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四、威迫

 腹を裂かれた。

 肋骨の下、柔らかい腹肉を開く傷。容易く臓腑を掻き出せる穴。

 切り裂いたのは三日月だった。

 空に浮かんでいた弧月。するりと動いて俺に触れ、皮や肉などずんばらり。

 三日月は、彼女の手にあった。

 青い帽子、長い髪、緑の眼は爛々と輝き、細く弧を描いた口もまた、三日月に似ていた。


 腕を断たれた。

 肩の先、筋を撫でるかの切り口。血を枯れ果てるさせる為の管。

 切り裂いたのは三日月だった。

 輝き照らしていた針月。ぞぷりと肉削ぎ骨を断ち、痛み残さず切り落とす。

 三日月は、彼女の手にあった。

 青の装束、黒い翼、緑の髪は夜に揺らめき、釣り上がった口もまた、三日月に似ていた。


 足をもがれた。

 玩具のように節を砕いて引き抜かれた。


 鼻を削がれた。

 刃筋を重ねて削られ消え失せた。


 耳を千切られた。

 点線を刻んだ耳が、自身の重さで落ちていった。


 首を落とされた。

 喉仏を真芯に捉えた見事な一閃。


 ああ、死んだ。死んだのだろう。死んでなければおかしい程に死に尽くした。

 命運は此処に尽きた。死に場所は空、なんとも現実味のない話だ。

 やはり身一つで空なんて飛ぶものじゃない。人が飛ぶのは死ぬ時だけだ。飛べない時などではない、死ぬ一瞬に人は飛ぶのだ。

 呆気ない最期、終わり、結末終末幕引きだ。ここより先は行く道などない。時を刻んだ墓場は暗い。その穴に俺は落ちる。埋まる。二度と棺は開かない。

 鈴を鳴らして葬儀を告げよ。本を唱和し故人を送れ。蝋燭で照らして冥府へ導け。

 墓守が囲む。呼び覚まされる事はない。罠は錆びて朽ちていく。

 杭を打とうぞ目覚めぬように。火を放とうぞ浄化のために。

 これにて永劫箱の中。真っ暗闇に囚われる。出口が無ければ自由はない。

 間違いなく亡くなった。この世を去った。事切れ、息を引き取り、神の御許に逝かれた。命尽きて、永遠の眠りへ誘われ、墓の下で眠る骸に過ぎない。生涯に幕を閉じ、昇天した。

 これは思考などではない。末路わぬ残穢想念。

 これは回想などではない。辿られた終幕台本。

 間違いなく、紛れもなく、疑いようも無いほどに、赤で青で金にて綴られるべき必定事項。

 水元鉄生は、ここに死んだ。





 なら、俺は、なんだ。

 この死を叩き付けられた俺は、一体なんだというのか。

 この思考を叩き込まれた頭蓋こそが、俺を存在させてるじゃないか。

 だと言うのに、これが死か? これが? こんなものが?

 違う。違う。死とはこんなに騒がしくない。ここまで押し付けがましくない。

 死というものは、もっと穏やかに、そして静謐をもたらすもの()()()

 ――その確信に満ちた異形の経験に、俺が疑念を抱くのはもっと先の事だが――

 俺は、俺は、間違いなく、紛れもなく、疑いようも無いほどに。


「生きて、いる」


 その声と共に、知覚が復活する。

 腹も腕も首も繋がっている。杭なんて打ち込まれていない。箱になど入っていない。空を仰いで横たわっていただけだ。

 辺りを見る。四方を囲う柵。空が広い。星が近い。先刻までいた路地裏とは違い、圧倒するような高さの建物が無いからか。

 建物の屋上。そう直感した。


「おんや、まぁ。しぶといもんだねぇ」


 やけにのんびりとした声。調子が狂わされる。

 喜色に満ちた声。予想されていた事とでも言うかのように。

 声色だけなら美しい、青衣の怨霊。ふわりと柵に降り立ち、俺を見下ろし笑っている。


「あんたに叩き込んでた死の心象は、そこまで弱いものじゃあ無かったんだけどねぇ。ああ、こいつは凄い。やれば出来るじゃあないか」

「やけに、嬉しそうだな」

「そりゃあそうさ。何にしたって活きが良いってのは喜ばしい」


 こいつは間違いなく、路地裏で会った奴と同じだ。趣味の笑い引き笑いを聞きながら確信する。


「大抵の人間は受け入れて死んでくれる筈なんだけどねぇ。後学の為にも、聞かせておくれよ。どうやってあれをはね除けたのか」

「別に大したことじゃねぇよ。あんまりやかましく死んだ死んだってうるさいから目が覚めただけだ」

「ふぅん。成る程ねぇ。やかましい、か。確かに死は平等な無だ。それをただ死の心象で埋め尽くして思考を閉ざそうだなんてものは、無粋だったかもねぇ。もっとも、本物と偽物の区別がついてなければ同じ筈なんだけど……」


