ぼくかわ(「 婚約破棄ですか?はい喜んで。だって僕は姉の代わりですから」)シリーズ
【番外編】婚約破棄ですか?はい喜んで。だって僕は姉の代わりですから!
コミカライズ第1巻発売しますよ記念投稿です
メルヴィンは名門タランティオン侯爵家の男子として、乗馬くらい、もちろんできる。
いくつもの馬場に一流の調教師や装蹄師を抱え、帝国随一の良血の馬を多く持ち、隅々まで清潔な厩舎まで持つタランティオン侯爵家の屋敷の窓からは、ごく当たり前のように馬の行き来が目に映る。
幼少のころから、メルヴィンは窓辺に椅子を持ってきて、本を読みながら馬の走る姿を眺めることが好きだった。
激しく動き回ることは双子の姉メラニーの得意分野で、そこまではいかずともメルヴィンもそこそこ運動はできる。
ただ、メラニーは類稀なおてんば姫だ。そこは弟として比べられたくない思いもある。
幸いにも、タランティオン侯爵家では、それぞれの個性や才能に応じた別々のカリキュラムで教育されてきた。メラニーは数々の武術と宮廷作法を極め、メルヴィンは文学を中心とした実務と学術へ造詣を深めてきた。
そんなとき、数少ないメラニーとの共同授業が、乗馬だったのだ。
二人揃って特注の乗馬服に着替えて、帽子を被り、立派な鞍を着けた気性の穏やかな大型馬に跨る。
すると、メラニーは決まってこう言うのだ。
「これじゃつまらないわ。軍馬くらいの暴れ馬を御せるようにならないと」
苦笑する調教師の横で、メルヴィンはしれっと馬を進ませて姉を振り返る。
「こんなにも御しやすい馬でさえまともに進ませられないくせに、よく言うよ」
弟として、メルヴィンは負けず嫌いのメラニーの心に火をつける方法を熟知していた。
案の定、メラニーは馬の腹を蹴って追いつこうとする。その形相は凄まじく、しかし馬は馬でマイペースに進むだけだ。
「どうして走らないのよ!」
「馬の気持ちが分からないうちは、そんなものだよ」
「メルヴィン、余計なこと言わない!」
ともあれ、メラニーはあれよあれよと言ううちに馬術も上達し、男性顔負けの腕前となる。それこそ、今となっては負傷した皇太子を抱え、隣国に通じる夜間の峠道を馬で駆けて踏破するくらいには。
だが、メルヴィンは知っている。
メラニーは類稀なるおてんば姫だが、同時に、類稀なる努力家だ。
自分の役目を果たすためなら、努力の末に、性別の垣根だってためらいなく越えてみせる。
たとえそれが栄誉とならずとも、そうすべきだと信じたからこそまっすぐ歩みつづける。それがメラニーという貴族令嬢だった。
☆☆☆☆☆
ハドリアーナ王国、王都郊外の王立牧場。
『帝国』タランティオン侯爵家令嬢メラニーと、ハドリアーナ王国第一王子リュカの顔合わせと婚約が成立してから、一週間と少しが過ぎた。
もちろん、メルヴィン扮する『メラニー』とリュシエンヌ扮する『リュカ王子』の婚約は——いずれ破綻するだろう。
それを承知の上で、二人は婚約を継続することで合意し、周囲の期待どおりに振る舞っている。
メルヴィンが気晴らしにとリュカに連れてきてもらった王立牧場は、穏やかな西風の吹く丘陵にあった。なだらかな牧草地の斜面で鹿毛の馬たちがのびのびと過ごし、春生まれの仔馬たちがメルヴィンを見て興味深そうに近づいてくる。
リュカが牧場の責任者へ挨拶している間、人懐こい仔馬たちをひと通り撫で回してから、メルヴィンは風通しのいい厩舎へと足を踏み入れた。
今のメルヴィンは『メラニー』だ。踵丈のドレスを着て、カツラを被り、お淑やかに振る舞わなければならない。
来訪者に気付いた馬たちが、ひょこっとそれぞれの馬房から顔を出してくる。
メルヴィンがにこりと微笑んで敵意がないことを示すと、それを見た行儀のいい馬たちは両耳を立てて警戒を解いた。
互いに触れられない程度の距離を取りつつ、メルヴィンは馬たちを一頭ずつ観察する。
