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十三、注釈

 ◆



 冥界、閻魔殿。

 死後の判決を下す裁判、その五番目の審議を司る場。十王と冠される存在の一つ、閻魔王が坐する大裁判所の名だ。

 しかしそれも今は昔。人口の爆発的増加に伴い、人員不足に喘いだ統括組織、是非曲直庁は審議の回数の削減を行った。かつては七度、あるいは十、ともすると十三回あった死者の審議はなくなり、一回の審議によって死後の裁きが決まるようになった。十三の大裁判所はそれに伴った改築が行われ、閻魔殿もまた、複数の審議場を擁する建物となった。

 十王は審議を行わず是非曲直庁の管理に回り、実際の審議には全国の地蔵菩薩から裁判官に据えられるようになっている。相応に多忙な業務となる裁判官――通例として閻魔と呼ばれる役職だ。

 命運尽きた果てを定める、重要な業務である。その重責と激務は、地蔵菩薩として奉られた者たちでもどうにか耐え凌げるというもの。しかし、適宜行われる業務分業や、数多いる神霊の登用により、激務の中でも「人」並みの休息時間を確保する事が出来る。

 そんな休憩時間の中。閻魔の一人である四季映姫の部屋に、ノックの音が響く。


「どうぞ」

「失礼しまーす。お疲れ様です、四季様」


 入室を促す声とほぼ同時に扉を開けたのは、直属の部下になる小野塚小町。

 先の現世で行った捜索では、意図せずにも目標を確保する功を得た幸運の持ち主である。

 その功も、日頃からのサボり等の悪評と打ち消しあってしまっているのが残念なところであるのだが。


「あ、まだ仕事みたいな事してる。お団子買ってきましたから、休みましょうよ」

「仕事じゃないわよ。ありがとう。お茶でも淹れましょうか」

「ああ、あたいがやりますよ。四季様は座っててください」


 小間使いの様に準備を始める小町。そういう風に教え込んだ事は無かったが、映姫にとっても部下の甲斐甲斐しく動く様は好ましく思っている。

 小町にしてみれば、普段から「程よく力の加減をしている」仕事に関して多少なりとも負い目がある為、このくらいはやらねばという意識が働いているだけなのだが。


「仕事じゃないからって、休憩中も資料を読んでたんですか? 肩こりますよ、そんな休み方だと」

「いつもは私も休んでいますよ。これは、今は審議と関係ない資料だから、こういう時間じゃないと読めないもの」

「審議と関係ない資料? と言いますと?」

「――水元鉄生のもの」


 茶の準備をする手が一瞬止まる。

 深く思うところがあるわけではない。単に仕事の一環で出会った一般人に過ぎない。だがそれでも小町は、一夜を共にした彼を、心の中で気に掛けていた。


「なにか、分かったんですか?」

「倶生課での記録から、彼のこれまでと、家族、血筋について」


 倶生課とは、人の一生を記録する冥界の部署の名だ。万人の一生を延々と連ね続ける狂気の課として、冥界では知られている。

 無論、人の罪科を問う上で、記録は最重要の要素と言える。だが過去を映し、偽りを見破る浄玻璃の鏡がある以上、本人が居る場合が殆どである死後の裁判では役に立つとは言い難い。

 索引などという便利なものは意味を成さない記録群から、特定の個人、そしてその家族、血族を辿るのは気が遠くなる作業だ。

 随分な労力だっただろう。小町がごくりと生唾を飲む。

 用意出来た茶と甘味を映姫の前に置き、その続きを促す。

 ずずず、と啜られる音に焦らさせる。


「結果」

「結果?」


 ぐい、と体を乗り出す小町。

 期待に満ちた目を見る事無く、映姫はあっさりと結論を語る。


「水元鉄生が一般人であるという確証を得る事が出来ました」

「……は?」


 思わず気の抜けた声を出す。ですが、や、と思ったら、などの接続語を待つが、そういった単語で続けるつもりは無いようだった。


「な、何にも無いんですか?」

「ええ。彼も、彼の両親にも兄にも、血筋を七代遡っても、異常を見る事が出来ませんでした。六代前では治水に携わる一環で風水に通じる者が居たようですが、特段優れた才覚を持っていた訳でもなく、その時代では珍しくもないものです。鬼や邪な者の血も無ければ、神霊や稀人の縁者でもありません」


