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八、悪罵

 夜道を歩く。


 同行者である小町は何も語らず、俺の後ろを歩いている。俺自身も話すタネは無い。馬鹿話でもして場を和ませるくらいの機転があればいいが――俺がそんな才に恵まれているかどうかに関わらず、今この場では、安易に口を開くのは憚られるだろう。


 夜道を歩く。遠い場所で、人々の喧騒が聞こえる。


 衆目に晒される道を歩く気にはなれなかった。事の起こりを想起してしまう事もあるが、今の俺の顔は人様に見せられるものではないだろう。造形でなく、顔色だが。


 夜道を歩く。遠い場所で、人々の喧騒が聞こえる。何故か、ひどく懐かしい気がした。


 一日どころか半日も経っていない筈なのに、人恋しく思ってしまうのは何故だろう。実際に人がいる場所へと向かうのは嫌だが、それとは別に――嫌だからこそ、反転した欲求が生まれてくる。一種の破滅願望めいた、変化を求めての衝動だろうか。


 夜道を歩く。


 俺の内に在るものがどういうものかを知るのであれば、今うしろを歩いている死神にでも問い掛ければいい。もし知っているのであれば、彼女は教えてくれることだろう。……四季映姫とのやり取りを聞いた限り、さも当然とばかりに「知らない」と言ってきそうなのが想像出来てしまうが。


 夜道を歩く。ちらりと見えた大通りは、不夜を象徴するかのように、飾燈の文字が煌めいていた。


 『竜神』とやらについて聞いたとしても、知ったとしても、それが好転材料になるとは限らない。むしろ、より一層の不安要素になるかもしれない。罪を犯すような存在なのだから、そうならない可能性の方が低いだろう。


 夜道を歩く。ちらりと見えた大通りは、不夜を象徴するかのように、飾燈の文字が煌めいていた。

 何の思い入れも無いその光景が、唐突に孤独の心象を叩き付けてくる。


 俺はもう、あの光の下には行けないのだろうか。こうして遠くから見るしかなくなるのか。普段は気にも留めないだろうに、こんな時にばかり後ろ髪を引こうとしてくる。溜まらず駆け出したくなるが、視界に入る雑霊がそれを止める。見えるべきじゃないものが見えているお前に、立ち入る資格などないとでも言うかのように。


 夜道を歩く。


「あの、さ」


 蚊の鳴くような声に振り向く。落ち着きなく動く手先は、この沈黙が耐えがたいものなのだったと伝えてきているかのようだ。


「あたいは口が上手くもないし、四季様と同じ側だし、何を言っても腹立つかもしれないけどさ」


 一語一語をしっかりと選ぶ小町。不真面目な気質は鳴りを潜め、心情を汲もうとしてくれていると良く分かる。


「あたいらも、現世の人間に迷惑を掛けないようにしたいんだ。それは規則とか、そういうのがあるからじゃなくて、単に困らせたくないんだよ」

「――その割には、厄介なものが俺に入り込むのを防げなかったけどな」


 思わず憎まれ口を叩いてしまう。言ってしまってから後悔の念が湧いて出るが、吐いた唾は飲み込めない。

 小町は俺の言葉に、申し訳なさげに身を縮める。


「それは……ごめん。あたいらの落ち度だ。でも、これ以上、これ以上は迷惑を掛けたくはないんだ。四季様だって、冥界に連れて行くのなんてやりたくはない筈だよ。あんな淡々とした風にはしてるけど、苦しい決断をしてるんだ」

「だから、それに応えろって? そいつは良いや、気持ちを推し量ってやらなきゃならないだなんて、俺らにはぴったりな刑罰だな。その心遣いは涙が出るほどありがてえよ」

「違う、違うよ、そうじゃない。鉄生がつらいのも分かってる。だからこうやって、選んでもらおうとしてて――」

「はんッ、どうだか。本人がそう言ってるかよ。さも内心を語ってる風にして絆そうとしてやがるだけだろう。つらいって分かってもらえれば、理解してもらえば、折れてくれるに違いないって」

