二十一、偽証
吹き荒ぶは雲と雨。交わるのは風と水。
怪しく渦巻く霊気は、濃密な妖の気配を孕んでいる。
源は二つ。竜の眷属と天魔の眷属。
互いに散らす弾幕は、領域を喰い合う陣取りを思わせた。
「思ったより保つとは、竜とは伊達ではないようですね」
「どうでしょう。伊達や酔狂で掲げられるほど安くはありませんが、私程度なら一山いくらと言ったものですか。それすら仕留められないお山とはまた、人材事情は異なるのでしょうが」
「見え透いた軽口を叩けるのなら、その脆弱な彩りをもう少しマシにしてみたら如何ですか? 一方破壊は写真に映えないものでして」
抜き身の言葉を打ち合いながらも、その頭脳は互いに盤面の操作に裂かれている。
既に地から空へと移った弾幕の舞台。火種となっていた七色の雨は既に切り裂かれ、散り散りに裂かれた雲間からは日が差していた。
稲穂を思わせる陽光を、彼女はただ塗り潰す。己の力を見せつけるべく、その弾幕を咲かせて振りまいた。
はっきりと分かる。決闘における力量は、明らかに天狗の方が上だと。
それもその筈。異変や騒動へ首を突っ込み、文字通りの体当たり取材を行っている者と、冥界でただ職務を全うするだけの役人では、当たり前のように差が生まれるだろう。
天狗の言葉通り、私の弾幕は彼女と比べて生彩を欠く。ただ並べるだけで花が無い。理も生まれない形式ばったもの。
それでも私が尚、撃ち合いに興じていられるのか。
「一切成就――金剋木」
眼前に迫っていた弾に、短刀を合わせ切る。本来であれば、剣術の達人であっても刃で霊力を触れられる訳がない。たとえ霊力を纏わせたものであっても、生半可なものでは衝撃を伴うだけ。躱した方が手軽というもの。
だが私の短刀は違う。霊気の塊となっている弾、その中核となるものを見切り、切る。見破るという能力を先鋭化させた逸物は、たとえ私にその腕前が無かろうとも、振るえば見切ったものを切る。
そして、風と言う弾幕の性質も私を助ける。万物を五行に落とし込む術法系統に則れば、短刀が属する金行は、木行に近しい風に克つもの。仙人でもない私でも、この程度の相剋は容易い。
「ああ、また……何なんですか、その短刀。そんな貧弱な振りで消せるほど弱い弾では無い筈なんですけど」
「竜神の御使いともなれば、宝物の一つは持つものでしょう」
「ではさしずめ蛇の比礼と。ああ、比礼はあの電気鯰さんが持っていましたっけね」
蛇の比礼とは、神話に語られる十の宝のうちにあるものの事を揶揄してきるのだろう。確かにその宝物は龍神様とは縁がある。あながち遠くはない表現だ。電気鯰に関しては発言は差し控えさせて頂きたい。
いやでも、彼女も比礼を持っているし、その比礼で蜂のように穿つこともある。いやいやまさかそんな。
「考えごとですか?」
意識が別に向いていた数瞬の隙を、天狗は見逃さなかった。
懐へと瞬時に潜り込み、文字通りの一蹴。突き落とすかのような蹴りで、下方へと流される。
「この程度なら……ッ!?」
体勢を立て直すが、同時に周囲から掛かる圧に総毛立つ。この場所はまずい。まずいが、しかし――。
素早く八方へ浄破の眼光を投げるが、その様を嘲笑うかのような声が頭上から響く。
「出口などありませんよ。そこが貴方の終わりです」
風神『二百十日』
宣言と共に颶風が吹く。弾幕が満ちる。命名式決闘法に則した、回避の道が残された筈の彩り。だが、この場所は駄目だ。入れば最後、抜け出す事のかなわない死の門。袋小路に他ならない。短刀を振るう程度では掻い潜れるものではない。
抜けるには上――ああ、しかし。台風の目に座する天狗の、なんと勝ち誇った顔!