「うん、みんないい馬だ。さすがハドリアーナ王室の抱える牧場、毛艶もすごくいい」
ハドリアーナ王国の王立牧場もタランティオン侯爵家と同様、所有する馬の数や格は大国にも引けを取らない。清掃の行き届いた厩舎、興奮することなくのびのびと暮らす馬たち、きちんと働く世話係たち、それに壁に掛けられた馬具一つ取っても磨き抜かれている。
メルヴィンが感心していると、馬の世話係の青年がやってきて、朗らかに話しかけてきた。
「お嬢様は馬がお好きなのですか?」
「ええ。実家にも多くいますから」
「やはりそうでしたか。馬との距離の取り方が随分慣れてらっしゃると思いましたから」
「ふふっ、お褒めにあずかり光栄ですわ」
「そんな、畏れ多い」
普通、貴族令嬢は馬に乗らない。というよりも、乗れない。
それ以前に、馬と接する機会がある貴族令嬢はさほど多くないだろう。せいぜいが移動のための馬車に乗り降りする際にすれ違うくらいで、興味関心さえ持たない。
(馬に乗らないと不便な辺境の貴族令嬢ならまだしも、馬に関わるのは男性の領分、と一般的には思われているだろうしな。まあ、僕はドミニクもそう思っているだろうからと逆手に取ったわけだが)
思い出すだけでも苦笑してしまう。メラニーの前の偽装婚約の相手ドミニクは、女性が馬に乗るなどはしたないとお怒りになって婚約破棄を突きつけてきた。
渡りに船、とばかりにメラニーに扮したメルヴィンはその婚約破棄を受け入れてせいせいしたのに——運命のイタズラとでも言おうか、また別の婚約を結ばされる羽目になってハドリアーナ王国へやってきた。
(メラニーはあれでも馬が好きなんだよな。馬には子ども扱いされているけど)
双子の姉メラニーの貴族令嬢らしくなさは、さほど貴族令嬢を品定めしたことのないメルヴィンでさえ「あれは違うよな」と思えてしまう。
馬の世話係の青年と談笑しつつ、そんな微笑ましい思い出が脳裏を通過したあと、メルヴィンは厩舎の一番奥にある馬房の異様さ——他の馬房と違って、頑丈な鉄柵に覆われて馬が顔すら出せないようになっている——に気付いた。
メルヴィンは馬房の中を覗き込む。それから、馬の世話係の青年へ、こう尋ねた。
「あの馬は? 他の馬とはおそらく種類が違いますけれど」
「ああ、遠い南の大陸から来た馬です。品種改良のため、ハドリアーナは世界各地から馬を仕入れていますが、あの馬は非常に気性が荒く……ただ、よく走るのは間違いないので、子どもに期待するところですね」
なるほど、とメルヴィンはその返答で腑に落ちた。
『帝国』もハドリアーナも、地理的には北の大陸に属する。北の大陸では、基本的に冷血種という大柄で気性の穏やかな馬が多く、これに対して南の大陸では熱血種という軽量でよく走り気性の荒い馬が多い。
なので、その両方の種を掛け合わせてより使いやすい馬、より速く走れる馬といった具合に品種改良をしていくことは珍しくはなく、ハドリアーナ王国王立牧場に熱血種の馬がいることはおかしな話ではない。
問題は、ここには鉄柵で人間に危害を加えないようにしなくてはならないほどの暴れ馬がいて、メルヴィンを柵越しに睨みつけてきている、というだけのことだ。
白と灰色の斑模様がある芦毛馬は、両耳を後ろに寝かせて、自分の縄張りに侵入してきた部外者であるメルヴィンから目を離さない。さらに細い前足で地面を掻き、苛立ちを露わにしていた。
鉄柵のおかげで冷静でいられたメルヴィンは、その馬と同じ模様を、昔滞在していた帝都で見たことがあった。
「ふむ。連銭芦毛ですね」
その単語を聞いた馬の世話係の青年は、明らかに驚いていた。
そこへ、リュカがやってくる。
「いい馬だろう? 見栄えがしないと馬商から煙たがられていてね、安く買えたんだ」
「リュカ」
