~混沌~ 5.
──秀人は知らなかった。
私が誰を探しているのかを。
──秀人は知らなかった。
私が何故、探しているのかを。
秀人が知っていたことと言えば“私がなにかを探している”ということくらい……。
考えてみれば、これまで秀人にはろくに説明らしい説明もして来なかった。
私が「ツー」と言えば「カー」と応え、「山」と言えば「川」と答え、「あ」と言えば「うん」と返す。
そして私が「〇〇したい」と希望を出せば、「ああ、いいよ」と文字通りの二つ返事でいつも返してくれるのが秀人だ。
だから、私がどこかでひとこと「私と瓜二つの少女が」とだけ付け加えておけば、それに心当たりのある秀人の受けるショックも多少は違ったはずだ。それに加え、私たちの教室が離れていた事にも運がなかった。もしも同じクラスであったのならば、朝田加世子が引き起こしたあの騒動も当然、知っていたはずなのに……。
などと、今更そんな事を考えても仕方がないと頭では分かっていても、やはりどこかで考えてしまう。
(いけない、集中しなきゃ……)
私は、公園の垣根に身を潜めながら、イヤホンの音声に神経を尖らせた。
「倉持サクラの家へ行こうと思う」
そう秀人が切り出したのは、授業が全部終わって掃除をしている時だった。
「うち知ってるの!?」
廊下を掃く手を止めて私が訊き返すと、ああ、行った事は無いけど、と視線を外し答えた。
じゃあ、と立ち去りかける背中に「ちょっと! 私も行く」そう声を掛けて、箒を押し付ける相手を探すべく教室を覗く。
「ゴメン、すずちゃん! ちょっと急用が──」
「ハイハイ、見てましたとも。みなまで言いなさんな、掃除はバアバが代わってしんぜよう」
何か含みのある物言いはシャクに障るが、ここは素直にすずに感謝だ。
「若さとは良いものじゃ」
うんうん頷くすずはほかって置いて、私は急いでカバンを手にすると秀人の背中を追った。
倉持邸を訪ねる道すがら、秀人はあまり多くを語らなかった。
私がした質問に対して返ってきた言葉を要約すると、倉持サクラは隣県に大邸宅を構える倉持グループの会長、倉持総一郎の娘だということ。彼女の歳は私と同じ17歳らしい。
娘にしては祖父と孫娘ほど年が離れているが、養女だと聞いて納得した。
バスと電車を乗り継いで私たちは倉持邸を探し歩いた。
秀人は「行った事は無い」と言っていたけれど、さほど迷う事なく倉持邸を探し当てることが出来た。
なぜなら、家の前にはランドマークとなる大きな公園がある、と聞き及んでいたから。しかも、その公園もさることながら、家自体が何よりデカイ。大邸宅の名に恥じない立派な館だ。青々とした芝生の広がる大きな庭は、さながら公園の一部のよう。いや、公園の方こそが倉持邸の庭のようにも感じられる。もしかしたら本当にそんな歴史もあったのかも知れない。
家の風格に気圧されたのか、ただ眺め続けるだけの秀人に問い掛けてみた。
「それで、どうするの?」
ああ、と漏らして私に見せた表情は、幾分か落ち着きを取り戻しているように思えた。
「勿論、訪ねてみる。……やっぱり、さくらが隣にいてくれて良かった。俺一人じゃきっとビビって動けなくなってた」
そう言うと、殊勝にも笑って見せた。
「そっか。……じゃあ、覚悟が決まったみたいだし……訊いていい?」
どうぞ、と秀人に促されるのを待ってから、言った。
「倉持サクラさんって、シュートの彼女?」
一瞬、秀人の目が泳いだ。予測していた質問のはずだが、ちょっとストレートに聞き過ぎたかも知れない。
「私はもうシュートを巻き込むのは止めようと思ってた。松村先生の話を聞いてからシュートが変になっちゃったから。そうしたら……」
こんな言い方はアレだけど、と言葉を挟んで続ける。
「そうしたら、今度はシュートが首を突っ込んできた」
