Ⅲ.~混沌~ 1.
Ⅲ、~混沌~
1.
気づくと、私は秀人の隣でうとうとしていた。
机の上で両腕を枕にして突っ伏していたせいか、腕がしびれてじんじんする。
頭を上げると、秀人は気配を察してか《日本の名城 中部編》と書かれた大判の書物をそっと閉じた。
「おはよう」
「……私、寝てた?」
手の甲で口元を拭う。
「……聞くまでもないだろ。まあ、いびきたててなかっただけ良かったよ」
「たてないもん」
ふゎあぁ~、と背伸びのついでに辺りを見渡すと、はたしてそこは図書館だった。
そうだそうだ、そういえば昨日の事件を調べてるんだった。
「なんか、細かい字見てると眠たくなっちゃうよね」
「…………」
「あのさ、何で『眠たい』っていうんだろ? 普通なら『眠りたい』だよね」
「は?」
「だって、『眠る』っていう動詞に、『~したい』って付けるわけじゃん? それで『眠たい』になるんだったら『帰る』と『~したい』で『かえたい』とか、『遊ぶ』で『あそたい』になってもおかしくないはずじゃない」
秀人は、う~ん、と少し考えてから、ああ、と言って続けた。
「……逆に『食べたい』とか?」
「逆? ……そう、『たべりたい』とか言わないし」
「たしかに。どっちでも意味が通じるのは『眠る』くらいか」
秀人は私のあくびが移ったのか、一つ大きなあくびをして「それで?」と言った。
「いや、お腹が空いたから何か『たべりたい』なと思って」
時間を確認してはいないけれど、私の腹時計に狂いはないはずだ。
たぶん、今は……18時。いや、18時15分ってところか。
「そうだな。もう6時回ってるし、そろそろ帰らないとな」
腕時計を「ほら」と見せながら言う。その文字盤には《18:11》とあった。……心の中で「よっしゃあ!」とガッツポーズを決める。
元の書棚に《日本の名城 中部編》を収めに行った秀人を待って、二人で図書館を後にした。
結局、昨日の事件の事は新聞には載っていなかった。三面記事や訃報を知らせる欄にも目を通してみたが、高校生の自殺を匂わせるものはなにもなかった。
図書館を出てすぐのベンチにカバンを置くと、秀人は携帯電話を取り出しアドレス帳から番号を探し始めた。
気を遣って少し距離を置く。
そこで自分も思い至った。あぁ、おばあちゃんに連絡しなくちゃいけない。今から帰ると7時半、いや8時を過ぎてしまうかもしれない。慌てて電話を開き、短縮ダイヤルをプッシュする。
(……ツー、ツー、ツー)
しばらくの無音のあとに聴こえてきたのは、お話し中を知らせるノイズだった。
パタン、と閉じて秀人を見ると、ちょうど電話を終えて向こうも私を見る。
「あのさっ、お婆ちゃんに電──」
「ああ、今、電話したぜ。『これから帰ります』って。さくらがするより俺から連絡した方が安心するかと思って」
さも平然と言う秀人。
……少しカチンときた。私は信用ゼロってか!
そう言うと、
「いやいや、そういう事じゃなくて。こんな俺でも用心棒代わりに思ってもらえればと──」
「用心棒? ……あんたが?」
ふっ、笑わせてくれる。片腹痛いわ。
腰に手を当てて、言い放つ。
「シュートみたいなのと一緒にいる方が逆に危険よ! 街のチンピラに『なんだぁ、可愛い彼女連れて調子ぶっこいてんじゃね~ぞ』とか言われて、からまれかねないわっ!」
どうよ、と言い切ると、秀人は即座に否定にかかった。
「いや、それは無い」
「──何故?」
「だってお前、可愛くな──っ、てっ、痛ッ、やめろっ! やめて、……やめて下さいっ」
みなまで言わせない! 言わせてなるものかっ!
私はカバンを振り回し、遠心力のチカラを借りて秀人をぶつ。ぶつ。さらに、ぶつ。
「わ、わわ、悪かった。冗談だって! ──そうだっ、クレープ! ストロベリースペシャル奢る!」
頭より、体が先に反応してピタッと手を止めた。
「……ストロベリースペシャルデラックス」
「……はぁ?」
「だから、ストロベリースペシャルデラックス!」
「…………」
やや、ためらいをみせる秀人を見ると、再びカバンを持つ手にも力が入るというものだ。
「──ストップ! 分かった、分かった」
どう、どう、と言いながら両手を突き出す仕種の秀人。
……わたしゃ、馬かっ!
チェーン店のクレープ屋でテイクアウトし、食べながら歩いていると、秀人は思わぬ事を口にした。
「明日、行ってみないか? その……昨日の現場に」
「──えっ?」
クレープを燃料として動いていた足も、これには止まった。ちなみに私の体は、お世辞にも燃費が良いとはいえない。
「んー、俺はあまり賛成したくないんだけど、……気になるんだろ?」
「…………」
こくん、とうなずく。
「だったらさ、行ってみようぜ、その現場に。何か分かるかもしれないし」
……確かに。街中での投身自殺が、ニュースにも新聞にも載らない事には疑問を感じる。それを差し引いたとしても、私には懸念が残る材料がある。
秘密を探ることは悪い事か……。少なくとも良い事じゃあない。隠そう、という意思が感じられるのならば尚更だ。
『毒を食らわば皿まで』ということわざがある。でも、『薮をつついて蛇を出す』というのもまた、ある。
クレープの柄にあたる包装紙をくしゃくしゃに丸めて、ごみ箱を探す。……ああ、あった。私はごみ箱に紙屑を捨てた。
「──あっ、うぉい!」
シャツの襟元から紙屑を入れられた秀人は奇声を上げた。
立ち止まり、見上げた先は果てなく広がりをみせ、透き通った空は宇宙を映す。
宇宙と地上の隙間は、赤く、にじんでみえた。
「よし、……行く。」
「……そっか。じゃあ一緒にいこう」
「えっ!? ……シュートも行ってくれるの?」
「ああ。そのつもりだけど?」
そう言ったじゃん、とうなずく秀人。
「……飛び降りだよ? まだ道路とかに、血がどばぁ~ってあるかもしれないよ?」
「そ、それは……、ちょっと嫌、かなぁ」
さすがにそんな事は無いだろうが、秀人は顔をしかめる。
「──でも、なんで?」
「は?」
歩きだそうとした背中が振り向いた。
「なんで付いてきてくれるの?」
「……まぁ、『乗りかかった舟』ってヤツ?」
ああ、そんな言葉もあったか……。
そうして私は、一歩を踏み出す。この一歩は何か、今までとは違う意味のある一歩のように思えた。
てくてく、
てくてく。
私たちはバス停へ向かって歩く。
「──でも、シュートって私の何?」
そんなことを言うつもりは無かったが、思わずついて出た言葉がそれだった。
「……何だよ、また」
今度は秀人が足を止めた。
「だって、私の保護者みたい」
「保護者ではないけど、俺たち幼馴染みじゃん?」
「『幼馴染み』にしたってオカシイよ」
「……さくら?」
私も再び足を止め、振り返った。
すぅーっと、夜をはらんだ空気を吸う。そして、言葉をはいた。
「だってシュート、彼女いるじゃん」