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九、悪質

 ◆



 自身が天才である、という自負は無い。

 確かに、問い(入力)に対する回答(出力)は早い。事典に載るような事柄なら大抵知っているし、その知識を構築して知恵とする方法も持ち合わせている。知恵を口頭や机上に留めず、形にする技術力も実行力もある。

 だが、それらが天才であるという理由にはならない。才知に溢れていたとしても、天を冠するほど優れているなんて烏滸がましい。

 知識量や実行力も、皆が持ち合わせている能力の延長線上に過ぎない。計算速度だって、ただ早いだけなら私以上の人間なんて探せばいくらでも見つかる筈だ。

 技術力や実行力は当然、本職に勝る筈も無い。一流の腕前には程遠い。

 結局のところ、何でも一人で出来たとしても、出来る程度は一人分のものなのだ。そして人とは、複数集まるからこそ力を発揮させるもの。一人の才なんて、比べたところでたかが知れている。

 いくら個で優れていても、それは人間本来の生き方に勝るものではない。三人寄らば文殊の知恵、とはよく言ったもの。私が文殊菩薩と双肩する知恵を持っていたとしても、人が集まれば同等になれてしまう。

 そう、私なんて存在は、人が何人か集まれば再現できる程度のものでしかない。そんなものが、天才などと言える筈も無い。

 無論、これは持論に過ぎない。一般的には、多才であれば天才であり、異彩を放てば天才だ。その評価を固辞するつもりはない。持て囃されて不快だからといっても、それを呑み込む度量も、偽りに喜ぶ心だって持ち合わせている。

 ただ、周囲の言う天才(評価)など私にとってどうでもいいものであり、そこに付随する自尊心などは在りもしない空想だと言うことを示しておきたかった。

 私は普通の人間に過ぎない――そう、心に堅く刻み込んでいた。謙虚でありたい訳ではない。事実を忘れないように、自分で自身の価値を誤らない為に。


 そう。

 私は私を普通の人間と定義していた。

 普通の人間ならば、出来ない事も分からない事もあるだろう。それは自然であり、是正出来たとしても必須ではない。人間にあるべき、愛すべき欠点。愛嬌のようなものだ。

 普通の人間であれば、出来ない事があってもおかしくはない――今まででも、出来ない事に出会っては、そう思って呑み込んでいた。

 だと言うのに。嗚呼、だと言うのに。何故、目の前の存在の正体が分からない程度で、ここまで感情を支配されなければならないのだろう?




 ◆



「それじゃあ、あたいは四季様のとこに行くから。大人しくしておいた方がいいよ」


 託児所に子を預ける親のように俺の頭を撫でた小町は、夜闇へと姿を消した。

 ……俺をどう扱いたいかを量りかねる別れ方をするのはどういう訳だ。


「まぁ、そんな事よりも、だ」


 改めて、慣れ親しんだ我が家へ向き直る。

 いつもなら気にも留めない門構えが、何故だか魔王の居城が如く威圧を放っている。

 勿論、そんなのは俺が勝手に気圧されているだけに過ぎない。築十数年の一軒家が、俺の眼に引っ掛かる筈もない。

 故に、何も考えずに帰ればいい。扉を開けて、若者らしい気怠さで「ただいま」と言いながら、さっさと風呂に入ってしまえばいい。汚れた服は適当に誤魔化し言いくるめ伏して謝れば一枚破損させた程度、どうとでもなる。

 何気ない日常に、数日ちょっと尾を引く程度の話題を家族に提供するなんて、俺の身に降りかかった事を考えれば、なんて事はないだろう。

 そう考えていながら――俺の足は、ぴくりとも動こうとしやがらない。


「……よし」


 喝を入れ、決断する。よし、さっさと家に入ろう。そうしよう。

 大きく息を吸って、視界を上へとずらし――二階の窓を捉える。

 玄関の上。二階の廊下の端にある、道路を見下ろす窓。そこの鍵がいつも開かれているのは、換気を滞りなく行う為であり、決して俺や兄貴の「後ろめたい事があるから帰宅を察されたくない時用の出入り口」となっている訳ではない。

