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七、嘲罵

「魂や霊気は、肉体と違ってそれほど形に捉われません。あなたの魂が修復されたのも、その性質を生かしての事でしょう。本来であれば、形ばかりの目や耳を潰されたところでその機能は失われない筈なのですが、あなたの場合は事情が異なった。体からそのまま抜かれたばかりに、魂すらも体の性質を複写したままになっていた。断たれれば血は流れずとも動かなくなる。それほど肉体に寄っていた状態だったのです」

「はぁ、なるほど。なんかその言い方だと、魂ってのは何の形にもなるし、どんな形でも普通は意識や機能はそのままって事に聞こえるですけども」

「形を削ぎ落とした結果である人魂でも、話す事も聞く事も見る事も可能ですから。

 魂はそういった外見上の変化には頓着しません。むしろ問題なのは、先ほど言ったように体の性質を複写する、という部分にあります。魂は、物質的にも霊気的にも、外部からの情報を記録してしまうように出来ています。長く触れるものからはより一層。魂だけになっても記憶が連続しているのは、そういった理由があるのです。その間、肉体に記憶が残らないからこそ、魂が肉体に戻っても重複した記憶による齟齬が起こらないと思われますが……」

「確かに俺も、魂が抜けてる間、以前の記憶もきちんと思い出せてたなぁ……肉体の方が俺を見てる記憶は無いから不気味だけども」

「やはり、体のみが動いていた記憶はありませんか。まぁ、予想は出来ていた事ですが。問題ありません。

 とにかく、魂が一時欠けたとしても修復され肉体に戻った今、問題が出ていないのであれば、心配する必要はありませんよ」

「そう言ってもらえれば安心出来ます。ところで」

「はい?」

「そちらの頭を抱えている死神さんについては」

「心配する必要はありませんよ」

「いやでもさっき」

「心配する必要はありませんよ」

「頭蓋が砕けるような音が」

「心配する必要はありませんよ」

「あっはい」


 納得したのは決して圧力に負けたのではなく、心配する必要などなかったからだ。断じて。


 この状況を説明するには、時を四半刻ほど遡る必要がある。


 俺が俺と面を合わせて絶叫し、俺が俺の体へと戻ってから、俺は小町から大まかに事情の説明を受けていた。

 しかしまぁ、彼女の性格が災いしてか、起こった事態の複雑さが良くないのか、長々と語る割には非常に分かりにくい。というよりは無駄に情熱的に語ってくれる。

 その瞬間瞬間の感想について好奇心半分辟易半分といった具合に聞いていると、少し前に感じていた気配を薄らと感じ取った。

 焼くような刺すような霊気。しかし気配は一瞬で、小町も気付いた様子は無かった為に、俺は何も言わなかった。――おそらくそれが、彼女の頚骨や頭蓋の命運を分けたところなのだろう。

 暫く話を聞いていると、小町の頭部から鈍い音が響いた。ボグン、とでも書き表せばいいような音と共に、小町は何の余韻も残さずに倒れ伏してしまった。

 また厄介者か、と思いつつ体は即座に逃げる準備をしたが、小町の後ろに立っていた者がそんな俺へと声を掛ける。


「小町が世話になりましたね。私の名は四季映姫。あなたの名前を聞かせてください」


 つい今しがた人(正確には死神)を殴り倒したであろう棒を両手に持ったまま名前を要求する、四季映姫と名乗る少女。小柄だが、その身を包む装束は大仰だ。目を引くな装飾が施された帽子や服だが、その実、華美とは真逆。

 質も実も伴ったこの姿が、この少女のあるべき姿なのだと。初見だと言うのに、何故か俺はそう確信していた。

 ついでに、俺の直感が叫んでいた。この人へは逆らう事が許されない種類の人だと。


 そのまま乞われるままに名前を言い、分かる範囲で事情を語り、心配していた欠損した魂についての講義を受けていた、という次第である。


「さて。小町、そろそろ起きなさい。大袈裟な格好をして、それほど響いてはいないでしょう」


 これが下手人の言葉なのだから、小町がどういう扱いを受けているのか推して知るべしというものだろう。


「……もう少し温情があっても良いんじゃないですか。さすがに不意打ちはキツいです、四季様」


 ぞんざいな扱いに耐性でもあるのか、小町はすんなりと立ち上がった。ぼやく言葉に、四季映姫は溜息で返す。


「悔悟棒の重さは貴方の罪そのものよ。恨むべきは普段の素行でしょうに」

「それを言われるとなぁ」


 乾いた笑いで誤魔化す小町。誤魔化せているとは思えないが。

 ……罪の重さ云々はともかく、不意打ちに関しては文句くらい言ってもいいのでは。


「と言うか四季様遅かったですね、体だけ動いたっていうのに。あれですか、慣れない自主休憩でもしてたんじゃ……」

「おや小町。口先だけで罪を重ねようとするだなんて、今日は随分と挑戦的ですねぇうふふ」

「じょーだん、冗談ですから。部下と上司の間で笑い合うだけの軽口ですから。だから良い笑顔するの止めて下さい」


 俺が上司で部下がこういう奴なら不意打ち食らわせても仕方ないかなあ。


「さすが、自主的な休憩の玄人は言うことが違うな」

「なんだ鉄生、分かってないね。休憩時間しか休憩しないのなんて三流のやり口だよ。本物は仕事を完璧に理解して、力の抜き所を弁えて、その上で力を0しか入れてないだけなんだから」

