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五、威風

 ◆



「よっっこい、しょおっとぉぉ!」


 気合いの入った声が響く。振り切られた鎌の先からは、夜風を逆巻かせた音ではない、硬い破砕が木霊した。

 やがて、小町の目の前、何もない筈の中空が軋む。常人には見えない空間の亀裂が広がり、霧散の気配を見せ始めた。

 その亀裂へと、とどめを刺すように小町の鎌が突き立てられた。曲がりくねった切っ先は、確かに『壁』を破壊せしめる。


「隠形、魂抜、結界と。よくもまぁそれだけ使えるもんだ。『魔法使い』って呼び名は、伊達や酔狂と違うみたいだ」


 仰ぎ見るのは、十三階建ての古びた混凝土の建築物。この上に怨霊がいると、小町は正確に感じ取っていた。

 侵入を阻んでいた結界も、たった百数回の撃ち込みにより砕かれた。さて、と侵入経路を探す小町。


「……面倒だね」


 面倒な事はすぐに諦め、数度屈伸した小町は、意識を上方に向けたまま跳躍した。

 気負わないそれは、膝小僧ほどの高さも飛ぶかどうかというもの。

 しかし跳躍の後。風も切らずに小町は屋上まで飛んで見せた。

 飛翔ではない。まるで空間そのものが縮んだかのように、小町が跳んだ先には、当然のように柵があった。


「これ位の距離なら軽い軽い」


 満足げに笑い、柵の上に立つ。既に気を抑えずに臨戦態勢を取り、鎌を構えている。


「踊り食いなんて下品な真似は止しな! 腹下すよ!」


 横たわる体にかじりつく怨霊へ、状況にそぐわない程明るい声で呼び掛ける。

 その声でようやく気付いたのか、顔を上げる怨霊。

 口元に血など付いていない。その体も、貪ったものも魂や霊気であり、肉とはそぐわぬものだから。


「さっき振りだねぇ、死神。死人なら此処にまだいないよ」

「ああ、死人なんて、後にも先にも此処にはいないさ」


 立ち上がる怨霊。月明かりが揺れた髪を照らす。金の光と漏れ出た霊気が共に軌跡を残す杖。


「おや、そうかい。そりゃあそうだねぇ。ここには人なんて一人もいない」

「じゃあ、あんたが食べてたのは何違いだって?」


 柵から降りる小町。月の下に影差す顔。無造作に振るった腕は、歪んだ刃を鳴らすほど。


()()()()違っただけだよ。そんなに噛み付くない」

「生憎、噛み付く相手は間違えないのさ。あんたと違って良い眼を持ってるからね」


 小町は自身の目を指差し、それを良く見せつけるように下瞼を指先で大きく開く。

 同時にその言葉が正しい事を証明する為に、舌が一枚であると証明しつつ、その上下への運動性能を知らしめる。


「それなら比べてやるとしよう。こいつとどっちが良い味してるのか」


 鉄生の霊体を蹴飛ばす怨霊。されるがままに転がる体には、生気は少しも見られない。


「生憎、一点ものなんだ。お代は如何ほど頂けるんで? 素っ首出したって釣り合わないだろうけど、船代くらいにはなるかもしれない」


 懐から古銭を取り出し、指に挟んで構える小町。


「そんな眼にも、あんたの舟にも、払う金なんてありゃしないさ。奪って喰らって壊してやるから、住み処には泳いで帰るんだねぇ」

「そうかい。あたいもあんたみたいなのを乗せるつもりは毛頭無いよ。さっさとぶっ飛ばして川に沈めてやる」


 示し合わせたかのように、二人の初手は同一。互いの首を狙った横薙ぎが、互いの武器に弾かれる。得物が杖か鎌かの違いだけ。

 弾かれたままに距離を取る二人。怨霊は杖を振るって四色の弾を作り出し、小町は古銭を指で弾いて撃ち出した。


「金寄越せと言う奴が金を投げつけるなんて、もう少し考えて生きた方がいいんじゃないかい?」

「いいのさ。こいつはあんたには特別効くだろうし、ねっ!」


 途切れることなく放たれる古銭。如何なる技術か、機関銃の様に小町は射出し続ける。

 飛び走り跳ねて避けようとする怨霊だが、小銭ほどの大きさしかなく、弾幕のごとき勢いで襲ってくる古銭は躱しきれない。