 訳ではないのだが、そういった側面を持たせる事が出来るのだから仕方がない。今こそ、その特性を遺憾なく発揮して貰おうじゃないか。

 塀に足を掛け、雨どいを留めているボルトにつま先を乗せ、無限の彼方に行くぞとばかりに跳躍を決め――


「何してるの」


 ――ようとした所に、聞き覚えのある声が俺を呼び止めた。まんま泥棒の格好の保ちつつ、道路の方へ振り返る。

 赤い革の上着に、青い長袴。風に靡く長い黒髪は、街頭の光を受けて艶めいていた。

 その顔も、声同様に知っている。先ほど小町と話したせいだろうか、噂をすればとやらだろうか。脳裏ではそんな事を思いつつ、平静を保てていると自分では思っている声で挨拶する。


「……こんばんはリンさん。良い夜だ。お散歩ですかね」

「こんばんは。ええ、いい夜ね。散歩していたの」


 にこり、と微笑む女性。だが俺は知っている。この人の微笑みは殆どの場合、会話を円滑にする為の小道具でしかなく、感情など一切こもっていないのだと。


「で、何してるの」

「ちょいとばかし障害物競争の練習を」

「家の人に出くわさず悟られる事無く家へと入ろうとしているんじゃなくて?」

「はははーそんな訳ないじゃないっすかー」

「じゃあ今呼び出してみましょうか」

「すいません勘弁してくださいお願いします」


 この躊躇の無い対応! あんまりだ。ノリに乗ってくれやしない。いや、まだ言葉にして揺さぶられただけましだろうか。

 しゅた、と飛び降り、直角近くまで腰を曲げて頼み伏す。


「どうせ家に入れば会わなきゃいけないのに、なんで避けようとするのよ」

「いやその、今はちょおっと顔を合わせにくくて……」


 というより、会わないつもりなのだが。

 曖昧に答えて乗り切ろうとするが、多分に俺は甘かった。目の前の女性は、俺の喉元にある言葉にだってしっかりと耳を傾けてしまう人だと分かっていた筈なのに。


「行く宛、あるの?」

「へ?」


 数段飛ばした回答に、間抜けな声しか出ない。おいおい、脈絡の無い言動をしてばかりで唐突な展開してたら飽きられるぞ。


「あら、私はてっきり、説明することも難しい何らかの事情が身に降りかかったから家族に会えなくなる事になって、その準備としてお金なりなんなり持って家出でもしようとしていたのかと思ったのだけれど」


 違ったかしら、と首をかしげる姿に、畏敬と共に諦めの感情を抱く。

 ああ――そうだった。この人にとって謎解きや推理なんかは二の次、御手洗いにでも流す程度のものでしかないのだった。前提として、答えは全て見えているとしなければならない。会話の位階も飛躍的に増すというものだ。内容ではなく、会話自体、なのだが。


「相変わらず、無茶苦茶話が早い事で。兄貴が嘆いてました通りだ、小噺をしようとしても、オチを先に言われて勝手に笑ってるからどうしようもないって」

「静雄君がそんな事を? けど、私を笑顔にしたかったのだったら、経緯はどうあれどうでも良かったんじゃないの」

「なんで笑わせたかったのかなぁとか、そこら辺も考慮してやってくれればいいのに……」


 静雄とは俺の兄貴の名だ。この頭脳明晰な才女の一番の被害者の名でもある。

 よくもまぁ、こんな奇人の隣に居ようと思えるものだ。

 ……小町に言われた「周囲におかしなものなんてないと思っているのは当人だけ」というのが、ものの見事に当て嵌まっているのが嫌に気に入らない。


「私も理解はしているつもりだけど、今はそんな事を話していていいのかしら?」

「そう言うと?」

「こうやって玄関先で喋っていたら、中にだって聞こえてしまうかもしれないわよ」


 急ぎ振り返る。幸いな事に、家の中の明かりが付いた様子は無い。思わず胸を撫で下ろす。


「じゃあ、行きましょうか」

「……どこに?」


 この場を離れるというのは分かる。――家出しようとしていると推測した人間をさっさと家に放り込もうとしない温情も、分かる。

 しかし、さも行先が決まっているかのような素振りで言われると気になるものだ。この頭の回転が速すぎて止まって見える人は、常人の考えと合わせてくれている事が少なすぎる。


