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短編(異世界など)

「君とは話が合わない」と婚約解消されましたが、あなたが毎週恋愛相談を送っている相手は私です

作者: みき
掲載日:2026/09/05

「クラリス。君とは話が合わない」


 婚約者のレオンにそう言われた時、クラリス・ベルモントは手にしていた紅茶を静かに置いた。


「そうですか」


「……驚かないのか?」


「驚いておりますわ」


「そうは見えない」


「では、どのような顔をすればよろしいでしょう」


「そういうところだ」


 レオンは困ったように眉を下げた。


 三年間、何度も向かい合ってきた顔だった。


 侯爵家の長男で、整った顔をしていて、勉強もできる。社交の場で失礼なことを言うような人でもない。


 クラリスに対しても、いつも親切だった。


 ただし、いつも親切なだけだった。


「君はいつも正しい。いつも落ち着いていて、何を聞いても『どちらでも構いません』とか『レオン様のお好きな方で』とか言う」


「婚約者として、それが良いと思っておりましたから」


「でも俺は、君が何を好きなのか知らない」


 クラリスは少し考えた。


「青い花が好きです」


「初めて聞いた」


「言ったことがありませんもの」


「そういうところだよ!」


 めずらしくレオンが大きな声を出した。


 クラリスは目を丸くした。


「俺たちは三年も婚約していた。それなのに、君が何を好きで、何を嫌いで、何をしている時が楽しいのか、ほとんど知らない。君だって俺のことを知らないだろう?」


「甘い物がお好きです」


「それは誰でも知ってる!」


「朝に弱い」


「家族なら全員知ってる!」


「緊張すると右手の親指をさわる」


 レオンの右手が止まった。


「あら」


「……見ていたのか」


「三年も婚約しておりましたので」


 今度はレオンが黙った。


 クラリスは紅茶を一口飲んだ。


 冷めている。


「それで、婚約を解消したいということですか?」


「ああ」


「他に好きな方が?」


「いない」


「私がお嫌いになった?」


「嫌いじゃない」


「では、なぜ?」


 レオンはしばらく考えてから、静かに答えた。


「このまま結婚したら、二人とも何十年も『良い夫婦』を演じ続ける気がしたんだ」


 その言葉は、思ったより胸に刺さった。


 クラリスは少しだけ目を伏せた。


「そうですか」


「君はどう思う?」


 聞かれて、初めて困った。


 婚約を続けたいのか。


 終わらせたいのか。


 レオンが好きなのか。


 自分でも、すぐには答えが出なかった。


「……分かりません」


「初めて聞いた」


「何をです?」


「君が『分からない』って言うの」


 レオンは少し笑った。


 クラリスも、なぜか笑いそうになった。


 三年間。


 こんな話をしたのは初めてだった。


「では、解消しましょう」


「いいのか?」


「一人で決めたのはレオン様でしょう?」


「……そうだった」


「でしたら、今さら不安そうな顔をなさらないでください」


「ごめん」


「謝るくらいなら、もっと早く相談してくださいませ」


 クラリスはそう言ってから、少しだけ胸が痛くなった。


 もっと早く相談してほしかった。


 本当は。


     


 婚約は大きな争いもなく解消された。


 家同士も、無理に結婚させるよりは良いだろうという結論になった。


 もちろん、クラリスの母はかなり怒った。


「三年間も婚約しておいて、『話が合わない』ですって?」


「はい」


「話したの?」


「何をです?」


「だからそういうところよ!」


 母にまで同じことを言われた。


 少し腹が立った。


 そして婚約がなくなったことで、クラリスの生活にも変化が起きた。


「お母様。王都新聞社で働いてもよろしいですか?」


 母は目を見開いた。


「新聞社?」


「はい」


「なぜ?」


「以前から少しお手伝いしておりましたので」


「以前から?」


 しまった。


 クラリスは口元に手を当てた。


「……少しだけです」


「何をしていたの?」


「恋愛相談を」


「はい?」


 母の顔が固まった。


     