第一王子の遅れた登場に、馬の世話係の青年は一礼をして慌てて去っていく。
馬に興味があるくらいならまだしも、馬の由緒ある毛色の専門用語を出す貴族令嬢、というのは彼の度肝を抜いたことだろうが、ひとまずタイミングよくやってきたリュカのおかげでメルヴィンは助かった。
一方、リュカはリュカで、第一王子らしく馬への造詣が深い。
「南の大陸と違って、こちらの周辺の国々では全身が均一に白毛や白に近い芦毛が好まれる。こういう斑模様の入った馬を、まるで汚れているかのように毛嫌いする貴族もいるくらいでね」
いつになくリュカは口が滑らかだ。ひょっとして僕の興味ある話題を見つけたと喜んでいるのかもしれない、とメルヴィンは満更でもない。
周囲に誰もいないことを確認して、メルヴィンは口調を緩める。
「そうなのか。帝国では、皇帝直属の近衛騎士団で連銭芦毛が珍重されているんだよ」
「へえ、それはお目が高い。さすが尚武のお国柄なだけはある」
「帝国では、古より軍馬といえば連銭芦毛のことを指すくらいだからね。まあ、僕はそういう暴れ馬には乗りたくないんだけど」
「そうかい? まあ、確かに『メラニー嬢』に乗ってくれとせがむわけにはいかないが」
メルヴィンは何も言わない。本物のメラニーなら、せがまれずとも自ら立候補して乗るだろうからだ。
「それより、私の——」
「リュカ、後ろ」
そう声をかけられて、リュカは振り向く。
リュカの背後には、鉄柵の向こうにお怒りの芦毛馬がいて、馬房内の空の桶を噛んで振り回していた。それはもうお怒りで、縄張りの侵入者たちがうるさい、と言わんばかりの芦毛馬の態度に、メルヴィンとリュカは謝るしかない。
「ごめんごめん、君のテリトリーでうるさくしてしまったね。行こう、メラニー」
「あ、ああ。ごめんな、ニンジン置いておくから」
メルヴィンは、近くにあった馬のおやつ用の細切りのニンジンを数本取って、鉄柵の隙間から半分ほど押し込んでおいた。
プンスカしつつも、芦毛馬はニンジンのために桶を放し、静かになる。
その隙に、二人は厩舎から出て、放牧地そばの道を散策することにした。
傍から見れば、仲のいい婚約者同士で他愛ない会話をしているように見えるだろう。
それでいい、いいのだが——。
「『糸杉の並ぶ街道に訪れる春の使者』と言えば?」
「『オリーブの芽吹き』かな」
「正解。どうやら君は我が国の文学にも精通しているようだ」
「大袈裟な、教養の範囲内だろ。糸杉は永遠、不変の象徴で、季節は問わない。だけどその足元や背景にある植物たちは変わり、移ろっていく。絵画や工芸分野でもよく使われるモチーフだ」
「帝国ではどうだい? 春といえば、どんな草花がある?」
「……帝国といっても広いんだけど」
「なら、君の実家、タランティオン侯爵領だと?」
「そうだな……ライラックの淡い紫の花咲く初夏、マロニエの白い釣り鐘花が空へ伸びて、白樺に緑の若葉が添えられる、とよく詩で詠われているよ」
「何だ、ロマンチックなことも口にできるじゃないか、メルヴィン?」
「き、君が言えって言ったんだろ!」
「ははは、素直なところも可愛いね」
「リュカ!」
こんな調子で、リュカは隙あらばメルヴィンをからかってくる。あるいは、口説いてくる。
無論、そこには気遣いもあるだろうし、演技だけというわけではない。ただ、メルヴィンは『メラニー』として上手く応じられているだろうか、と思わなくもない。
リュカは生まれたときから王子を演じてきただけあって堂に入った軟派ぶりだが、メルヴィンはメラニーの代わりを務めて数年だ。他人の目があれば『メラニー』でいられるが、リュカだけの前だと『素』が出ることもしばしばだ。
(うーん、やっぱり調子が狂うな……でも、リュカのためにも、メラニーになりきらないと……いけないのに、リュカは何でこうからかうかな!)
