしたら、ああ、もうすぐ地面なんだな、もう終わりなんだ、って。だから──」
「さくらっ!!」
ばちーん、と頬に衝撃が走る。
痛みに目を開けてみると、秀人が覗き込むように私を見てる。
「ほっぺたが、……いたい」
何故、頬が痛むのか解らない。というより、自分が何をしていたのかが解らない。……ただ、痛さは熱を伴って、ヒリヒリ、ジンジン訴える。
「……さくらちゃん」
「……さくら」
佐穂里は立ち上がり、すずも身を引き、私から距離をとっている。
二人とも……目がやばい。白昼、お化けにでも遭遇してしまった、とでもいうような。
怒られたり、軽蔑されたり。にらまれるとか、刺すような視線とか……。文字通り、色々と嫌な目に合ってきた経験は数あるけど、……なるほど。これが一番、辛い。
──私は今、何故か恐れられている。
「…………えっぐ」
やばい、涙が込み上げてくる。
「……な、なによぅ。私がぁ、なにしたっていうのぉ」
だめ、止められない。
なんで? なんでそんな目で私を見るの!?
ぽろぽろと溢れる。堪えきれない、大粒の雫。
親友たちの怯える表情。
それは、私を写す鏡なのか……。
お願い……。
そんな目で見ないで……。
刺すような頬の痛みだけが、ただ、私の側にいてくれた。