「私の家」


 当然でしょう、とでも言いたげな表情を見ると、俺は未だにこの人との会話を成立させる訓練が不十分なのだと理解させられる。

 しかし同時に、少しばかりではあるが気が楽になっていた。そこらの公園で適当に話を聞くのではなく、家にまで招いて事情を聴いてくれるというのは、望外の喜びだった。


「不満?」

「んなこたぁない。そりゃあ、ありがたいけども……その……俺の恰好」


 夕暮れ時の諸々や、路地裏をうろちょろとしたせいで、俺の服は大分汚れている。

 そんな風体で家に上がるのは、やや抵抗があった。


「別に構わないわ。小さい頃も、池に嵌まったまま家に来た事あったでしょう?」

「よくまぁそんな昔の事を覚えてるもんですね」

「思い出すのが速いだけよ」


 俺の遠慮などお構いなしに、スタスタと前を歩いていく。

 その振る舞いは、ガキの時分でお世話になっていた、近所の面倒見のいいお姉さんというかつての憧れの存在を想起させる。

 あの頃はもう少し楽しく話せていたと思うのだけれど、時の流れっていうのは残酷だ。あるいは、あけすけなく話せなくなった我が身を呪うべきだろうか。


 ものの数分で、リンさんの家に到着する。築ン十年のボロい集合住宅、その一室。幼い頃、兄弟そろって毎日のように遊びに行っていた事を思い出す。かつては此処に彼女の両親もいたが、今は彼女ひとりだ。

 見た目に反し、音も立てず滑らかに開かれた玄関扉。招かれるままに、その敷居を跨ぐ。


「少し汚れているけども、我慢してね」


 口ではそう言っているものの、俺にはどこが汚れているのか分からないほど整っている。埃もゴミもまるで落ちていない廊下は、内履きを履く習慣の無い俺でさえそのまま踏み入れるのを躊躇うほど。

 物を置いていない、と言うほど生活感が欠如している風ではなく、住宅展示場に近い印象を受けた。外壁、雨風や埃と日の光に晒され薄汚れた壁とはまるで異なる白い壁紙は、その印象を強くさせる。

 出された座布団に座る。何か飲む、お菓子でもどうぞ、寒くない。何も此処まで、と思うところまで世話を焼かれ、ちゃぶ台の上に二つの湯飲みと煎餅の入ったお盆が置かれたところで、ようやく落ち着く事が出来た。


「それで」


 理知に満ちた瞳が、俺を見る。


「何があったの?」


 含意が多すぎる問い掛け。いくらでも茶化す事が出来る言葉だが、今の俺にとってはありがたいものだった。返す言葉の形式を選ばないのだから、俺の身に降りかかった出来事を話すには丁度良いものだろう。


「……実は、」


 だが、本当に話していいものか? いくら相手の頭が良かろうとも、それは常識の範疇での話。非現実的なことなんか、門外漢だろう。こうやって話す席を設けているのは、たとえば俺が人を殺しただの、脅されて金が必要だの、考えられる範囲での答えを求めてのものだろう。

 だからここは、それらしい事でも言っておけばいい。程よい熱さのほうじ茶を啜り、舌の滑りを良くする。


「ああ、あなたが水元鉄生に似たナニカって言う事は分かっているから、変に誤魔化さなくても良いわ。過程が知りたいだけだから」


 ――温まっていた筈の口内が、途端に固まる。

 事もなげに言われた言葉は、その軽さとは裏腹に、俺の頭をガツンと殴り付けた。


「ああ、やっぱり。その様子だと、自覚はあるのね」


 続く言葉に、逸らしていた目線を合わせざるを得なくなる。

 先ほどから変わらない、知性を灯す瞳。驚きや動揺、畏れは無いように見える。

 何かが、俺の勘と噛み合わずに空回りしている。


「何があったのか、教えてくれる?」


 促す言葉に、力は無い。一連の出来事の中で出会った人たちと比べれば、魂を泡立たせるような忌避感など何処にもない。

 たとえ忌避感など無くても、この人の言葉に答えなければならない。俺が戯言を弄したとしても、この人は必要な言葉を聞くまでは、何も変わらずに問い続けることだろう。

 俺のよく知る人間に、そんな事をさせ続けるのもの、やられ続けるのも、堪ったものではない。


 思い返すと、取り留めのない独白だったと思う。

 今日という一日を振り返り、俺の口で語る。存外に難しい事だった。今までの人生で触れ得ない体験、それを言葉にするだけでも一苦労だ。兄や両親に言ったところで「寝言は寝て言え」と蹴り出されていた事だろう。