メルヴィンが崩れた表情を取り繕おうとしていたところへ、どこからともなく見覚えのある人物が駆け足でやってきて、リュカの前に立った。
リュカのお目付け役であり、日に焼けた肌の色男、コンリーゼ伯爵ジュリオ・ベルティーニだ。
しかし、そのコンリーゼ伯は何やら険しい顔をしている。
「ここにおられましたか、殿下」
「おや、ジュリオ。どうした?」
コンリーゼ伯はちらりとメルヴィンへ目配せする。
その意図を汲み取ったメルヴィンは、リュカとコンリーゼ伯から距離を取って、近くの木陰に身を寄せる。お二人の話には加わっていませんよ、という意思表示だ。
コンリーゼ伯が持ってきたのは聞かれたくない話か、それとも判断に困る話か。どちらにせよ、二人のやり取りはメルヴィンの耳にも漏れ聞こえてくる。
「……いや、最近はアトリエから絵を動かしていない」
「そうですか……では、あれは偽物でしょうか」
「どうだろうね。ただ、盗まれた可能性も否定できない」
「だとすれば、王宮に盗みを働く者がいたことになります」
「そこまで事を大きくはしたくないな。たかが絵のことだ、適当に誤魔化そう」
少しして、話がひと段落したころを見計らい、リュカがメルヴィンへと手招きしてきた。コンリーゼ伯の険しい顔も少しは緩んでいるあたり、そこまで緊迫した状況でもなさそうだ。
一応、戻ってきたメルヴィンは何事か尋ねてみる。
「コンリーゼ伯、どうなさったのですか? 絵、とは?」
「失礼しました、順にご説明しますと」
もったいぶって咳払いをしてから、コンリーゼ伯は仰々しくこう言った。
「殿下の手で描かれたとされる絵が、市中の食堂に飾られているのです」
なんだそれは。
メルヴィンは思わず口元まで出かけていたツッコミを呑み込み、真顔で少々首を傾げて誤魔化した。
☆☆☆☆☆
リュカは、ハドリアーナ王宮へ戻ると即座に動いた。
「さすがに私や君が市中の食堂へ出向くわけにはいかないから、ソフィアに見てきてもらおう」
メルヴィンも世話になっているハドリアーナ王宮のメイドであるソフィアへ命じ、その日のうちに市中の食堂にあるというリュカの絵を確認させたのだ。
このおっちょこちょいだが機敏な少女ソフィアは、あっという間に出かけ、あっという間に帰ってきた。まだメルヴィンが外出着を室内用ドレスに着替え終えていないうちに、である。
「ソフィア、ただいま戻りました!」
そして、着替え中のメルヴィンの部屋にやってきたリュカとソフィアを、タランティオン侯爵家からついてきたメイドたちが外で抑えている間にメルヴィンは何とか着替え終えた。
「それで、どうでした?」
大急ぎで着替えたそぶりなど微塵も感じさせず、ソファでゆっくりお茶をいただきながら待ち構えていましたとばかりの態度で、メルヴィンは話を聞く。
リュカ王子に命じられた大任を果たしたソフィアは、興奮冷めやらぬ様子で語った。
「はい! 馴染みの食堂でしたので、この目でじっくりと確認してまいりました」
リュカ王子の描いたとされる絵——実際には作者であるリュカも、市中に自分の描いたどの絵があるのかまでは分からない。
それゆえに、絵の詳細な状況を知るためには、一度食べた料理の味を再現できる卓越した分析技術を持つソフィアの観察眼が頼りだ。
「生まれたばかりの、おくるみに包まれた赤ん坊の絵でした。左に母親と思しき高貴な女性、右に産婆と思われる女性がこう描かれていて、あと小さな絵でした! ちょうど、私が持つとすっぽり体で隠せるくらいです」
ソフィアが語るその絵の内容は、なかなかに具体的だ。
これならばリュカも思い出せるのではないか。そう思ったメルヴィンだったが、隣に座るリュカの表情はどこか固い。
「ふぅん。じゃあ、作者のサインは?」
「それが、額縁の下のほうにあるのか、読み取れませんでした」
絵画鑑定において、作者を確定させる有力材料であるサインの有無が確認できなかった、というのは痛い。画家はほとんどの場合、自らの作品であることを示すサインをどこかに書いてあるものだからだ。
とはいえ、額縁に隠れて見えなかったのであれば、ソフィアの手落ちではない。メラニーに扮したままのメルヴィンはフォローを入れる。
「ならば、仕方ないですね。殿下は、その特徴の絵を描かれた憶えがおありで」
