~混沌~ 3.
大学を後にすると、私たちは例の現場へと車を走らせた。
「さっきは、賛成も反対もしなかったけど──」
大学へ向かう車中、結局私は今日の目的を白状するはめとなった。
遥さんがそう言うように、その場では「そう」とひと言漏らしたきり、後は何も言わなかったのだ。
大学に立ち寄った際、遥さんはたまたま自殺の現場に遭遇したという友人に会い、話を聞いたと言う。その内容はおおむね私が松村先生から聞いた話と同一だったようだ。
ただひとつ、違う所は、その人は落ちる瞬間から見ていた、という事。
「──なんかね、その子が言うには……」
ハンドルを握る遥さんは、口から深く息を吸い込んで、溜め息を漏らすように鼻から吐いた。そして、ルームミラーで私を一瞥した後、こう続けた。
「その子が言うには……笑ってたらしいの、声を上げて。……落ちながらよ!?」
そう言って、ぶるっと一度、身震いをさせる。きっと話しながら想像してしまった事だろう。私だって出来ればそんな光景想像したくもない。
「ねぇ、さくらちゃん。……やっぱり止めにしない? 私、そんな所近づきたくないし、ぞっとしないわ」
「いえ、だったらここで降ろして下さい。私ひとりで行きます。……元々そのつもりでしたし」
「姉ちゃん」
「…………」
「俺はさくらと一緒に行くよ。姉ちゃんだってひとりで行かせる方が心配だろ?」
赤信号に捕まり、減速させていく遥さん。十分な車間距離をとって停車させると、わかったわ、と言った。
「……仕方、ないわね。近くまでよ? 私は駐車場で待ってるわ」
目的地近くのコインパーキングに駐車すると遥さんを待たせ、私と秀人は現場へ向かった。
割と人通りのあるビル街。デパートやショップの入ったビルが建ち並んでいる。その中に、例の百貨店はあった。
見上げてみると結構な高さだ。外壁の窓を下から、いーち、にぃー、さーん……と数え上げる。……しーち、はち。
──都合8階建てか。でも屋上からならもう少しあるだろう。
まずは、ぐるっと建物の周囲を歩く。だが、意外となんにも無い。
「地面、きれいだね」
「そうだな」
もし花束なんかをささげる場合、何処に置くのが一般的なのだろう。
命を奪われた地面になのか、それとも、生きるということを手放した屋上へなのか……。
屋上へ上がり辺りを見渡すと、そこは小さな遊園地になっていた。
ちょっとした売店でソフトクリームやフライドポテトなども売られている。
空との境界は背の高い鉄条網で囲われていて、これは事件後に取り付けられたものではなく、かなり古いもだという事が錆び具合からも見て取れた。これを乗り越えるのは一苦労だったはずだ。過失で転落したのではない事は明白に思えた。
売店の店員に、何か知りませんか? と訊ねると、当日のバイトはショックで休んでる、という声が返ってきた。
礼を言い、再びフェンスに歩み寄る。
右手をスッと持ち上げフェンスに指を絡めてみる。
──と、次の瞬間、私はめまいに襲われた。
突如、流れ込んでくる映像──。
砂嵐の奥に見えるその風景は、
渦を巻き
天地を曖昧にさせ
近づいたり、遠のいたり
小さかったり、大きかったり……
ぐわんぐわん、脳がゆれるみたい。
そのうち視界だけじゃなく、聴力にもノイズが混じる。
『ねぇ……パとママはどこ……るの』
『わたし……子供を産みた……』
『……もわかってくれな……じゃない!』
『あなたは、だ……れ』
『あ……なたはわ……たし?』
視界はだんだん白の世界へと変貌していく。
霞みがかるように。
テレビ画面のざぁざぁとなる砂嵐のように。
そして、訪れる、
──静寂
……音は聞こえない。
映像が真っ白になったその瞬間、
──つながった。
ピントがあった、というか、チャンネルがあわさったというか。
今までのが嘘みたいに鮮明な映像……。
──それは、ある少女の半生のようだった。
そして、落下していく私。
……いや、落ちているのは私じゃなくて、白いワンピースの女の子?
──そして
目前に迫るアスファルト。
「いやぁっ、ぶつかるっ!!!」
「──くらっ!!」
「……らっ! さくらぁ!!」
(……シュート)
(──シュート!?)
頭がだんだんクリアになっていく。
つむっていたらしい瞼を開いてみた。
真上に輝く日差しが目に痛い。……そういえば今はちょうど正午頃だったな、なんて事を思い出す。
「シュート……わ、私、どうしたんだっけ……?」
起き上がろうとして、初めて仰向けに倒れていた事に気づいて、少し恥ずかしくなった。
「さくらっ! 大丈夫かよ!?」
私を覗き込む秀人の口からは心配の台詞と一緒に容赦なく唾が飛ぶ。……やめろ秀人。
私は体を起こし「大丈夫、大丈夫」と袖先で顔を拭った。
秀人にすがりつきながら両足に力を入れてみる。うん、大丈夫だ。痛いところはどこも無い。動く。立てる。
「お、おい……平気か?」
心配そうに私を支える秀人に、
「大丈夫、大丈夫! ちょっと貧血気味なだけだって……。──っ、ちょっと! いつまで抱き付いてんの!? 離れろっ!」
軽口を言い、ペシッと頭を叩いてみせた。
「痛っ……、なんだよ。……おい、本当に大丈夫か?」
私は踵を返し、店内へ通じる出入口へと歩き始める。
「だぁ~か~ら~、平気だって。シュート、早く行くよ!」
「ったく」とか「待てよ!」とかボヤく声も聞こえるが黙殺する事にして歩みを進めた。心なしかその足取りは競歩のそれに近くなってしまう。
……あれは何だったのだろう。
白昼夢……?
何にせよ気味が悪かった。
何か私の内側から漏れでるような靄。それに取りつかれ身動きが取れなくなるような感じ……。
そしてあの映像!
あの少女の目を通して見たかのような映像は、一体何か……。
私は振り返る事無く屋上を後にした。
──とにかく、
とにかく、そう、一秒でも早くここから離れたかったから……。