 王都新聞には、毎週日曜日だけ付く小さな読み物の紙がある。


 料理。


 流行。


 町の話。


 そして、その中でも特に人気なのが、


《夜ふかし令嬢のお悩み相談室》


 だった。


 恋愛や結婚について寄せられた手紙に、正体不明の相談役が答える。


 たとえば、


『婚約者が一週間も返事をくれません。嫌われたのでしょうか』


 という手紙には、


『返事を待つ前に、まず相手が旅に出ていないか確認してください。先月、同じ相談をされた方の婚約者は国境に出張中でした』


 と答える。


『好きな人が私の前ではあまり笑いません』


 には、


『笑わないことと嫌いなことは同じではありません。本人に聞いてください』


『彼が私のことを好きか分かりません』


 には、


『本人に聞いてください』


『婚約者が何を考えているか分かりません』


 には、


『本人に聞いてください』


 相談室の半分くらいは、だいたい本人に聞けば終わる。


「今週も容赦ないわねえ」


 編集部で原稿を読んでいたマリアが笑った。


「だって本人に聞けばいいでしょう」


「それができないから相談してるのよ」


「では、なぜ私には聞けるのです?」


「顔が見えないから」


「だったら恋人にも袋をかぶせればいいのでは」


「新聞に書いたら怒るからね、それ」


 マリアはこの相談室の担当で、クラリスの正体を知る数少ない人だった。


 クラリスが相談室を書き始めたのは二年前。


 最初は、友人のマリアが困っていたのを手伝っただけだった。


「今週、恋愛相談の返事を書く人が休んじゃったの!」


「なぜ私に?」


「あなた、いつも人の話を聞いてるでしょう」


「聞いているだけです」


「じゃあ聞いた感想を書いて」


 仕方なく書いた。


 それが妙に受けた。


 そのまま二年間続いている。


「で?」


 マリアがにやにやしながら聞いてきた。


「何です?」


「三年間婚約して、本人に聞かずに解消された気分は?」


「……」


「いつも書いてるわよね。『本人に聞いてください』って」


「うるさいです」


「おお、怖い」


「原稿を返してください」


「はいはい」


 婚約がなくなってから、クラリスは新聞社へ正式に通うようになった。


 今までは侯爵家へ嫁ぐ予定だったため、表立って働くことはできなかった。


 でも今は違う。


「クラリス! 町のパン祭りの記事、今日中!」


「聞いていません!」


「今言った!」


「それを世間では急な仕事と言います!」


「頼む!」


「嫌です!」


「お願い!」


「……焼きたてパンを食べてもいいなら」


「経費でいい!」


「行きます!」


 こういう毎日だった。


 不思議なことに、とても楽しかった。


 誰もクラリスに完璧な令嬢であることを求めない。


 言いたいことを言ってもいい。


 嫌なら嫌と言える。


 もちろん仕事なので、最終的には嫌でもやる。


 そこだけは気に入らない。


     


 婚約を解消して二か月たったころ。


 相談室に一通の手紙が届いた。


 いつものようにクラリスは封を開いた。


『夜ふかし令嬢様。


 僕は二か月前、三年間婚約していた女性と別れました』


 クラリスの手が止まった。


「どうしたの?」


「いえ」


 続きを読む。


『婚約を解消したのは僕からです。


 彼女といると、何を話せばいいのか分かりませんでした。


 彼女はいつも完璧で、怒らず、わがままも言わず、僕に何をしてほしいとも言いませんでした。


 僕は、このまま結婚するのが怖くなりました』


 クラリスは紙を裏返した。


 差出人は、


《R》


「……」


 レオン。


 クラリスの元婚約者は、レオン・ローデン。


 R。


 いや。


 たまたまかもしれない。


『僕から別れを申し出ました。


 でも別れてから毎日、彼女のことを考えています。


 僕は間違っていたのでしょうか』


「……知らんがな」


「クラリス?」


 マリアが顔を上げる。


「何でもありません」


「今『知らんがな』って言わなかった?」


「言っておりません」


「令嬢の顔に戻っても遅いわよ」


 クラリスはもう一度手紙を見る。


 腹が立つ。


 ものすごく腹が立つ。


 三年間婚約していた本人には相談せず、婚約を解消してから知らない相談員には聞くのか。


 何なの、この男。


 クラリスは紙を引き寄せた。


「返事を書きます」


「ずいぶん気合い入ってるわね」


「職業意識です」


 そして書いた。


『R様へ。


 婚約を解消したことが正しかったかどうかは、私には分かりません。


 ただ一つ、お聞きします。


 あなたは婚約者本人に、「何を考えているのか分からない」と相談しましたか?』


     