「ある」
「え?」
思案する固い表情のまま、リュカは目を細めた。
「それは、ジェノが生まれたときの場面を描いたものだ。それがなぜ私のアトリエの外に?」
その声色は、本当に信じられないという困惑の中に、何とも言い難い複雑な感情が入り乱れているようだった。
どう答えるべきか——メルヴィンもソフィアも、言葉が出ない。
なぜかリュカ王子の描いた絵が市中の食堂に飾られていた、というだけの話なら、極論、盗みとはせずとも誰かが持っていったのだろう、で済ませることもできた。
だが、リュカことリュシエンヌにとっては、年の離れた最愛の弟であり本物の王位継承者であるエウジェニオの誕生を描いたこと、その意味はきわめて大きいだろう。
(これは……まずいかもしれない。その絵は、リュカにとって相当思い入れのある絵じゃないか? そんなものをまさかリュカが手放すわけもないし)
メルヴィンの視線に気付いたリュカは、凍り付きかけた場の雰囲気を溶かすように愛想笑いを浮かべた。
「すまない、少し外すよ。アトリエに行って絵があるかどうか確認してくる」
やはり、リュカは絵の行方を気にしているようだ。
ソファから立ち上がったリュカの手を、メルヴィンは咄嗟に掴んだ。
「私も行きますわ。目と手は多いほうがいいでしょう?」
それらしい言い訳がメルヴィンの口から躍り出る。
すると、リュカは拒みはしなかった。
「まあ……昔の拙い絵を見られたくはないが」
「そのようなことはありませんわ。行きましょう」
「あ! では、ジェノ様もお連れしてよろしいですか? 確か、前に「兄上のアトリエへ入ってみたい」とおっしゃっておられたので、ぜひ!」
どうやら、ソフィアもすっかり仲間に入っており、さらにジェノ本人も呼んでくるつもりだ。
予想外の大所帯となったが、四人でハドリアーナ王宮の西棟へ向かうことになった。
☆☆☆☆☆
ハドリアーナ王宮自体は南向きに広がる大理石の城であり、その周囲に城塞も含めいくつかの石造りの建物が囲むように配置されている。
西棟もその一つで、小高い崖の上にあることから使用人たちの仕事場や宿舎となっており、少なくとも王族が足を踏み入れる場所ではなかった。
だが、リュカはそこに、自身の小さなアトリエを構えていた。
「わあ、ここが兄上のアトリエですか……!」
「すごい、本職の画家のよう!」
「そんなに面白くはないよ。先に窓を開けて」
古い油絵の具の匂いがかすかに鼻をつく薄暗い中、ジェノとソフィアがはしゃぎつつも、木板で閉じられた窓を開けにいく。
床や戸棚へ無造作に置かれたキャンバスたちが道を塞ぎ、窓辺のひらけた場所にはイーゼルと椅子、それから画材用のサイドチェストが並んでいた。その上には年季の入った木製のパレットが主人を待っている。
窓の木板が外されると、アトリエは十分すぎるほど光を取り込み、すっかり埃被った戸棚をリュカが一つ一つ開けていく。
王子のアトリエというには、何もかもが古びた調度品ばかりだ。ずっとハドリアーナ王宮で使われていたものを、リュカがここへ運び込ませたのだろう。
「ずいぶんと、アトリエにしては簡素というか」
「ここは元々、使用人の休憩スペースだったんだ」
「王子殿下が、そんなところをアトリエに?」
「ちゃんと理由はあるよ。ほら、外を覗いてごらん」
言われたとおり、メルヴィンは窓辺から外を見る。
小高い崖の上にある西棟からは、ハドリアーナ王宮の中枢部が一望できる。白亜の柱と壁、装飾性の高い彫刻が施された海に面したバルコニー、ところどころにあるドーム状の屋根の裏には必ず色鮮やかなフレスコ画が描かれている。
とはいえ、さほど建物は密集しておらず、ドーム状の屋根と同じく、あちこちに中庭が配置されていた。王宮の中にいながら自然と接する機会が多いのも、ハドリアーナ王宮の特徴だ。
「ちょうど向こうの中庭が一望できる。あそこは季節の花々を植えることが多くてね、温暖なハドリアーナでは育たないような北のものや日陰を好むものは城壁のそばに、日差しを好むものは南のひらけたところに、と庭師が丹精込めて世話してくれている」
やってきたリュカが指差す先に、普段であれば目が届かないような狭い中庭があった。
王族が見にくるわけでなくとも、庭師はそこに土と植物があるかぎり、見栄えよく華やかな場所を作り出す。