 右足を掠り――焼きごてに当てられたかのような、予想外の痛みが怨霊を襲う。

 常人の神経であれば膝を折るところだが、顔をしかめて尚も怨霊は足を止めない。

 むしろ、自身を撃ったものに対しての興味が勝っていた。

 渋い顔で、自身の傷口を見る怨霊。その身を構成している霊体が半円状に削れていた。傷自体は容易く直るが、傷を負っていた事自体が問題だった。


「渡し銭、ともなると――」

「応とも。死者を悼んで惜しんで別れを告げ、棺桶と共にいれられる、想いの籠った贈り物だよ。無事に冥土へ渡れるように、って事さ! ほらほら踊れ!」


 死者へのはなむけである渡し銭。三途の川の船頭を行っている小町は、それを死者の魂から受け取っている。

 棺の中に入れられるのは紙の銭でも、それを弔いとする想いが形となり、死者の徳がそこへ注がれる。

 それは単純な霊気や魂などとは異なり、無二の価値を持つ。何よりも、その性質が貴重な代物だ。

 現世の祈りと、死者の功徳。冥土への道に迷ったものに対しては、特別に良く利くモノとなる。

 いくら怨念憎悪に満ちていても、霊魂の存在である怨霊も変わりはしない。


「身銭を切ってまでたぁ、どういう冗談なんだかねぇ」


 翼を広げ、飛び立とうとする怨霊。だが、その根本を小町の渡し銭が撃ち抜く。

 たまらず転げるが、その隙を隠すように、杖の先から渦巻くような霊気の塊を放った。

 霊気の衝撃に負け、小町は距離を取らざるを得なくなる。


「っつつ……そりゃあ、そうか。魔法使いだもの、小技は得意か」

「こちとら、それが本業さね。今までのが本領だなんて思われたのなら心外だ」


 ――霊気は本来、魂や体から離れれば容易く霧散するものとなる。魂が抜け出た雑霊は、一般人が普段纏う程度の霊気で散らせる程度だ。魂だけで触っていた鉄生でさえ、それを潰す事が出来るほど。

 魂や体が纏う霊気は、簡単には散らない強さがある。小町が周囲を霊気で包み、雑霊を押し退け遠ざけていたのは、無意識な霊気であっても、その程度の強固さは持っているからだ。

 つまり、霊気とは魂や体と繋がっていればある程度の力を持っている。だが、離れてしまえば途端に弱々しくなってしまうのだ。

 怨霊が放った霊気の渦も、普通であれば怨霊から切り離された時点で意味を成さないものになる。中空でほどけ、霧散し、誰かの霊気の糧となる。

 だが、霊気の扱いに長けたものならば、自身の霊気を武器に変える事は容易い。

 電子の機械の様に、霊気が()()式を組み込み、打ち立て、起動させる。自身の霊気を硬め、弾丸の様に発射させる事などは、術の中では易しい部類に入る。

 暗形から結界まで扱える怨霊であれば、それを広域に拡散させる事も、また容易かった。


「はぁ、そう簡単にはいかないか。これは大赤字だね、まったく」

「安心おし、破産する前に終わらせてやるさ」


 再び、杖と鎌が交差する。衝撃に周囲の霊気が波打つ。


「しっかし、魔法使いと言う割には、随分と堂に入った打ち込みだ。多芸というか、随分とっちらかった芸風に見えるけど」

「そっちは死神の癖に鎌の使い方がなってないんじゃないかい? ひしゃげた鎌なら文句も出ないだろうがねぇ」


 軽口を叩き合いながら、互いの得物をぶつけ合う。

 確実に急所を捉えようとする怨霊の杖に対して、小町は力のみで打ち返していた。

 技巧など無く、工夫もせず、ただ迫る切っ先を叩き返すのみ。防戦ではあるが、その力強い反撃が逆に怨霊を圧倒していた。

 半端な攻撃なら簡単に弾かれ、そのままに杖を振るわれる。先手を取って弾かれるならまだしも、安易な守りに入ればあっという間に詰めとなるのを小町は察していた。

 だからこそ一切止まらず、守る姿勢で攻め続ける。相手に反撃の隙を与えず、尚且つ容易く弾かれない攻撃を続けるしかない。

 二手、三手以降を常に見据え、相手の癖を感じ取り、時には隙を見せ攻撃を誘導する。怨霊の持つ武術の才だけでは、到底行えない所業だ。彼女は『魔法使い』であって、戦士ではないから。