 興味深そうに呟く怨霊。それをよそに、立ち上がりつつ、自身の体を確かめる。

 五体揃ってまともに動く。それが肉の体で無いのは承知の上。雑霊に虐められた魂が、今の体となっている。

 その事に対して、すんなりと受け入れている自分がいる。それはとてもおかしいと分かっているが、今する事は混乱に身を任せる事じゃない。動転していない事を幸運に思う他無い。

 生きてはいる。その程度の状況であるのは変わらない。


「で、怨霊さんよ。俺を一体どうするつもりだ? 丁寧に姿まで見せてくれてよ」


 必死で舌を回し、嘲るような精一杯の強がり。惚けるように問い掛ける。


「あぁん? そりゃあ、勿論――」


 一足。たったそれだけで、怨霊は眼前に現れた。

 心象の内にあった、三日月のような口が言う。


「――あんたをこれから食っちまうんだよ」


 伸ばしてくる手。咄嗟に払いのけ、後ろに下がる。

 腕を見る。幸い、どうにかなっている様子はない。


「さっきはゲテモノ食いだの言っておきながら、どういう風の吹き回しだよ」

「得てしてゲテモノの方が味が良いものさ。私ゃ元々そういうの、嫌いじゃあないよ」


 口を動かしつつ、距離を取る。同じく歩みを止めない怨霊。いつの間にやらその手には、三日月の刃を持つ杖があった。――刃がありながらも杖と言うのはおかしいかもだが、『魔法使い』が持つなら杖だろう。

 あれは駄目だ。払えば当たった腕が飛ぶし、触れればそのまま切り落とされる。本能的に、警戒がぐんと高まった。


「食うつもりだってんなら、なんで俺が起きるまで待ってたんだ? こちらとしては都合が良くていいんだがよ」

「別に待ってた訳じゃあないさ。少しばかりの下準備と、厄介払いに時間を食ってねえ」


 無造作に振るわれる杖。本気では無いのだろう、俺を追いたてるためか、恐怖を助長させる為か。なんとか躱しながら、距離を一定に保とうとする。


「そこまでして俺を食おうとするのはどうしてだ? 言っちゃなんだが、俺なんか其処らの奴と変わらんだろう。死神なんかが一緒にいるのに、どうして狙うんだよ」

「おやおや、何を言うかと思えば。そんな上物の魔眼をぶら下げて、人間みたく弱っちい化け物って言うんなら、狙わない手は無いだろう?」


 マガン――魔眼。なるほど、そんな風に言われるものなら、確かに雑霊なんか見える事だろう。

 振り下ろされた刃を転がって避ける。生身でもこんな動きした事はないが、案外やれないこともない。


「人間の魂だって悪かないけどねぇ。あんたみたいに化けてくれてるものは、味も腹持ちも良くなるのさ。昔は見かけたもんだが、今はとんと見なくなっちまった」


 要するに俺は、滅多にありつけない御馳走と言うことか。


「生憎、そんな品種のつもりはねぇよ。美食家気取りが。知ったかぶりは恥をかくぜ」

「おや、そう思うのかい? それなら」


 金色の光が、一瞬迫った。思わず仰け反り、後ろへたたらを踏む。

 何をされたのかは分からないが、今この状況で受けていいものなど何もない。避けられるものは避けないと……


「味わってみれば、すぐに分かるさ」


 そう言った怨霊の手には、小さな貝のようなものがあった。

 ひだのような模様に、真ん中に穴の空いた、肌色の貝殻。


「ッ!?」


 咄嗟に、手を頭の横にやる。そんな訳はない。そんな訳はない。そう思いながらも、側頭部をまさぐる。ああ、くそ。なんで触れないんだ? 俺の耳ってのは、そんなに変な場所に生えてただろうか?


「さぁて、どんなもんだろうねぇ」

「て、めぇ――!」


 摘まんだ耳を口へと運ぶ怨霊。その様子に燻っていた怒りが再燃し、足を突き動かした。何も考えてはいない。ただあの人を食ったような顔をぶん殴らなきゃ気がすむもんじゃない!