そして、リュカは昔からその仕事ぶりを眺め、気に入っていた。
おずおずと、ジェノ少年が会話に加わる。
「以前、父上がおっしゃっていました。兄上はここからの景色を気に入って、ここをアトリエに改築したいと願い出たと」
「そう、よく知っているね。父上は滅多にない私のわがままを聞き入れてくださって、こうして」
「ひゃあああ!?」
兄弟の語らいは、奇妙な悲鳴に遮られた。
メルヴィンたちが室内へと振り向くと、高い戸棚の扉を開けようとしたソフィアが低い踏み台の木面をうっかり踏み抜いてしまい、必死になって倒れまいと戸棚にしがみついていた。
リュカとジェノがすかさず助けに向かい、ソフィアは無事救助される。
「申し訳ございません! 絵は無事です!」
「絵はいいんだ。大丈夫かい、ソフィア」
「はいぃ……!」
ふと、メルヴィンがソフィアが開けようとした高い戸棚の扉の隙間を覗くと、ギッチリとスケッチブックやキャンバスが詰まっていた。
(王族の趣味というには、のめり込みすぎているくらいだけど……リュカも案外真面目だし、そもそも絵を描くことが好きだから、あんなにも上達したんだろうな)
数日前まで国王夫妻やリュカ、ジェノたちと滞在していた湖畔の別荘には、リュカの描いた大判の絵画が飾られていて、メルヴィンは本職の画家が描いたものと思っていただけに衝撃を受けたものだ。
絵は、熱意や技術だけでは成り立たない。上達には時間がかかり、その間にも美的センスは移ろい、何が正解か悩み、勉学よりも壁にぶつかることも多い。一流の画家たちでさえそうなのだから、比肩するレベルの絵を描けるリュカは手慰み程度でやってきたわけがないのだ。
ただ、今のこのアトリエで埃被っているキャンバスたちを前にして、リュカが何を思っているのか。
それは、メルヴィンにはまだ窺い知れない。
リュカは、キャンバスへかけていた埃除けの布を窓の外ではたき、ひび割れのひどいキャンバスの絵を確認してからまたかけ直していた。
「うーん、古いものはニスを剥がして塗り直さないとな。ここは思ったより湿気があるみたいで困るよ」
「もっと管理しやすいところへ、作品を移動すればよろしいのでは?」
「あくまで趣味だからね。あんまり大っぴらにしたくないんだよ、たまに事後承諾で持っていかれることもあるし」
「それは……」
「ああ、大丈夫、それをやるのは父上と母上だから。誰彼構わずというわけではないさ」
それならば、リュカも断りづらいだろう。湖畔の別荘の絵も、その流れで飾られているのかもしれない。
四人で、二人の女性と赤ん坊の描かれた絵を探すこと、十数分。
戸棚という戸棚を開け、床に置かれたキャンバスの列を確かめても、やはりその絵はなかった。
しかも、リュカが首を傾げる理由はそれだけではない。
「思ったより、数がない。誰かにあげたっけな」
「何だか、管理がいい加減ですね」
「盗んだって大した価値はないはずなんだけどな」
「ご謙遜を。こんなにも素敵ではありませんか」
「このくらいの絵を描ける画家は、国内外にごまんといるさ。作者の私が王子だからとありがたがられてもね、だからサインはイニシャルだけだし」
そう言われてメルヴィンが手元の一枚のキャンバスの下部へ視線を下ろすと、『L.H』という見落とされそうなほど地味なサインがあった。額縁に飾れば決して見えないだろう位置にあるのは、わざとだろう。
このアトリエに保管されているキャンバスやスケッチブックには、風景画、人物画、静物画、緻密画まで描かれていた。中には木炭のデッサンばかりひたすら続けていたであろう時期のものもあり、すっかり黒ずんでしまっているスケッチブックも少なくない。
いや、そうではない。
それ以外の、色彩のある絵が並ぶはずのスケッチブックが見当たらないのだ。
それを裏付けるように、ジェノが証拠を見つけてくる。
「ジェノ、何か見つかったかい?」
「兄上、見てください。スケッチブックの棚が、この部分だけ大量に抜き取られています」
その棚に何かがあった、ということは一目瞭然だった。
その部分だけ絵の具のかけらや埃がなく、接していた部分の木板は明るい色合いのままだ。
間違いなく、このアトリエに保管されていたキャンバスやスケッチブックは持ち去られている、ということは事実としてある。