「随分と、甘い考えだ。死神が霊を信じてどうするんだかねぇ」


 だが、怨霊は凌いでいた。小町が幾たび杖を払おうとも、次の一手を切らさない。常に先手を取り、その攻撃を弾かせ続けていた。


「い、幾らなんでも上手すぎじゃあないか? なんでそんなに――」

「さぁて、なんでだろうねぇ」


 思わず泣きが入る小町。素知らぬ顔をする怨霊だが、その眼は小町を捉え続ける。緑の瞳には、僅かに青が混じっていた。

 その変化に、小町はハッと気付く。


「その眼、まさか!」

「へぇ、気付くかい。そう、ちょいと使わせて貰ってるよ。いや、思っていたよりも便利便利」


 魔眼――怨霊がそう形容した、鉄生の眼球。肉でなく魂でその部位を取り込んだ怨霊は、既にその力を利用し始めていた。


「消化はまだだが、力を借りるくらいなら訳ないからねぇ。魔眼なんてのは五つも揃わなきゃ役に立たないと思ってたけど、考えを改めないといけないかな」


 のんびりと語る怨霊へ、小町が力任せに鎌を薙ぐ。これまで以上の速さとなる一閃。

 それを怨霊は()()()()()()()()()()()()かのように容易く躱す。


「暴く、見破る、見通す魔眼。味はそれほどでもなかったが、存外に拾い物だったよ」


 その能力を証明するかのように、小町の鎌へと杖を振るう怨霊。

 最も気の逸れた個所へと狙われた一撃は、容易く小町の手から鎌を弾き飛ばした。


「んな無茶なっ!」


 溜まらず小町は距離を取り、渡し銭をばら撒く。だが、弾速も密度も先ほどとは比べるべくもなく薄い。

 見破る力も相まって、怨霊に掠る事無く銭は何処かへと飛んでいく。


「こりゃ凄い。ああ、面白いねぇ。こんな感覚は初めてだ。早く自分のものにしないとねぇ。さっさと飲み込んでしまいたいから――もういいよ、お前」


 弾幕を張る事に気を取られていた小町の隙を容易く『見破った』怨霊。意識の空白を縫い歩き、小町の首に刃をあてる。

 その冷たさを味わう前に刃は弧を描き――



 ◆



 いつの間にか、身を焦がすような痛みは無くなっていた。

 身と言うより、顔か。熱した蓑で抉り削ぐようか感覚は無くなり、自身の喉も震えなくなった。霊だか魂だかが出す声が喉に頼っているかは分からないが。

 視界は暗い。当たり前だ。最期に映った景色が口内だった以上、どうやって目を潰されたのかは承知しているつもりだ。

 耳は――分からない。遠くでうねるように何かの音が聞こえている気がする。だが、何の音なのかは分からない。


 起き上がる。手を付き、上体に力を込める。足の裏で踏ん張り、立ち上がる為の準備をする。

 大丈夫。魂がこれだけ動いているのだから、俺はきっと生きている。顔を食われようが生きている。

 ああ、それにしても、見えないというのは不便だ。これって治るんだろうか?

 肉体であれば、肉を接ぐなり神経を結ぶなりすればいい。だが、魂は? 欠損すればそのままなのか?

 俺が潰した雑霊たち。彼らは元に戻る事は無いのだろう。そういう風に壊して、俺へと取り込んだつもりだ。

 俺もそうされたのであれば。あの怨霊に、完全に取り込まれるよう咀嚼され飲み込まれたのだとしたら。

 身の毛もよだつ想像だ。実際ぞっとする。気分悪い。だが一方で、その考え方に何か光明のようなものを感じていた。

 そう――そうだ。理屈も原理も分からない。足を動かして歩くように、自然と俺は「霊を潰した」「取り込んだ」と思っていた。それが本当に行われていたかは分からない。だが実際、雑霊は俺の手の中で形を失っていたし、その残滓は解けるように消えていた。

 俺の持っていた意志。それが、雑霊へと影響を与えていたとも言えるのか。あるいは、俺の意志が、俺の魂をそうやって作用させたのか。

 どうにせよ、思い当たる可能性がある。意志は、思っている以上に霊的なものへと作用する力が大きいという可能性だ。

 こういった奇妙に巻き込まれているんだ、多少の突飛さは大目に見るべきだろう。祈れば通じるだなんて、機械仕掛けの神を降臨させる気にでもなってしまいそうだ。

 だが、違う。これは祈りなんかじゃない。俺の意志で、俺の魂を動かす。俺の魂を変える。

 そう。他の霊体への干渉が出来るのであれば、俺自身に障ることなど容易い筈だ。欠損している個所を埋めるのだって、きっと出来る。そう信じろ。

 手を顔に当てる。感触は無い。だが、俺の顔に手が当たっていると分かる。目も鼻もなくなった、のっぺらぼうの顔。

 そんな姿は間違っている。戻せ。戻るはずだ。よそ様をつぶせるくらいだってんなら、自分の顔を思い出す事くらいは出来てくれなきゃ困るってんだ。

 数分ほどそのまま撫で続ける。ほうら、鼻が出来てきた。覚えのある凹凸だ。目だってある。まつ毛だってこの通り。

 さぁ目を開け。そうすればまた世界が――


 ……――見えると思ったんだけどなぁ。

 恐らくは口から溜息や罵詈雑言が飛び出しているのだろうが、耳が遠いせいで全く分からない。わかるのは、そう簡単に事は運ばないと言う事だけ。

 意識はある。視界はない。触覚は多少ある。音はほぼ聞こえない。

 好転しない状況で、俺はただ、闇の中にいた。

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