 次の週。


 Rから返事が来た。


『していません』


「しろよ!」


 編集部にクラリスの声が響いた。


 全員が振り返る。


「……失礼しました」


 何事もなかったように座る。


 マリアだけが肩を震わせていた。


『今思えば、彼女に聞けばよかったと思います。


 でも僕は、彼女が自分といることを幸せだと思っていない気がしていました。


 聞いて「その通りです」と言われるのが怖かったのかもしれません』


 クラリスは読む手を止めた。


 少しだけ怒りが消えた。


 そんなことを考えていたとは知らなかった。


 婚約中のレオンは、いつも余裕があるように見えた。


 何をしてもそつがない。


 自分に自信がある人だと思っていた。


 でも。


 右手の親指をさわる癖。


 あれは緊張した時に出る。


 クラリスとのお茶の時にも、よくしていた。


「……」


「今度は何?」


「何でもありません」


 返事を書く。


『怖かったのですね。


 ですが、相手に聞かなかった結果、あなたは自分の想像だけで二人分の答えを決めました。


 もし今後、誰かと大切な関係を築きたいのであれば、怖くても本人に聞くことをおすすめします』


 書いてから、クラリスはため息をついた。


 その言葉は、自分にも向けるべきだった。


     


 Rからの相談は終わらなかった。


 翌週。


『元婚約者に、もう一度会いたいと思っています』


 クラリスは額を押さえた。


『会ってどうするおつもりですか?』


 翌週。


『分かりません』


『分かってから会ってください』


 翌週。


『彼女が今、王都で働いているらしいことを知りました』


 クラリスは椅子から落ちそうになった。


「早い!」


「何が?」


「何でもありません!」


 翌週。


『元婚約者は新聞社で働いているらしいです』


「近づいてきてる!」


「何がよ!」


「仕事してください、マリア!」


「あなたもね!」


 さらに翌週。


『新聞社の近くまで行きました。でも入れませんでした』


「なぜ来た」


 クラリスは頭を抱えた。


『なぜ入れなかったのですか?』


『会って何を言えばいいか分からなかったからです』


『分かってから行ってください』


 こんなやり取りを毎週続けた。


 おかしな話だった。


 婚約していた三年間より、今の方がレオンの考えていることを知っている。


 何が怖いのか。


 何を後悔しているのか。


 自分をどう見ていたのか。


 全部、知らない相談員へ向けた手紙から知っていく。


     


 そしてある日。


 クラリスは本当にレオンと再会した。


「今日こそ定時で帰ります!」


「無理だ!」


「なぜ!」


「記事が一本足りない!」


「昨日も足りなかったでしょう!」


「今日もだ!」


「毎日足りないなら、それは計画に問題があるのでは!?」


 編集部の扉を開けながら言った瞬間。


 廊下に立っていた男と目が合った。


「……クラリス?」


「……げ」


 出た。


 令嬢人生で一度も人前に出したことのない声が出た。


「今、げって言った?」


「言っておりません」


「いや、言った」


「気のせいです」


「クラリス、定時で帰るならこれだけ持っていって!」


 後ろから編集長が紙の束を差し出してきた。


「帰ると言っているでしょう!」


「帰りながら読める!」


「帰る時くらい仕事から離れさせてください!」


 紙を押し返す。


 レオンがぽかんとしている。


「……クラリス?」


「何です?」


「君、そんな話し方するの?」


 クラリスは無言になった。


 しまった。


 完全に見られた。


「しますけれど」


「俺、一度も聞いたことない」


「見せませんでしたもの」


「どうして?」


「あなたも見せなかったでしょう」


「俺?」


「私の前ではいつも立派な侯爵家のご子息でした」


 レオンが口を閉じた。


 クラリスも黙る。


「あの」


「はい」


「少し話せる?」


 クラリスは迷った。


 いつもなら、


『本人に聞いてください』


 と書く。


「……少しだけなら」


 だから、今度は逃げなかった。


     