 だから、俺の言葉を笑わず、茶化さず、真面目な顔を崩さずに最後まで聞ききった彼女は、やはりどこかおかしいほどに頭がいいのだろう。

 冷たくなった茶を飲み切る。喉を通る液体に、話し疲れた喉が戦慄く。

 唯一の聴衆は、全てを聞いて思索するように目を瞑っている。


「その、リンさん」

「なに?」


 瞼を閉じたまま答える姿は、邪魔をしているような気になり少し座りが悪い。

 だが、人に話し掛けられた程度で彼女が思索を乱すことなどないのは知っている。


「俺、そんなに変わってるのか。一目で分かるほど、おかしくなってるのか」

「少なくとも私は、すぐに分かったわ」


 いつもと同じ、即座に返される答え。

 その迷いのない言葉と、考える余地を与えない速さが、今は恨めしい。


「何を見て、分かった?」

「全部。今までの水元鉄生とはまるで違うのだもの。同じなのは見た目だけ」


 部屋の隅に置かれた姿見を見る。映っている男は、俺が毎朝洗面台で見ている顔と同じ筈だ。

 たとえ吐きそうな酷い顔をしていても、それは変わっていない。少なくとも、俺の目にはそう見えた。


「だから言ってるでしょ。見た目は同じだって。けど、それ以外が水元鉄生とは違うのよ、貴方。人の眼球に意識をやって、こそこそと虚空にある何か(雑霊)を潰す手遊びをして、おっかなびっくり歩いている。そんな知り合い、私にはいないもの」

「よく見てるなぁ、本当に」

「けど、そんなものは全て結果。違うという事実は分かっても、何故違っているのか、分からなかった。仮定は幾つも並べられても、確信が得られない。もしかすると、抱いていた差異は気のせいなのかもとまで思うほどに」


 俺が昔から良く知る女性は、俺を見ている。

 水元鉄生は既に記憶へと仕舞い込み、今現在の俺を見ている。――観察している?

 その美しい顔こそは知っている。だが、色を失ったとでも形容すべき形相は、かつて見た事の無いほど冷ややかなものだった。


「あなたの話で理解できた。実証はこれからでしょうけど、得心がいったわ。岡崎さんの話も、あながち間違いじゃあなかったのね」


 奇妙なほどの饒舌。そうだ。勘に噛み合わない違和感は其処にある。何故この人は、ここまで語っているのか。俺に説明する為? いや、俺が水元鉄生ではないと言っているこの人が、わざわざ見ず知らずの俺にそんな事をするとは思えない。親切心? ますます無い。心折だったら理解できるが。

 であれは……であれば? 話をするわけでなく語るというのであれば、それは単純な文言が当てはまる。


「リンさん、興奮してる……?」


 そうとしか思えない。表情からは読み取れない。だが、やや早口気味の口調、つらつらと流れ出る単語なんかは、理性で抑えているものが溢れようとしているのだと思えば分かる。

 落ち着いて話そう。折角お茶を飲むくらいの余裕はあるんだ。何も暑くなる必要はないじゃないか。

 諸々の言葉を思い浮かべ、何が相応しいかを思い浮かべる。だが、どうにも思い付きがこない。こんな彼女は初めて見るのだ。対処の仕方が分からない。

 そうして考えている内に――えらく、静かになっている事に気付いた。



 ◆



 静かになっている。

 間違いなく、意識は闇へと落ちていることだろう。水元鉄生に酷似した存在は、その動きを止めていた。


「……効き目が出るまでの暇潰しと思ったけども、少し語り過ぎたかしら」


 呟きに、目の前のモノが答えることは無い。卓袱台に突っ伏したまま、身動き一つとろうとしない。

 もっとも、動けるようなら収容が難しくなる。是非ともこのまま朝まで寝ていて欲しい。

 眠り薬と言えば簡単だが、未知の生命体が相手だったのだ。効くかどうかも賭けだった。


「悪いとは思うけれど、仕方ないわよね。このまま放っていた、どこかに消えてしまうでしょうし」


 貴重な資料をみすみす手放すわけにはいかない。

 それなら、こういう処置も仕方がない事だろう。同意は得られなくても、理解はしてもらえると思う。

 目覚めても暴れられぬよう、成人男性の平均とほぼ同等の大きさの両手の親指に結束縄を留める。

 されるがままの体を少し触るが、触感は人体と変わらないように思える。

 さて、それではその中身はどうなのか。車を呼び出しながら、私は無数の可能性を思索していた。

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