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十九、文献

 ◇



 施術は完璧と言って良い出来映えだった。

 催眠下による記憶の逆行。連続する回想と追憶によって刻印される、終始を遡る回路の構築。

 想いを繰り返すだけではない。同一の光景を見せる。繰り返し行わせる。出来事を写し、そこから生じる想念すらも形作る。肉だろうが魂だろうが、どちらしか働かなかろうとも変わらないほどに確固たる過去として、それを圧縮する。

 長く重い振り返りなど必要としない。読み込む時間もいらないほどに、諳んじてしまえるまでに染み込ませる。

 その果てには零の記録、原始の記憶が遺されていた。肚に置き去る筈の、意味を成さない情報が汲み上げられた。

 それは、『彼』本人すら覚えていないもの。意識下では存在すら認められなかった記憶が、『彼』のどこかに記録されていた。

 それは頭脳に残されず、魂と呼ばれるものに焼き付いたものだったのか。あるいはその逆、魂などという不確実情報ではなく、頭蓋の内から滲み出たものだったのか。

 今はまだ、その判断は出来ない。いつかはするつもりだが、今はそのときではない。

 焦点をあてるべきは、『彼』の原初の記憶の後に何が残っているのか。『彼』を構成するものが存在する前に、何かしらの背景は、骨子は存在するのか。

 つまるところ、水元鉄生を自称するあれは、元はただの人間でしかない(水元鉄生な)のか、というところ。

 科学技術で比較するべき点が何一つ合致していない。その癖、意識や記憶は以前――と形容していいかはまだ不明だが――とまるで変わっていないように思える。

 ならば、私が生来万能と思ってきたものとは離れた手段を講じるべきとなる。

 選んだものが、『彼』の根本の先を辿る事。もし過去世でも見れれば良し。何か別のものが変形したものだと分かるのであれば、それでも良し。何もないならどうでも良しだ。

 そうして意気込んだ結果。幸いというべきか、『彼』の原初の先には『何か』があった。

 記憶も記録も吐き出しつくした後のもの。『彼』の中にあるべきではないもの。催眠下の『彼』は、その存在を口にした。

 記憶を貯める井戸を汲み尽くした底に、何かがある。何か、分からないものがある、と。

 未知を経験した。解き明かしつくしたと思っていた細工箱に、新たな道筋を見つけた気分だった。

 しかし、その興奮も束の間。そう、予想もしていない事態となった。

 それまでの検証には、『彼』から語られる主観を中核に、体温発汗心拍数脳波などの測定を行っていた。潜航を行うのは『彼』一人。――当然だ、『彼』自身の回帰を行うのだから。

 但し、私が計測結果を集計するだけで、ただ暗示に任せていただけではない。

 過去への道筋を違え、夢に落ちようとするのなら、強心剤でその肉体を思い出させる。

 後悔が苛み催眠を破るのであれば、酒気に惑わせ自縛へ誘導する。

 結局のところ、『彼』の自意識を封じて縛って、それで目的を成させていたのだ。

 そう、意識と言うものは、逸れるし曲がるし思い通りにいかない、邪魔になるものとしか思っていなかった。

 不確定要素となるものは廃していきたい。ただでさえあやふやなものを観測しようとしているのだから、固定できる数値は止めておきたかった。

 全てを改めた上で、底にある何かへと『彼』を進めさせた。だが、『彼』は何を語ることもなかった。

 確かに入っている。何かを回想しているのは、間違いない。計測された情報はそれを示している。記憶がそこに、存在している。

 だがそれを、無意識の『彼』は口に出さない。穴に呑まれたまま、見えない闇の中で知り得ない回帰を繰り返している。

 強制的に覚醒を行わせるまで、『彼』が目覚める事は無かった。目覚めた後に記憶を攫っても、先ほど落ちていた間のものは存在していなかった。


 そのままでは、『何か』を解明する手段が何もなかった。

 計画した絵図の方向性は間違いではなかっただろう。だが、そこから先の光明が見通せない。

 相手は理屈の通じない――別の理屈を持ち合わせていたモノだったから。

 私とは別の法則を持つもの。別の法則に依るものを観測しようとしていたのだ。

 それに対して、既知から入口まで立てたのだから、それは進歩と思うべきだ。

 まずは肯定。次には改善。どうすれば得たいものが得られるか。

 そもそも――『彼』は本当に、『何か』と称したものへと辿り着けたのか。

 原初の記憶と称した、胎の思い出。根底となってる場所まで容易に想起出来るように施した『彼』は、記憶に全て触れている。だからこそ、原初の先、何もない筈の場所にある『何か』の存在を知れたのだから。そこに間違いは無いだろう。

 だが、私は無意識の中で底へと向かわせた。――無意識が生まれるその前まで、個我が存在しない状態で突き落としたのだ。

 そうだ。回想と回帰、追憶と追想を繰り返した『彼』の無意識は、その時点の記憶に強く影響される。だからこそ『彼』は始まりから今までの回路を構築するほどに、記憶との結びつきを強くした。