私には確信があった。秀人は自分に彼女がいる事をこれまで私に話して来なかった。もっと言えば、隠していた。それなのに何故、私が確信を持つに至ったか、と問われれば、理由は簡単だ。
それは私と秀人が二人で手を繋ぎ、歩く姿を度々目撃されていたから。しかも目撃したとされる現場には、いかがわしいあまり健全とは言えない場所までもが含まれていた。しかし、私は秀人と手を繋いで歩いた事など無いし、そもそもデート自体、誰ともした経験が無い。
すずはよく言う。
『毎日ラブラブだね~』
また、クラスメイトも。
『昨日、〇〇町で見掛けたけど邪魔しちゃ悪いと思って──』
どれも私には身に覚えの無い話ばかりだった。
もうこうなってくると、私と秀人が恋人同士だとみんなが勘違いしている理由の真相には、三つのパターンしか考えられない。
一つ目は、みんなの目がおかしい。
二つ目は、私の頭が狂ってる。
そして、もう一つ。
・・・・・・・・・
秀人は私とそっくりな女性と度々会っている。
「もう、これはさくらだけの問題じゃないから」
秀人は重い口を開き、そう呟いた。
「“彼女”……では、なかったと思う。でもかなり親しい仲だ、とは言えるはず」
かなり親しい仲──、その言葉が意味するものとは……。
「始めて倉持さんと出会ったのは、俺が──」
「──いい」
「えっ?」
「──もういい。話さなくて。……なんとなく分かったし。──それより、早く行かない? あっ、私がチャイム鳴らしてあげよっか」
あえて無邪気に言ってみる。たとえわざとらしく聞こえていたとしても、今は構いやしない。
「──あ、ああ。分かった。……いや、待って。俺がするから」
そう言って、門柱まで近づき秀人が大きく息を吸って、吐いた。
「ああっ!!」
秀人の右手がインターホンに伸ばしかけられた時、はたと思いつく事があった。
「ちょっ、何だよ!? びっくりするだろ」
秀人はビクッと肩を震わせ振り返る。
「私が居たらマズくない? だって、倉持さんと私ってそっくりなんだよね。お家のひと驚かせちゃうかも」
そう、みんながみんな見間違える程にそっくりなのだ。最愛……かどうかは知らないが、愛娘を亡くしたばかりの状況で私の顔を見るのはきっと辛いだろう。
「……そうだな、確かに。──じゃあ、さくらはそこの公園で待ってる?」
それは嫌だ。ただ待ってるだけなんて我慢ならない。う~ん、と腕を組み考えること数十秒。
「……目だし帽とか被ってみる?」
目だし帽。──よく強盗犯などが被っているアレだ。思いついてしまったので、一応言ってみた。
「……制服姿に目だし帽か。なかなかのファッションセンスだ。いかにもさくららしい。きっと似合うと、──痛っ!」
私が悪いんじゃない。こんな所に落ちている鉄パイプが悪いのだ。
「安心して。みねうちだから」
尻をさする秀人を見ながら、さらに思案してみる。
「──! そうだ!」
私はカバンを探る。確か入っていたはずだ。ゴソゴソと手を突っ込み掻き回す。──あった!
「──っ痛、ん? 何だそれ、イヤホンマイク?」
「そう! ハンズフリーのイヤホンマイク。シュートにマイクをセットして、私たちのケータイを繋ぎっぱなしにしておくの」
そうすれば、私から秀人に指示を出すことが出来るし、会話の内容も把握することが出来るはずだ。ただ、さすがに倉持氏の声までは聴こえないだろうから、秀人が不自然にならない程度に復唱してみせる必要がある。
「……なんか、さくら。お前、いよいよ探偵じみてきたな」
マイクは襟元に、イヤホンは背中から耳に回してセットしてみた。
「ダメだ。マイクはともかく、イヤホンはバレる。俺、髪の毛そんなに長くないし」
確かに。隠しきれてない。いっそ見えたまま……いや、有り得ない。印象が悪すぎる。
「……分かった。イヤホンは諦める。行動はシュートに任せるわ」
こうして秀人は襟元にマイクを忍ばせ、胸に想いを偲ばせ、単身、倉持邸の門をノックした。