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十二、端書

 竜神との会話に、脱出を助けるような収穫は無かった。元より力にはなれないと言っていたので、それに関してはいい。

 だが彼女から得られる情報よりも、もっと有益なものが得られた。


「鉄生君、なにか希望はあるかしら?」


 にっこりと笑う美女。鉄格子越しでなければ、たまらず恋に落ちていたに違いない。

 もっとも、相手が兄貴の恋人であり、大分アチラ側に寄ってしまっている研究者と知っていれば、たとえ肌を密着させても揺るぎはしない。むしろ色々なものが縮み上がるだろう。何をされるか分かったもんじゃない、と。


「風呂、入ってもいい?」

「いいわよ。5分で用意出来るわ」

「覗きは無しで」

「……10分で用意出来るわ」


 覗かない場合の方が時間掛かるのかよ、とか、5分で何を撤収するつもりだよ、とか、それでも要望を叶えるのは真面目だな、とか。

 色々思うところはある。だがまぁ、それは今、飲み込んでおこう。何せ、俺は今、ようやくリンさんに対して有効と思える札が手に入ったのだから。


「これでいいんだろう、竜神」


 リンさんが立ち去ってから、己の内に呼び掛ける。正確に言えば、彼女は俺の中身などではない。内に居候する者、とでも言った方がいいのだろうか。


『ようやく、自身の薄汚れた格好に目をやりましたか。全く。同じボロの服で何日も居るなんて、耐えられません』


 泉から顔を出すかのように、無貌の女性が脳の裏から湧き出る。辛辣な()が頭に響く。言葉では怒気や呆れのようなものを感じ取れる筈なのだが、平坦な調子ではどうにも感情を汲み取りにくい。

 泉や無貌は、俺の想像に過ぎない。彼女は目の前に出てきてくれる存在ではないから、頭の中に影でも組み立てないと会話している気になれないのだ。


「こんな状況で、物好きな奴だな。垢で死ぬ訳でもねぇのに」

『知性の欠片すらも感じられない発言ですね。一度その肩の上にある帽子掛けを別のものに取り換えてみてはどうでしょう』


 辛辣な物言いに苛立ちが芽生えるが、それも耐えられる。一身となってしまっている以上、必要以上に心を掻き乱しても意味がない。

 耐えられるし意味がないと知ってはいても、苛立つものは苛立つ。風呂に入る間は呼ばないようにするか。呼ばずとも出てくるかもしれないが。


 リンさんに対する札とは、竜神との接触の事だ。

 幸いなことに、リンさんには心霊的なものを見る才覚は無かった。――だからこそ、目に見えておかしい俺を捕えているのだから、ある意味では不幸な事ではあるのだが。それはともかく。

 人体の神秘を超えた何かを俺に見出しているリンさんにとって、原因となったとされる『竜神』は一番の研究対象だ。俺なんかよりもずっと興味深いに違いない。なにせ、何の変哲もない人間だった俺を変えてしまった犯人その人なのだから。

 しかし、彼女の眼に竜神は映らない。声も届かない。脳波やらなんやらを測る機械を使って実験をされたが、竜神の声と思しきものを特定するには至らなかった。診察の結果も芳しくない。

 俺だけに聞こえる竜神の声。字に表すと非常に危なく見える。神様の声が聞こえるなんて狐憑きよりもおぞましい。いや、そんなものに貴賤や上下があるのかどうかは知らないが。

 竜神は大体の物事に対して積極的ではない。というか消極的過ぎる。こちらが呼び掛ければ()()()()が、呼ばない限りは延々と寝続けている様だ。話している間しか意識を保つつもりは無いらしい。ヘソを曲げれば呼んでも答えてくれなくなる。

 そして、俺が感じる事は、竜神にも感じ取れる。五感を共有しているとは少し違うようだが、俺には違いが判らない。眠っている間はぼんやりと、出てきている間にははっきりと、外界の刺激を受けている。

 それを聞いたリンさんは、最大限機嫌と取る事としたらしい。先のにこやかな態度や好転する待遇も、その一環だ。寝起きするのは変わらず牢屋の様な場所だが、暇潰しの為の本が増えたのは俺も嬉しい。

 怪異の源泉となるものから出来得る限り情報を引き出せる友好関係を築き、その窓口である俺もその恩恵に預かる。そういう目論見なのだろう。


「まぁ、気軽に動けるならそれに越したことはねぇよな」

『軽いのは頭の中身だけにしておいてくれませんか。あまりに軽挙では私も呆れることに疲れてしまいます』


 言ってくれるぜこの寄生虫。心の中で悪態を吐きながら反論を考えている内に、リンさんから呼び掛けられる。


「準備が出来たわ。出て頂戴」


 分厚い鉄の扉が開かれる。やはり、笑みを浮かべたままのリンさん。軽く身体検査を受けた後に、浴場へと連れられる。

 手錠を着けているとはいえ、捕獲した対象である俺にリンさんは背を向けている。一見、無防備に見える今この時だが、ここで事を起こせるとは思えない。彼女自身にも、この廊下にも、どんな仕掛けをしているか分かったものではない。何か万全の備えがあるからこそ、彼女は俺に背を見せているんだ。