「鉄生……」


 口を開くたびに、目の前の女性が傷つくと分かっている。だが、言わずにはいられない。内容なんてどうでもいい。悪言で怯ませたい。苦しめたい。文句を言いたい気持ち以上に、後悔を塗りつぶしてくれる嗜虐心に身を任せたい。


「大体、口で詫びなきゃ詫びにはならないだろうが。気持ちではこう思っていて、だなんて誰が分かるってんだ。甘言弄せば転ばせるのも簡単だろうと嘲笑っていても、俺には分かりゃしねえんだ。それなのに、さも真実かのように、本人でもないお前が言いやがって。どんな説得力があると思ってるんだ」


 言ってはならない事を言っている悦楽。忌避すべき事をしてしまう快楽。不思議な昂揚感を与えるそれは、同時に俺の胸を締め付ける。


「俺の人生はどうなる? 俺の送る筈だった生活はどうなる? 俺の周囲の人間はどうなる?

 唐突に出てきた竜神とやらのがまだマシだ。なんやかんやと理由を付けて人を連れてこようとする奴よりか、よっぽど理不尽でいてくれる。こっちに考える暇なんて与えさせないからな。そうなるしかない。

 そっちはどうだ。『考える時間は必要』? ああ、そうだろうよ。異常を身に抱いて自分ひとりで考えてれば自然と至るだろうよ。助けを乞う以外に無いんだと。あたかも俺の意思で選んだように、俺はあんたらに連れてかれなきゃいけなくなる! 悪質だ、ああ、悪質だ。善意に見える分、余計に悪く目立っちまう」


 もっと、もっと、もっと――舌鋒が火を噴くかのように熱く走る。それは最早、ただ言いたいが為の文句に過ぎない。感情に任せている癖に、感情の伴っていない言葉の羅列。ただ相手を不快にし、悲しませ、傷つけるだけの台詞。


「――ごめん」


 ごく単純な、謝罪の言葉。小町の一言で、俺自身に感じていた熱が嘘のように覚めてしまったのが分かる。

 後に残ったのは、言ってしまったという後悔と、言っていた自分への恥辱。


「……いや、俺も、悪かった。熱くなりすぎた」


 本来なら、もっと深く謝罪するべきだろう。こんな程度しか謝れないのは、一欠けら残っていた自尊によるものだろうか。呑み込めるなら呑み込んでしまいたい。

 気まずいではすまない空気が流れる。ごまかしようがない。溜まらず歩き始めるが、心を誤魔化せるとは思えない。

 ……人に当たってもどうにもならないだろうに。ここまで苛立っていたのか、俺は。

 夜道を歩く。浮世じみていた雰囲気は一転し、惨めな気分でいっぱいだった。


「――鉄生の家族は、どんな人たちなんだい?」

「は?」


 ほぼ反射で聞き返していた。

 内容が聞こえなかった訳じゃない。小町の声は聞き取りやすい。いや、そういう問題じゃない。ついさっきまで口論してた相手にすげえ自然に聞いてきてるけど気まずさとかそういうものは無いの?