 至って普通。冥界に記録された水元鉄生の歴史は、疑いようもない平凡なものだった。


「はぁ~……。なんか、特に期待はしてませんでしたけど、肩透かしでしたね。竜神が苗床として選んだんだから、竜の血でも混じっているのかと」

「五行に照らし合わせると、血筋としての系統は水で、彼自身の特性は金。水行に属する竜神が彼を好むのは道理なのでしょうね」

「ああ、金生水と……。けど、そんな組み合わせも珍しいわけでもないし。本当に貧乏くじだったんだなぁ」


 天を仰ぐ小町。宿命でもあればまだ言い様があるが、ただ選ばれただけの不運では何の言い様もない。届く事の無い気の抜けた声援を送るだけ送る。


「あいつ、姿をくらましたんですっけ。何してるんでしょう」

「一応施しておいた追尾の式があったのだけど、機能していないわね。まぁ、あの眼を使いこなせるようになれば、あんなもの容易くはがれてしまうけれど」


 大した事ではない、とでも言いたげな映姫の口調に、小町は違和感を覚えた。


「四季様。実のところ、あんまり竜神を捕まえるのに必死じゃなかったりしません?」

「言っている意味が分からないわね」

「だって、拘束しようと思えば幾らでも出来たでしょうし、鉄生本人に猶予を与えたって竜神が入っちゃってるのは変わらない事実でしょう。それなのに、わざわざ逃げる隙を与えるような……」

「小町」


 決して大きくない、しかしはっきりとした映姫の呼び掛けに、小町は口を閉じた。

 言い様もない空気が流れる。だが上司と部下として少なくない時間を過ごしてきた二人にとって、この空気は既知のものだ。

 そうだ、と素早く切り替えた小町は、懐からごそごそと書類を取り出し始める。


「『あっち』から現世に流れた妖怪の名簿、纏めておきました。冥界に渡るかどうかの意思も書いてあります」

「ありがとう。……これは、彼らに直接聞いて回ったものだったわね?」


 小町が渡した書類は、かの地の縁起に名を連ねるような者達を中心に、冥界への移住か、現世での定住かを調査したもの。

 本来であれば、人間でない存在がどれだけ冥界に来ようが関係は無い。仙人の類は元より監視されているようなものだが、妖怪がどこで何をやっていようと是非曲直庁からしてみればどうでもいい事に過ぎない。

 しかし、忘れ去られた者達の中には、危険度の低い友好的な者から単なる無法者とは括れない力を持つ者もいる。隔絶した世界だからこそ残っていた強者達は、現世において無視できない脅威ともなる。

 何の統制もなく現世に流れてしまう事は看過できない。しかし、高圧的に対処すれば反発は目に見える。元より妖怪などの類であれば人に近く存在する事を望む。それが暴れるともなると、要らぬ混乱を生んでしまう。出来る限り、穏便に事を済ませる必要があったのだ。


「苦労しましたよ。色んな所を駆けずり回りました。現世も色々ありますからね。遺跡や古墳みたいに結界なんかが残っている場所なんかに隠れられると、見つけるのも入るのも苦労しますし」


 結果、要請や命令ではなく、聞き取り調査の一環として、地道に冥界か現世か別の場所か、それぞれに話を聞くしかなかった。それに対して、調査を行う人数に対して動員されたのが片手で足りるほどの数だったというのが、冥界の人手不足を如実に表している。

 小町の苦労話を聞きながら、ざっと目を通す映姫。ほぼ全てが冥界への移住を希望し、既に移り住んでいる者も居る。やはり幻想が薄れた世界に未練や執着がある者は少ないだろう。神仏のように偶像があるものは現世に残るようだが、それも数は少ない。

 その名簿の中で一人。移住を希望しながらも、行方不明となっている者がいた。


「……小町。この妖怪は?」

「え? ああ、こいつですか。あっちから現世に渡るって時、たまたま話す機会があったんで聞いておいたんですけど、いざ探してみたら冥界にも現世にも見当たらなくて」


 どこ行ったんでしょうねぇ、と呑気な声。

 取るに足らないもの。特筆すべきではないこと。どうせ妖怪は気紛れだから、と放棄しても構わない程度の雑音じみた情報。気にするにしても、そうさせる程の材料が無い。

 現世の希薄さと科学の進歩に押し流され、自身の存在を霞ませてしまった。そういう結論を出してもおかしくはない。幻想の存在は、得てしてそういうものだから。


「ひとまず、内容はこれで良いわ。誤字脱字の確認をしてから、また提出して頂戴」

「あれ、まだ誤字ありました? 結構見直したつもりだったんですけど……」

「つもり、じゃあ意味は無いのよ。1頁目から『西』が『酉』になるような間違いは勘弁して頂戴」


 あはは、とわざとらしく笑う小町。笑うしかないのだから仕方がない。

 いつも通りの部下の様子に溜息を吐きながら、映姫は団子に手を付け始めた。



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