 顔面を殴り抜く勢いで右手を振るう。当たらなくても、反撃に何を食らっても、どうでもいい。そんな損得は頭になかった。ただこの激情を行動に移せればそれで良かった。


「……あ?」


 だからこそ。どうなっても良いと思っていたからこそ、この拳がそのまま当てるなんて、思ってもいなかった。

 耳を口に含んだまま、身動ぎもしなき怨霊。その頬に、俺の拳が当たったまま。柔らかい頬肉は歪み、間違いなく一撃食らわせているのは分かる。

 だが、不動。怨霊はその姿のまま動いていない。その不気味さに、俺も拳を当てたまま動けないでいた。

 何秒経ったのかは分からない。ぎょろりと、緑の眼がこちらを見た。拳を離し、一歩、一歩と後ろに下がる。

 何だ。何だ、この変わり様は。怨霊の調子は、さっきとすっかり変わってしまった。俺をいたぶり楽しんでいた様子はどこへやら、酔いが醒めたように落ち着いている。


「……おかしい。おかしい。おかしい、ねぇ」


 怨霊の呟いた言葉。それが耳に届くと共に、俺の足が無くなった。

 いや、足はある。動いている。それなのに、俺の体を支える役目を全う出来なくなった? 訳が分からない。だが、そう言うしかない。


「くそっ、また卑怯くせぇ……」

「おかしいんだよ。そんな眼を持っておきながら、こんな雑じり気の無い味をするだなんて」


 今度は背骨が無くなった。いや、背筋? 腹筋か? どうにせよ、起き上がることすら出来ない。

 怨霊は俺の額に指を当て、ぶつぶつと何かを言っている


「てめぇ、なにを」

「人間だ。ああ、嬉しいだろう。あんたの魂は、確かに人間だよ。水元鉄生。だとしたら――その魔眼は、なんだ? 何故持っている。――いや、何故開いた?」


 俺について言っている。俺の眼を見て言っている。その筈なのに、俺を見ていない。何か、別のものを視ている。

 底抜けに暗い眼光。それに気付いてようやく、目の前の怨霊を恐ろしく感じた。


「まぁ、いいさ。あんたが何の影響で変わったのかは知らないけど、腹の足しになるのは変わらない。残してきちまった体を調べれば、分かるだろうし。それに――」


 腹が減った、と。眼前に開かれた口から、涎が滴った。


「やめ」


 歯。砕く音。舌。粘つく吐息。蠕動。鉄と夜霧の香り。

 顔の半分が、焼けたのか。いいや、焼けているなら、焼け続ける痛みがあるだろう。それならなんで、感じない? 焼けた痛みしか感じない?

 見た。口いっぱいに何かを頬張る怨霊。何をいれたんだろう。彼女は俺の顔に口元を近付けていただけなのに。

 あ、そうか。俺の痛みは、あるべきものをあの口の中に入れられただけなのだ。


「やっぱり、こんなもんだね」


 何で、女の声ははっきりと聞こえるのか。耳も眼も食われ、俺の喉から喧しい音が出ているのに。しかし耳は無くても大丈夫、あれは音を集めるためのものであって音と言うのは鼓膜を震わせて感じるものなのだから耳なんてなくてもいいんだ。同じく眼だって網膜が受けた光を脳が処理するだけなのだから眼球なんてなくても脳があれば景色は見えるに違いない。だから人間脳さえあれば問題ないから他は食われてもいいから頭は残して貰わないと何も感じない何も見えなくなってしまうからそれはとてもつまらないと思うから止めてそれ以上食べないで――



 ◆



「しっ、しっ」


 横たわる体を狙う烏。それを追い払うのは、小町を追い立てた少女だった。

 四季映姫――冥界にて()()役職に就く彼女。本来なら、路地裏で鳥を追い払うなんて雑務はする訳がない。


「全く。霊ならまだしも、生あるものは御守りではどうにもなりませんね」


 小町を追わせた彼女は、水元鉄生の体の守りを受け持っていた。

 魂の無い体は脆い。容易く雑霊に侵され、ひょっとすると乗り移られてしまう。

 それを防ぐ為の『御守り』は既に仕込んでいたが、単純に生肉という観点で狙うものはいた。


「気配からすると、そこらの悪霊に絡まれたのでしょうか。不運な事です」


 生者が霊に祟られる事はそうそうない。それもこれほど直接的、魂を抜くなんて所業は珍しい。


「確かにこの人間は霊気が薄い。そのせいでしょうか」


 魂が抜けただけなら、普通であれば多少の霊気は残る。それも時間が経てば霧散して雑霊の糧になるだろうが。

 しかし水元鉄生の体は違った。まるで霊気を感じさせない。ここまで何もない人間は、さぞ目立った事だろう。


「なんにせよ、小町が魂を連れて来るのを待ちましょう」


 顔を撫で、眠っているかのように表情を整える。人と違う身であっても、その優しさは変わらなかった。何人であれ、安らかにいて欲しい。そう言った想いや謙信も持ち合わせている。

 付いていた埃を払い終え、立って伸びをする映姫。それに続くように立ち上がる鉄生の体。


「ん~……んっ?」


 有り得ない気配に気付き、傍らを見る映姫。立っている。先ほどまで人形と変わらない様相で会った筈の人間が立っている。眠るように穏やかにした顔は、しっかりと覚醒している風に見える。


「……は?」


 理解が及んでいない映姫を余所に、水元鉄生の体は走り始めた。

 ――四季映姫が放心から立ち直り、体を追い始めたのは、走っていったの方角が、小町が追っていったものと同じだと気付いたのと同時だった。

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