「……降参するので痛いのは止めてくれませんか?」
両手を上げてみる。その返答は、振り下ろされる扇だけだった。
直後に四方八方からの弾、玉、珠。私の体を穿つのには十分すぎる霊力。決闘法に則っているとはいえ、まともに食らえば数日は尾を引きそうなひどい有り様。
そう。まともに食らってしまっていたら。
「……ん? 風が……」
吹き荒ぶ風の中、天狗の困惑した声が微かに聞こえた。
勢いを増していく旋風。それは彼女の意図するものでは無いのだろう。既に私の敗けは確定的。であれば美しい弾幕で締めるのが粋というもの。いつまでも風を巻かせているのは違う。
であれば、何故この風は終わらないのか。
「まったく。たまの休みを平穏に過ごすことも出来ないんですか、あなたは」
簡単な事。風を操れるのは、天狗だけとは限らない。渦巻く大気をそのままに、天狗ですら制御不能になりうる域まで加速させる。風の牢獄を作り上げたその人が、私を抱えたまま溜め息を吐いていた。
「私は龍神様の使いであって、あなたの世話係ではありませんよ。少しは自重なさい。大切な体なのだから」
比礼をはためかせながら、竜宮の使いはくどくどと説教を垂れている。しかし今度ばかりは私の責任であるし、助けてもらった恩義もある。粛々と受けなければならないだろう。
「反省してます」
「どうだか。とりあえず、このまま天界に向かいますよ。あの天狗がまた追ってくるかもしれませんし……」
ちらり、と一瞥したのは、おそらく切れ切れになった雨雲だろうか。
「龍神様への施術の準備も、しなければなりません。休暇はまた後程で。了解しましたか?」
「ええ、それはもう。煮るなり焼くなりどうぞ」
「蒲焼きって知ってます?」
「電気鯰のは食べたこと無いですね」
「あんまり舐めた態度してると本当に捌きますよあなた」
わざとふざけていると、珍しく暴力的やことを言い出す。
「沸点の低い事で。そうやって怒ってばかりだと男も逃げますよ」
「逃げたんじゃなくて生活習慣とかの不一致であって原因を私一人に押し付けるのはちょっと違うっていうか」
「あっ……」
試しに前々から気にしていた点を付いてみたら、思った以上にボロボロとこぼれ落ちてきた。これはひどい。
「なにを察したようや顔してるんですか。違います。違いますからね。私が悪いんじゃないんですからね」
「大丈夫、大丈夫ですよ。きっと良い人が見つかりますから……」
「憐れみの目で見ないで! だ、大体、あなただって男の影すら無いんじゃあない!?」
苦し紛れにそんな事を言ってくる。だが、男。男と言われても。
「私は男とかどうでもいいですし。いざとなれば蛇妖怪仲間から借りますし」
「なにそれ」
「ある半蛇の一族では女しかいないので夫を共有しているとか」
「ちょっとそれは……こう、互いの感情を大切にするとか、夫婦としての関係を紡いでいくとか、そういうものは?」
「そんな処女みたいな事言ってるから万年日照りなんですよ」
「女捨ててる発言してるあなたに言われたくありませんー!」
「捨ててるなんて、そんな。子孫が必要になれば作ると言っているんですから、捨ててなどいませんよ」
「確かにそうかもしれないけどそれって何か違う気がする……」
何が違うのだろう。処女脳とは思考回路が違うのでよく分からない。
「大体、天界にいるような男なんて大体は腑抜けなんですから、一緒にいて面白いものではないでしょう」
「だから、色んなところで出会って行くのが楽しいんでしょう? この間は死神とか獄卒の方と食事したけども、楽しかったですよ」
「節操がないと言うのでは?」
いつの間にそんな事を。眉を潜めても、得意そうな顔は消えない。
「見識を広げているだけです。閉鎖的でいるのは、何につけても良いことではないもの」
「それはそうかもしれませんが。しかし獄卒なんて、粗野な輩ばかりでしょうに」
「確かに乱暴者は多いみたいだけど、だからこそ普段は優しくなるみたい。そういう差が出るところも魅力のひとつだと思いません?」
「思いません」
「私があった死神の方は現世でお迎えをする人だったけど、現世で見聞きしたものを話すのが面白くて。ああいうのを機知に富んでると言うんでしょうね。話が上手い人っていうのも、憧れますよね」
「いいえ」
「けどやっぱり、私が荒れてても受け止めてくれるというか、優しく許してくれたり、抱き締めてくれる人が一番。包容力のある男性が家にいてくれるだけで、毎日の仕事が辛くなくなる筈!」
「……」
延々と語られる妄言に、閉口するしか手は無くなってしまった。
抱えられてる手前、逃げ出すことも出来ない。自前で飛ぶにはまだ消耗が激しすぎる。
「聞いてます?」
「ああ、はいはい。聞いてます聞いてます」
その後も、やれ男はここがいいだの、やれ求愛の仕方がどうだのという話が止まることは無かった。
衣玖さんは乙女。