「得意気に語って良いことじゃねぇからなそれ」


 お前の隣にいる上司が棒を握り直したのは見間違えじゃあない。

 しかしこの場でこれ以上折檻するつもりはないのか、こほん、と咳払いをするだけに留められた。弛んだ空気が引き締まり、小町の顔も真面目になる。


「ある程度の事情は、水元鉄生から聞きました。その中で、逃げた怨霊の言うところの魔眼が、水元鉄生にはあったそうですが、間違いありませんか」

「ああ、はいはい、そうです。本人に自覚は無いようですが、間違いないです」

「能力は?」

「曰く暴き、見破る、見通す、だとか。あたいの鎌や六文銭も、軌道を見破られて躱されましたよ」


 おそらくは、俺の目の事を言っているのだろう。だが、俺としては実感の無いものだ。

 こういう状況は好きじゃない。俺の話題なのに俺が入れないなど、ロクなものでないと相場が決まっているだろう。


「見破る眼、ですか。少し失礼」

「んあぁ!?」


 突然、ぐいと動かされる視界。四季映姫が俺の顎に手をやり、真正面で向き合うようにしたのだ。

 じっ、と俺の目を見る瞳。磨き上げられた石のように、その艶めきは滑らかだった。


「……ああ。そこに、居るんですね」


 誰に聞かせる訳でもないような、小さな呟き。込められた情念は、俺に向けてでは無いだろう。

 顎から手が離される。華奢な指先の余韻はない。

 何かに浸る事など許さないほど苦しい圧力を、目の前の閻魔は放っていた。

 俺の目――妖しい眼を見つめていた眼差しは、この時初めて、『俺』自身を見つめていた事を、ぼんやりと理解した。


「水元鉄生。貴方の体と魂に起こった異常の原因は、今もその体に居ます」


 噛んで含めるように、俺へ語り掛ける四季映姫。

 黙って聞くことしか、俺には出来ない。


「そして、その原因こそが、私たちがこの場にいる理由。そこに居るものを冥界へと連れ帰るのが、私たちの使命です」


 お堂の前で小町を責めた一件を思い出す。

 全てを承知で俺へ気を掛けたのか――そんな考えが頭を掠めるが、呆けた顔をした小町に腹芸が出来るとは思えない。


「……いったい、俺の中には何がいるんです?」


 台詞の隙間、わずかな時ですら沈黙が我慢できない。促されるように、目の前の少女へと問い掛ける。


「神から授けられた号を捨て、己を示していた名すら無くし、ただ役割としての呼び名を持つ妖怪。

 ――『竜神』。それが、貴方の中に居るものです」


 何てことは無い、そこらの神社でも聞けそうな一般名詞。俺に思い当たる事など、何一つ在りはしない。

 しかし。その名を聞いて、疑問に思っている自分がいないことに気付く。ああ、そうなんだ、と、反発もせずに納得している。


「神なのに、妖怪? 四季様、それ、あたいは初耳なんですけど」

「貴方には三日前に説明した筈なのですが」

「ははは」


 当然の様に小町は笑ってごまかそうとする。さぞ上司は呆れている事だろうが、それを共感する事は出来ない。

 俺の中に、いったい、何があるというのか。知らず爪を立てていた胸。肉の痛みは、出所の知れない疼きを忘れさせてくれない。


「単に、八大竜王の使徒として取り立てられただけですよ。故に神性を下賜され、神を名乗っているに過ぎません」

「ふぅん。けど、竜神だなんて、紛らわしいにも程があるでしょうに。あの地に御座(おわ)した神だって、龍神様と言われていたんじゃあないですか」

「竜とは現世に生きる蛇が齢を重ねた、言わば霊獣の類。一方、かの龍神様は龍、その在り方は生まれた時から変わらない、絶対者たる神。竜神とは、現世の者が神となった証として付けられた称号であり、役職なのです」