 だとしたら。『何か』へ到達する前の記憶に、その無意識を溶かされているのであれば。

 ――業腹であっても、土俵に上がらざるを得ないだろう。

 不安定で不確実な、虚無にすら近いものを相手にしているのだから。

 不定形で不可知な、火花に似た煌めきを使わなければならない筈だ。



 ◆



 それは巨大だった。

 苺である。

 赤い赤い、宝石のような果実。甘く酸っぱいそれは、薔薇の類縁という事を忘れさせる。

 では巨大な苺か? ――そうではない。あくまで苺の大きさは、一粒と形容出来る程度だ。指先に摘まめるほどの、一般的なもの。

 だが、それが"山"となれば、巨大と呼んでも問題はないだろう。


「はい、抹茶氷菓の苺鬼盛りお待ち」


 卓に運んできた店員の声は、平気の平左といった様子。まるで白玉ぜんざいの小鉢を運んだ時と同じような調子で、紅き山を私の前に置いた。

 鬼盛り。なるほど、『山頂』に二つそそり立つ肥えた苺は、もしや鬼の角に見立てたものだろうか。

 縦横無尽に掛かる練乳と、苺と器の間から薄っすらと――本当にうっすらとだが――見える細かい氷が、山麓を覆う白雪を連想させる。


「どうぞどうぞ、遠慮なさらずに」


 対面に座る天狗に促され、少しばかりの躊躇と共に匙を取る。

 完成された芸術を崩すようで気が引けるが、食べ物である以上、胃袋に入れない事はそれ以上に冒涜的だろう。

 意を決して氷山の一角、そこに被さる苺を一欠片をこそげとる。


「おお……」


 思わず声が漏れてしまう。

 熟れた苺に隠された、深緑に染まった氷結。それは赤色よりは目立たない。だが、秘めた味わいは勝るとも劣らないだろう。

 いざ、まずは一口。


「――」


 冷たい。甘い。酸っぱい。柔らかい。

 どう表現すればいいのだろう。どれもこれも、『そう』なのだから『そう』としか言いようがない。冷たさが心地良い。甘さに溶かされる。酸い果汁に痺れる。空気を含んだ氷菓と果肉の柔らかさが絶妙だ。

 そういう事実をただ連ねればいいのだろうか。生憎、こういうものには食べ慣れていない。一等上等なもの、というのがどういうものかはよく知らない。理屈をこねれば、もっと良い文言が浮かぶのかもしれないけれど。いや、そんな事に頭を費やしてどうするというのだ。

 一度、口を付けてしまえば止まらない。どこを食べても、何度口に運んでも舌が飽きない。

 水が良いとか言っていた気がする。抹茶も、上等な品を使っているとか。けど、分からなくていい。そんな事まで知らなくても、おいしいものはおいしいのだから。


「随分、幸せそうに食べますねえ」


 そんな呆れた声が聞こえた気がする。

 気がしただけということにしたので、構わず食べ続ける事にした。





「そろそろ、いいですか?」


 心地良く冷えた口をほうじ茶で温めていると、天狗がそんな事を言い出した。

 いい、とはどういう意味か。思えば彼女は、私が食べている間も何か書き物をするばかりで何も口にしていなかった。なるほど、空腹ではないらしい。それならば。


「ああ。はい。どうぞ。お帰りは後ろの出入り口から。お代はそこに置いておいて下さい」

「いやいやいや。いやいやいやいや駄目ですよ」


 親切心から伝えた出口は、どうやらお気に召さなかったようだ。


「言ってましたよねえ、独占取材って。言っておきますが、私は自分の都合の良い事は絶対に忘れないんですからね!」


 随分と出来の良い頭をしている。

 天狗というのはこういうものだったか。それとも彼女だけなのか。


「妖怪一人捕まえて取材しようが、大したものにはならないでしょう。そこら辺に落ちてる石ころについての論説でも書いておけばどうですか」

「とんでもない。あなたへの取材はまさに価千金。苺鬼盛りを支払おうが安いものです」

「ではもう一皿」

「流石に勘弁してもらえません??」


 平伏してしまった。どうやら懐事情は接待には向いていないらしい。


「冗談はさておき。何故私への取材が価値のあるものと言うのです」

「さてさて、何故でしょう。気になります?」

「店主、先ほどの氷菓をもう二つ……品切れ? ではこちらの芋羊羹を二本。はい、二切れではなく。勿論支払いは彼女が」

「あなたが竜の眷属と聞いていたからですよ!」


 少しばかり注文していたら急に口が軽くなったようでなにより。人妖問わず、正直は善い行いだ。

 それにしても、竜の眷属。なるほど、そういう眼の付けられ方をしていたとは思わなかった。


「竜に纏わる方は天界や冥界からこちらに出てくる事がいない中で、近くに訪れる予定がある人がいると聞きまして。探してみれば分かりやすい竜の角を生やした方が居たのでこれはもう間違いないと」

「ちなみにその話を聞いたのはどなたで」

「そこらを浮いてた竜宮の使いですが」


 ああ、なるほど、大体分かった。龍神様関連で彼女とは縁があったが、そこで休暇も漏れていたか。

 それにしても面倒事(鴉天狗)をこちらに押し付けようとするとは、相変わらずの面の皮の厚さをしているようだ。電気鯰の妖怪なのではなかろうか、あいつは。


「その竜宮の使いに取材をすれば良かったのでは?」

「あんまり話してはくれないんですよねぇ、あの人。それに、以前に記事で使ってしまいましたので。ここは折角の情報を生かし、新鮮な人材を登用するべきと至る訳ですよ!」


 自信あり気に語る意味が分からない。

 しかし記者として決まった、とでも思ったのか凛々しい顔を作る鴉天狗。

 そのまま手帳を構え、気を取り直してとばかりに言う。


「取材を開始させていただいても、構いませんよね。『碧睡蓮』――■■■さん」



 //


 軋んだ音が思考を乱す。掻き消す。

 無理に読み込ませた0と1の配列が、断絶という証を顕す。

 それは空白。在らざる記憶。魂から取り除かれた、魂の銘記。

 ――あるいは。

『俺』には読ませまいとする、持ち主の意志がさせたものなのか。


 //

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