であれば、何のために、誰が。
そこは、リュカ本人が分からなければ、他の三人には分かりようがない。
「どういうことだ? 絵は思ったより減っているし、スケッチブックまで持っていかれた? うーん」
それならば、とメルヴィンはそっとソフィアへ指示を出す。
「ソフィア、一応確認のため、王妃殿下へリュカ王子の絵やスケッチブックを持ち出したかどうかを尋ねてきてくれませんか?」
「はい、承知いたしました!」
「慌てなくて大丈夫ですから」
「となると、父上にもお尋ねしたほうがいいかもしれません。僕、行ってきます。父上は今、政務の休憩時間でしょうからちょうどいいです」
「お願いできるかな。頼むよ、ジェノ」
「分かりました!」
使命を帯びたジェノとソフィアは我先にと、アトリエを飛び出していった。
まだまだあどけない少年と少女の駆けていく足音が聞こえなくなってから、メルヴィンは口調を変える。
「ところでリュカ、このアトリエに来たのは久しぶりなのか?」
「そうだね、ここ半年は扉に触った記憶がない」
「だとすると、時期は特定できないか。とはいえ、君のアトリエだと知れ渡っているなら、そう簡単に盗みに入れるものでもない。可能性として残るのは、国王陛下や王妃殿下が……だけど」
おそらく、その可能性がもっとも高いだろう。
しかし、それはあくまでこのアトリエからどこかへ絵が動いたことだけしか明らかになっておらず、なぜ市中の食堂にまで流れたのか、という点は説明できない。
様々な推測を頭の中で生み出しては泡のように消し去り、メルヴィンは推理しようとする。
どのみち、絵が流出したなら取り戻せばいい。場所は分かっているのだから、それだけの話だ。
ただ、リュカの胸中はそればかりでもないようで、何かに引っかかっている。
それがリュカの口から語られるようになるには、二人きりになる必要があった。
「いや、それはいいんだ。絵が市中の食堂にあったって別にいい」
「なら、何がダメなんだ?」
「私の描いた絵、として評価されるのは嫌だってこともある」
少しむくれて、リュカは『嫌』を口にした。
王子の言動の一つで人は左右される。だから立場ある者はそう易々と好悪は口にできない……だが、本当にそれだけだろうか。
「そういえば、コンリーゼ伯はどうして君の描いた絵だと特定できたんだろう?」
「ふむ、そうだね。彼が私の絵のファンだとは初耳だ。冗談、どこかで噂が流れていた、とかじゃないかな。それにしたって根も葉もない噂とならなかったのは奇妙だ。それに、父上や母上が私の絵を持ち出すときは一言ある。ここ最近は何も言われていないし、まさか本当に盗まれたのか?」
リュカも、メルヴィンと同じところまで考えついていたようだ。
(ただ、その推測を語りながら、リュカは自らの矛盾に気付いているだろうか?)
そこを直接指摘するほど、メルヴィンも野暮ではない。
それとなく、リュカをなだめる。
「そう判断するには情報が少なすぎる。もう少し様子を見よう、二人が何か手がかりを持って帰ってくるかもしれないし」
メルヴィンに気遣われて、ようやくリュカは「あっ……」とこぼした。
こほん、と小さく咳払いをして、リュカは照れ臭そうにはにかむ。
「君の言うとおりだ。大したものじゃないって自分で言っておきながら、焦っていちゃ格好がつかない」
メルヴィンは大きく頷いた。
「ははっ、そういうことだね。大丈夫、絵は戻ってくるさ。でも、君が弟の誕生に感銘を受けたからこそ描かれた絵は、その事実だけで十分すぎるほど価値がある」
「うん。できれば……」
「早く取り戻したい?」
「いや、描き直したいかな。今ならもっと、鮮明に描ける気がするよ」
「いいね。完成したら、ジェノ王子に見せないとな」
「んん、それは恥ずかしいかも」
その恥ずかしいには二種類の意味がある。絵をモデル本人へ見せる気恥ずかしさ、そして兄上大好きジェノ王子は家宝にすると言い出しかねない大興奮へのドン引き。
何にせよ、もうリュカは落ち着きを取り戻し、きちんと対処できるだろう。
しばらくして、別の使用人がメルヴィンたちを呼びにやってきた。
「国王陛下と王妃殿下がお呼びです。大広間までおいでくださいませ」