 二人は新聞社の近くの食堂へ入った。


「何を食べる?」


「肉」


 即答した。


「え?」


「お肉が食べたいです」


「……肉、好きだったの?」


「好きです」


「知らなかった」


「言ったことありませんもの」


 レオンが少し笑った。


「青い花も好きなんだよな」


「覚えていたのですか」


「最後のお茶の時に聞いたから」


「そうでしたね」


 しばらくして料理が来た。


 クラリスは遠慮なく肉を食べた。


 レオンが見ている。


「何です?」


「いや」


「言ってください」


「思ったよりよく食べるなと」


「失礼ですね」


「ごめん」


「でも事実です」


 クラリスはもう一切取りつくろわなかった。


 レオンも少しずつ変わった。


 甘い物が好きだというので、食後に大きなケーキを頼んだ。


「それ一人で食べるのですか?」


「悪い?」


「いいえ。少し引いただけです」


「正直になりすぎじゃないか?」


「三年間の反省です」


 レオンが吹き出した。


 初めて見る笑い方だった。


「あ」


「何?」


「あなた、そんなふうに笑うのね」


「俺も言われたくない」


 二人で笑った。


 不思議だった。


 婚約者だった時より、ずっと話しやすい。


     


「もう一度婚約してほしいとは言わない」


 帰り道でレオンが言った。


「そうですか」


「そこ、少しは残念そうにできない?」


「なぜ?」


「いや、いい」


 レオンは苦笑した。


「ただ、今の君を知りたい」


「今の私?」


「ああ。婚約していたころの俺は、君を知っているつもりだった。でも何も知らなかった」


「私も同じです」


「だから……友人から、やり直せないか?」


 クラリスは少し考えた。


「友人」


「ああ」


「いいですわ」


「本当?」


「ただし」


「何?」


「勝手に気持ちを決めつけないこと」


「分かった」


「分からなかったら聞く」


「分かった」


「甘い物を一人で全部食べない」


「それは関係ないだろ」


「私も食べたいので」


「分かったよ」


 こうして元婚約者と友人になった。


     


 それから、時々レオンと食事をするようになった。


 婚約中とはまるで違った。


「これ嫌いです」


「初めて聞いた」


「三回目です、その言葉」


「だって毎回初めて知るんだから仕方ないだろ」


「では私も。あなた、魚の皮を残すのですね」


「嫌いなんだよ」


「初めて聞きました」


「ほら」


 小さなことばかりだった。


 好きな料理。


 嫌いな季節。


 子どものころ怖かった物。


 仕事のぐち。


 家族の話。


 別に人生を変えるような話ではない。


 でも、そんな話を三年間一度もしてこなかったのだ。


 そしてRからの相談も続いていた。


 クラリスは一度、


「もう直接相談できる相手がいるでしょう」


 と返事を終わらせようかと思った。


 でも、手紙は届く。


『友人として元婚約者と会うようになりました。


 以前よりずっと話せます。


 楽しいです』


 クラリスは少し笑った。


 知っています。


 一緒にいましたから。


『良かったですね』


 と返した。


     