「ええっと……竜は蛇、龍神様は最初から神って事でよろしいんで? 音にすると分かりにく過ぎですけど」

「簡単に理解するなら、それでいいでしょう」


 二人の会話が終わり、こちらへ四季映姫が向き直る。


「竜神は、ある罪を犯しました。かの地にてその身を贄としたものの、神を隠して逃げてしまった」

「神を、隠す……? 神隠し、じゃなくて?」

「はい。竜神は、最高位の一角、龍神様を()()()しまった」


 思わず聞き直しても、神を隠したとしか言わなかった。

 よく、身分の高い者が死んだ際には「お隠れになった」なんて言うけども、もしや――


「そうですね。影も形も消えてしまった龍神様は、もしや亡くなられたのかもしれません。しかし、ただ死ぬだけでも神という存在はその痕跡を残す。それすら無いような去り際なんて――隠した、と表現する他無いのです」

「神隠しの主犯でも居ればいいのに、そいつもいなくなっちゃってるからなぁ」

「そちらも捜索対象ではありますが――まずは、貴方だ」


 向けられた笏は、今の俺には剣の切っ先のように見えた。


「幻想の都を滅ぼした罪。それは、必ず裁かれなければならない」


 唾を飲む事も出来ない。声を発する事も許されない。殺意などというものであれば良かった。俺が死ねば霧散するであろうから。

 だが、目の前のモノが発する気配は違う。断罪。死ぬ程度で罪を償うなど許さないだろう。結果として死ぬのだろうが、それすら生温いものに違いない。

 知らず、歯が鳴っていた。がちがちと震わせていた。畏れていた。慄いていた。



「――と、此処で裁ければ良いのですが」


 またもや、溜め息。畏れていた気配は霧散する。肺が酸素を求め、応じた喉が咽る。

 ごほっ、ごほっ、と苦しみながらも、四季映姫の顔を見るが、その表情は芳しくないと分かる。


「あーびっくりした。四季様、そのままやっちゃうのかと」

「しませんよ。彼は竜神の罪とは関係なく、ただの現世の人間なのですから」


 ただ。笏で口元を隠しながら、四季映姫は言う。


「竜神は、私にも気取らせない程の奥深くに根付いてしまっています。おそらくは、水元鉄生の霊気を喰らい、復活を目論んでいるのでしょう。下手に引き剥がせば、人間の体ももたなくなってしまう」

「それじゃあ、どうするんで? まさか、このまま冥界に運ぶって訳にもいかないでしょう」


 茶化すように小町は言う。だが四季映姫はその言葉にあっさりと頷いた。


「そうするしかないでしょう。現世で何をするにも不足しています。あちらへ行けば、その手のものが巧い者もいる」

「えっ、四季様本気です?」

「もちろん。私が冗談を言うとでも?」

「ええっと、言ったあたいですら冗談だと思うようなことに頷くようなお人じゃないと思ってたんですけど……」

「最善の策であれば、誰の発案であろうとも私は採用しますよ」

「ちょっと、待て」


 話の流れを聞いていて、溜まらず会話に入り込む。


「なんだって? 聞き間違いじゃなければ、俺をあの世に連れて行くって言ってないか?」

「そうなりますね」

「俺の意志はどうなるんだよ。罪とは関係ないからー、なんて慈悲を見せるふりして、やってる事は誘拐じゃねぇか」

「心苦しいとは思います。しかし――」

「『それしか方法がありません』ってか? あんたらにとって重要なことなのかもしれないけど、俺にとってはさっぱり関係ない話なんだよ、竜神だのなんだのってのは。それなのにお前ら、俺の自由やらなんやら無視して――」


 みっともない、聞き苦しい言葉だとは分かっている。だが、言わずにはいられない。空から星が降ってきて死ぬような理不尽が目の前で起ころうとしてるんだ。それくらいの無様さはしょうがないだろう。

 そんな俺の心情を酌んだのか、四季映姫は咳払いの後に、じっとこちらを見つめて口を開いた。


「……勘違いしているようですが。冥界に行くと言っても、死ぬわけではありませんよ」

「……あ?」

「貴方の体ごと、あちらに連れて行くだけです。時間は掛かるかもしれませんが、それでも死ぬ事はありません」


 その言葉は、本当なのだろうか。後ろにいる死神は呑気にうなづいているから本当なのかもしれない。それを信じる材料にするのは少し不安だが。


「もっとも、貴方が拒否をするなら、それを無理強い出来ません。短い時間であっても、現世には居られないでしょうから」


 そう言うと四季映姫はくるり、と背を向けた。


「私は報告に戻ります。小町、彼を家に送り届けなさい」

「あれ、いいんですか?」

「考える時間は必要でしょう。そう急く話ではありませんから」


 そう言い残し、四季映姫はその姿を消した。

 後に残された小町と俺。何とも言えない空気が流れる。

 しかし、いつまでもそうしてはいられない。手を叩き、口を開く。


「じゃあ、家、帰るわ。付き添い頼む」

「あ、ああ、うん。分かった」


 なんとも居心地が悪そうに、小町は俺の後についてくる。

 流石に軽口を叩き合うだけの元気はなく、互いに無言で歩くしかなかった。

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