「え? 今気まずかった?」

「少なくとも俺は塵になりたいくらいに気まずかったなぁ……」

「だって、ほら。あたいも謝ったし、鉄生も謝った。さっきの話はこれでおしまい。次の話題は、鉄生の家族。ダメ?」

「いや、別に、ダメじゃあないが、その」


 切り替えめっちゃ早いのな、死神って。いや、これは小町だからだろうか。小町だからだろうなきっと。

 僅かながらに残っていたしこりを凄まじい勢いで吹き飛ばしていった質問に、少しばかり考えてから応える。


「別に、普通の家族だと思うぞ。会社務めの父親に、専業主婦の母親に、年の離れた兄貴。それくらいだ」

「いやいや。自分の家族を普通だと思うのはその人だけだよ。考えてごらん、ほかの家と何かしら違う点がある筈だよ」

「そんなもんか? ……というか、なんでそんなのが聞きたいんだよ」

「仕事中の定番話だよ。案外、思ってもみない家があったりするから面白いんだ」


 いい趣味だこと、とは言うまい。

 しかし、思い返してみても特異な点があるとは思えない。俺にとっては彼らこそが普通なのだから。


「……強いて挙げるなら」

「おっ、挙げるなら、何だい?」

「すげぇ食いつくのな。……兄貴の恋人、かなぁ」

「ほう、なるほど。まぁ恋人も殆ど家族と言えば家族だしね」


 恋人というと兄貴の一方的な恋みたいだが、勿論双方合意のお付き合いをしている。

 ただ、身内に対して彼氏彼女と言うのは何か、俺の中で抵抗がある気がして――と、そんな話はどうでもいい。


「大学だかなんだかで先生やったり、色んな研究所で手伝いやってるとか、よく分からんけど頭良い訳なんだよ、その人は」

「才女って訳だ。ちなみにお兄さんは?」

「普通」

「顔が? 頭が?」

「両方」

「へーえ」


 微妙に失礼な会話をしていた気がするが、まぁいい。


「兄貴とは不釣り合いなほど美人だし、頭もいい。それだけでも変わってるって言っていいだろ、たぶん」

「ふぅん。ちなみに、鉄生はどうなんだい?」

「……何が?」

「またまたぁ、惚けちゃってぇ。好きな子くらいはいるんだろう? え?」

「おっと、ここを曲がればもうそろ家だなー」

「分かりやすいごまかし方をするなー、こいつめぇ」


 別にごまかした訳じゃないし。さっさと家に帰りたいだけだし。

 にやにや笑いの死神は変わらず意味深な目線を送ってくる。


「で、彼女は?」

「追及するのかよそれ……」

「良いから良いから。ほらほら、言ってごらん言ってごらん」


 ぐいぐいと腕を絡ませてくる小町。数分前に散々悪口言われた相手にこれだけ言えるのって才能の一種だわ。

 ……いや、まさか、それの仕返しでこうしてるのか? こわっ。


「彼女なんざいねーよ。面白みがなくて悪いがな」

「うわぁ本当に面白くないしつまらない」

「悪かったなぁ!」


 自分で晒した傷口とはいえ、そこに塩を塗りこまれるいわれはねーぞ。

 無慈悲な言葉を投げ掛ける小町は、口元に手をやったまま言う。


「いやだって、恋したいと思ったりとかしない? 家族にそういうのが居れば、自然と欲しくなるんじゃない?」

「何だその微妙な経験則のような言葉は……」

「受け売りだけどね。こないだ乗せた魂がそんな事言ってたから」


 めんどくせえ情報渡しやがって。


「人によるだろ、そんなの。俺はまだ、そういうのはいいよ」

「そんなものかぁ。けど若いんだから、枯れた風に装わずにいた方が受けると思うよ」


 枯れてもないし、装ってもねえし。

 ……いやでも、きょう一日のを見返してみると、なんか男としてどうかと思うようなところもあるような……いやいや。あれだ、憑依されてるせいだ。うん、きっとそのせい。俺は悪くない。

 体の内から抗議文が届くかどうか少し心配になりながらも、務めて平静で小町に宣言する。


「俺は、誰かに憧れて恋なんてしねえよ。好きな相手が出来れば、その人へ一直線に行けばいいんだから」


 そう。兄貴が恋してようが、同年代全員が結婚して両親から催促が来たとしても、それは変わるまい。

 自分以外の原因で恋をするなど、ちゃんちゃらおかしい。好きになった人が出来れば、それでいいんだ。

 問題は、今のところそういう女性に会った事が無い事くらいか。


「それ、断られたら自殺するような気質なんじゃないかい」

「そこは、ほら、その……こっ、断られないように努力すんだよ! 言わせんな恥ずかしい!」

「努力とかじゃなくて、『相手を惚れさせるんだよ!』くらいは言わないと。大丈夫大丈夫、ツラは悪くないんだから、後はそのへたれをなんとかしなよ」

「誰がへたれか!」


 その評価に対しては断固抗議する。

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