 問題の手紙が来たのは、それから二か月後だった。


『夜ふかし令嬢様。


 困ったことになりました。


 僕は今、二人の女性を好きになっている気がします』


「は?」


 クラリスの声にマリアが振り返った。


「何?」


「こいつ……!」


「相談者にこいつって言わない」


 続きを読む。


『一人は元婚約者です。


 最近、彼女と友人として会っています。


 婚約していたころには知らなかった面をたくさん知りました。


 よく笑うし、思ったより口が悪いし、食べることが好きで、仕事の話になると急に熱くなります。


 以前よりずっと彼女が好きです』


 クラリスの頬が熱くなった。


「……」


 次。


『もう一人は、顔も名前も知りません。


 夜ふかし令嬢様、あなたです』


 クラリスは机に額をぶつけた。


「痛っ!」


「どうしたの!?」


「馬鹿!」


「誰が!?」


「この人です!」


 続きを読む。


『あなたの返事は時々とても厳しいです。


 でも、僕が一人で答えを決めようとするたびに止めてくれました。


 毎週、あなたの言葉を読むのが楽しみになっています。


 元婚約者への気持ちと、あなたへの気持ちが同じものなのか、自分でも分かりません。


 どうしたらいいでしょうか』


「同一人物だよ!」


 ついに叫んだ。


 編集部が静かになる。


 マリアが口を押さえて震えている。


「笑わないで!」


「だ、だって……二人の女性って……」


「一人です!」


「知ってる!」


「この男、本当に何なの!?」


「あなたの元婚約者」


「知っています!」


 クラリスは頭を抱えた。


 三年間。


 話が合わないと言われて婚約解消。


 その後。


 匿名で半年近く恋愛相談。


 そして今。


 同じ女を二人だと思って悩んでいる。


「……信じられない」


「で、どう返すの?」


 クラリスはしばらく考えた。


 そしてペンを取った。


『まず、その二人が本当に別人なのか確認してみてはいかがでしょう』


     