「そういえば」


 顔をこちらに向けず、話し掛けてくる。


「竜神さんは、何か言っているかしら?」

「俺の頭は帽子掛けだとよ」

「あら。それじゃあ今度は帽子がいるのね。形や材質は……」

「皮肉だよ皮肉! 帽子掛け程度にしか役に立たないすっからかんって事だ!」


 検討違いな言葉に思わず噛み付く。だが、クスリと笑う声が耳と頭に届けば嫌でも分かる。簡単に人を玩具にしないで欲しい。


「からかって面白いかよ」

「ごめんなさい。不快にさせたかしら?」

「べっつに。こいつも笑うくらいは出来るみたいだってのが分かったぜ。良かったな」

「そう、笑ってくれたのね。良かったわ。それで?」


 他に何を話していた? 今の会話を全て切り離す回転の早さは、流石と言えば良いのか。彼女にとって、そんな称賛は手垢が付いたものだろう。世辞にもならない。


「生憎と、そんなに話せないんだよ。呼べば出るが、すぐに寝ちまうもんでな。そうでなきゃ、俺の中になんざいないんだろうけど」

「そうなの。一つ、確認なのだけど」

「んあ?」


 かつん、かつッ。廊下に響いていた足音が、唐突に止まる。くるりとこちらを向くリンさん。


「竜神さんが眠ってしまうのは、力が足りていないから、なのね?」

「そーだな。力さえ戻れば暴れ放題って訳だ。おー怖い怖い」


 茶化した俺の答えに、リンさんは笑おうともしない。その態度自体は慣れたものだが、取り合おうともしない、と言うわけでも無いようだった。


「力さえ戻れば、活動出来るのね?」

「え? ああ、まぁ、そうなんじゃないかな?」


 俺の言葉に念を押す様子は、まるで踏んでしまった地雷の硬さを味わう時の絶望感のような。しでかしてしまった、と想う気持ちよりも早く、答の見えない怖気が走っている。

 なんだ? 何を考えている? 暴れられたら困るのはそちらじゃないのか?


「その力っていうのは、どうすれば回復するの?」

「どう、って……」

「ああ、そうか。こんな訊き方だと貴方は答えにくいわね。けど、良いのよ別に。脱走を考えているのは当然なんだから」


 飲んだ唾が喉に絡まる。曖昧にしていた俺の望みは、容易く言葉で嵌め込まれた。


「けれど、私はそれでも構わないわ。もし逃げたとしても、それまでに得られる研究結果がある。それが竜神さん、あなたの全盛に近いものであれば尚更良い」


 本気、なのだろう。今の状況を破壊することすら、彼女の研究欲求を満たす材料にすらならないのかもしれない。


「だからなんでしょう? お風呂なんて要求したのは」

「……?」


 珍しく、余裕と自信に満ち溢れている様子のリンさん。だが、言っている事がよく分からない。


「竜神、なんて通名なら水に纏わる存在であるのは同然。霊力と呼ばれる力を取り込む為に、水場を求めてお風呂というお題目を用意した、という事でしょう? 確かに人間らしい欲求だもの、不思議では無いわ。ええ。けど私の悪い癖ね、察せてしまうと確認したくなっちゃうの。けれど大丈夫よ、咎めるつもりなんて勿論無いわ。わざわざ隠さなくとも、私は――」

「あー、ちょい待ち。ちょっと待って、リンさん」


 得意気に話す目の前の才女を止める。

 言っている事はとても分かる。分かるし、そこまで頭が回るとは恐れ入った。この人に隠し事なと不可能だろう。

 盲点があったとすれば。


「そんな企て、こっちには無いぞ」


 そう。この一言に尽きる。

 目をぱちくりとさせるのは新鮮だ。こうも間抜けなリンさんの顔は初めて見る、


「……隠さなくていいのよ? 回復しようとしてたんでしょう?」

「いや、まったく。ただ垢を落とすだけ」

「……水行に関わる存在じゃないの?」

『確かに私は(みずち)に縁ある存在ですが、煮え湯で霊力を補うなど聞いたこともありません』

「そうだけどお湯じゃ回復出来ないって」

「…………水風呂いる?」

「いらない」

『いりません』


 ええー、と。残念なのか、意外だったのか、両方なのか分からないが、リンさんはそんな感嘆符を述べた。いつもの無感動な顔は剥がれ落ち、油虫でも飲み込んだかのような釈然としないものになっていた。そこまで衝撃を受けるような事か。

 俺が風呂から上がる頃には元のにこやか(無表情)に戻っていたが。


「……お前、ホタテかシイタケの干物かなんかだと思われてたんじゃねえの?」

『出涸らしにもなれない木切れが良く舌を回しますね。取り込んで還元出来ない分、雑霊にも劣る癖に生きていて何か意味があるんですか?』

「お前は人を罵倒しないと息できないのかよ。……そう言えば」


 帰って来た部屋を見渡す。この部屋、というよりこの建物全体で、雑霊が非常に少ないのだ。増えていない、と言うべきだろうか。外であれば何時でも何処でもふわふわ流れてくるが、ここにはそういう流れがない。食ったらそのまま何もなくなっているようだ。快適である反面、竜神の食事には不安を感じる。


「どうせなら、食いでのある幽霊でも頼んでみるか? あの人の事だから、暫くしたら自分で捕まえてくるぞ」

『私は食べませんよ。そんなゲテモノじみたもの。共食いが好きならお好きにどうぞ』


 良い提案かと思ったが、つれない態度を取られてしまう。

 まぁ、いくらリンさんでも幽霊はどうにも出来まい。見つけられても、捕まえられるとは思えないし。精々、腹に貯まるものでも持ってきて貰えればいい。

 まさか本当に化け物を持ってくるような事はしないだろうしな。


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