 一週間、返事は来なかった。


 二週間目も来なかった。


「気づいたのかな」


 マリアが聞く。


「知りません」


「そわそわしてる」


「していません」


「今日、朝から五回入口見たよ」


「人の行動を数えないでください」


 その時。


 編集部の扉が開いた。


「クラリス・ベルモントさんはいらっしゃいますか」


 聞き覚えのある声だった。


 クラリスはゆっくり顔を上げた。


 レオンが立っていた。


「……げ」


「また言ったな」


「今日は気のせいではありません」


「そうか」


 レオンはまっすぐクラリスの机まで来た。


 その手には、見覚えのある紙がある。


 新聞。


 《夜ふかし令嬢のお悩み相談室》


「君だったのか?」


「何がです?」


「相談員」


「仕事上の秘密ですので」


「俺の相談だぞ!」


「本人である証明は?」


「全部俺だ!」


「そうですか」


「そうですかじゃない!」


 編集部中が聞いている。


 マリアはすでに笑うのをあきらめて、普通に笑っていた。


「いつから分かってた?」


「最初からです」


「最初から!?」


「婚約を解消したのが二か月前。三年間婚約。相手が完璧すぎて何を考えているか分からなかった。差出人R」


「……」


「もう少しぼかしてください」


「恥ずかしい……」


「こちらは毎週返事を書いていたんですよ」


「なんで教えてくれなかったんだ!」


「匿名相談ですから!」


「でも!」


「それに」


 クラリスは少しだけ声を落とした。


「あなたが私には言えなかったことを、たくさん書いていたから」


 レオンが黙った。


「読んでいて、初めて知ったことがたくさんありました」


「俺も」


「え?」


「相談員の言葉を読んで、何度も思った。こういうことをクラリスにも言えたらよかったって」


「……」


「まさか本人に言っていたとは思わなかったけど」


「本当ですわね」


 二人とも、少し笑った。


「俺たち」


 レオンが言った。


「毎週、ずっと話してたんだな」


「そうですね」


「婚約していた三年間より」


「それは少し情けないですけれど」


「本当に」


 レオンは困ったように笑った。


 そして少し真面目な顔になる。


「クラリス」


「はい」


「俺は、君が好きだ」


 編集部が静かになった。


「……ここで言うのですか?」


「今さら場所を変える方が変だろ」


「全員聞いておりますけれど」


「もういい」


 レオンは顔を赤くしていた。


「前も好きだった。でも、たぶん俺は、俺の中に作った『クラリス』を好きだった」


「……」


「今は違う」


 彼は続けた。


「仕事が嫌だって文句を言う君も、肉ばかり食べたがる君も、思っていたよりずっと口が悪い君も、相談者に『本人に聞け』って怒ってる君も好きだ」


「最後のは余計です」


「でも本当だろ」


「……はい」


「もう一度、俺と――」


「待ってください」


 クラリスが止めた。


 レオンの顔が固まる。


「やっぱり駄目?」


「違います」


「じゃあ」


「順番がおかしいです」


「順番?」


「以前の私たちは、家同士が決めた婚約から始まりました」


「ああ」


「婚約して、結婚することが先に決まっていて、その中で相手を知ろうとしていました」


「……うん」


「今度は逆にしませんか?」


 レオンが目を細める。


「友人になって、相手を知って」


「それで?」


「好きになったら恋人になる」


「それで?」


「その先で、まだ一緒にいたいと思ったら」


 クラリスは笑った。


「その時、婚約してください」


 レオンはしばらく何も言わなかった。


 それから、大きく息を吐いた。


「分かった」


「本当に?」


「今度は勝手に答えを決めない」


「よろしい」


「じゃあ聞く」


「はい」


「クラリス。俺と恋人になってください」


 今度はクラリスが黙った。


「……」


「クラリス?」


「少しくらい間をください」


「怖いんだけど」


「私だって緊張しております!」


「初めて見た」


「もう!」


 編集部から笑い声が上がった。


 クラリスは顔を赤くしながら答えた。


「はい。よろしくお願いします」


     


 それから半年。


《夜ふかし令嬢のお悩み相談室》に、一通の手紙が届いた。


『夜ふかし令嬢様。


 好きな女性に結婚を申し込みたいと思っています。


 一度、婚約を解消した相手です。


 今度こそ失敗したくありません。


 どう言えばよいでしょうか。


 R』


 クラリスは手紙を読んだ。


 そしてため息をついた。


「まだ相談してくるの?」


「何?」


 マリアがのぞき込もうとする。


「見ないでください」


「R?」


「見ないで!」


 クラリスは返事を書いた。


『R様へ。


 私に聞かないでください。


 相手が何を望んでいるのかは、私には分かりません。


 本人に直接聞いてください。


 今度こそ、勝手に答えを決めないように』


 その日の夕方。


 仕事を終えて新聞社を出ると、レオンが待っていた。


「こんばんは」


「こんばんは」


「新聞、読んだ?」


「読みました」


「返事も?」


「書いた本人ですから」


「ああ、そうだった」


 レオンが笑う。


「それで?」


「本人に聞けって」


「そう書きました」


「だから来た」


 レオンはクラリスの前に立った。


 以前のような完璧な顔ではない。


 緊張している。


 右手の親指を何度もさわっている。


「クラリス」


「はい」


「俺と結婚してくれる?」


 クラリスは少しだけ考えるふりをした。


「……」


「長い」


「三年間待てなかった方が何を言うのです」


「それを言われると何も言えない」


 クラリスは笑った。


「はい」


「……本当に?」


「はい」


「本当にいい?」


「レオン」


「何?」


「そこまで聞いたのなら、今度は信じてください」


 レオンは目を丸くしたあと、笑った。


「分かった」


「よろしい」


「じゃあ、これからも分からないことがあったら聞く」


「そうしてください」


「相談室に送っても?」


「直接聞いてください」


「はい」


 二人で歩き出す。


「ところで夕食は?」


「お肉が食べたいです」


「知ってる」


「あら」


「やっと一つ、聞かなくても分かることができた」


「では今日は甘い物も付けましょう」


「それは俺が好きだから?」


「私も好きだからです」


「それは初めて聞いた」


「まだまだありますわよ」


 三年間婚約していたころ、私たちは話が合わないのだと思っていた。


 どうやら違ったらしい。


 話が合わなかったのではない。


 話していなかっただけだった。


 もう投書箱を通す必要はない。


 分からなければ聞けばいい。


 嫌なら嫌と言えばいい。


 好きなら好きと言えばいい。


 今度は、ちゃんと二人で話していけるのだから。


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― 新着の感想 ―
こんな事なら直ぐに婚約破棄しないで自分の思いを伝えて変化をみてから判断しておけばこんな遠回りせずに済んだのに・・・ でも、遠回りしたからこそ上手くいったのかもしれませんね。
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