思わずメルヴィンとリュカは顔を見合わせ、事態の急展開を予感した。
☆☆☆☆☆
謁見用の大広間で、メルヴィンとリュカはハドリアーナ国王夫妻から種明かしをされた。
「ごめんなさいね、絵画修復官が張り切ってたくさん持ち出してしまったみたいで」
申し訳なさそうに王妃は困り眉を浮かべ、国王に至っては気苦労からかため息を漏らしていた。
メルヴィンはそっとリュカへ耳打ちする。
「絵画修復官って?」
「最近設置された役職でね。ハドリアーナ国内に大量にある、古代から現代まであらゆる絵画作品の保存修復を担う官職だよ」
他にも彫刻や陶芸など色々とあって——というリュカの長くなりそうな説明を、国王が制する。
「リュカ、メラニー嬢にややこしい説明をしてどうする。とにかく、その絵画修復官が王宮にある絵画の修復から手をつけはじめ、特にお前の作品の保存状態がよくないと進言してきたものだから、我々で持ち出し許可を出していたのだ」
ああ、確かに、とメルヴィンは納得してしまう。
あのアトリエは多湿気味で、お世辞にも絵の保存には向かない。すでに昔の絵は保存のためのニスが剥がれかけていたし、部屋のあちこちに絵の具のかけらが落ちていた。
(絵画修復官なんて専門家が見たら、卒倒しそうだよな……)
当のアトリエの管理者はというと、笑顔で知らんぷりをして己の過失を誤魔化していた。
「なるほど。あとでそのリストを見せてもらっても? 盗難や紛失したわけではないと分かればそれでいいのです、お気遣い感謝いたします」
あれだけ大量に置いていれば、一枚盗まれたって分かりはしない。そういう冗談は胸にしまい、メルヴィンも淑女らしく微笑むしかなかった。
しかし、スケッチブックまで修復対象なのか——と思いきや。
「そういえば……なかなかいい絵ばかりで絵画アカデミーの若い学生たちの参考になるからと、絵の一部とスケッチブックも借りたいと言っていたな」
「あら、そうだったかしら」
国王夫妻が顔を見合わせる。
しん、と大広間が沈黙に包まれた。
意外とこの夫婦、トラブルメーカーなんじゃないか、などとメルヴィンが不敬なことを考えはじめたころ、大広間の扉が開き、勢いよく巻き髪の官僚が入ってきた。
「失礼します! お召しにより参上いたしました、エドワーズと申します!」
「おお、ちょうどよかった」
国王は絵画修復官エドワーズへ向き直り、かくかくしかじか、市中の食堂の絵からアトリエの状況まで説明する。
その話が進むにつれ、みるみるエドワーズの顔色が青くなり、ついに叫んだ。
「まさか、あれらはリュカ王子の作品だったのですか!?」
「あら、言っていなかったかしら?」
今度は王妃とエドワーズが顔を見合わせる番だった。
またしても大広間は静まり返り、王妃は困り果て、国王にジト目で睨まれてリュカへ助けを求めていた。
なんとなく気まずい雰囲気の中、リュカもメルヴィンももう愛想笑いではなく、呆れて笑うしかない。
「どうやら、行き違いが相当あったようだね……」
「ま、まあ、一件落着……じゃないな? どうして市中の食堂に君の作品が?」
そこから、わざわざ呼ばれた絵画修復官エドワーズの平謝りを交えた諸事情の説明もあり、この問題は雲散霧消するのだが——メルヴィンはこう思った。
(このゆるさ、リュカが今まで性別を隠し通せたのは、それが最大の理由では……?)
もし事件が起きたのが帝国ならばあり得ない、ボタンのかけ違えのような誤解と報告ミスは、こうして有耶無耶に幕を下ろしたのだった。
☆☆☆☆☆
絵画修復官エドワーズ曰く、絵画修復局は後進のため修復中の様々な絵画を、王立絵画アカデミーの学生へ見学する機会を設けているらしい。
さすが芸術を愛するハドリアーナ王国というべきか、若い芸術家志望の学生には積極的に見本となる最高の作品を見せて目を養わせる習慣があるのだ。
その見本となる作品に、王子であるリュカの絵が混じっていた、という管理不行き届きがなければ、メルヴィンも素直に賞賛していただろう。
「というわけで、市中の食堂にあった絵は、絵画アカデミーの学生が私の作品を模倣した習作だったよ。はっはっは」
そういうわけである。
朝食後にリュカと廊下を歩きながら、メルヴィンは頭を抱えたくなった。
リュカの絵——ジェノの誕生場面を描いた小さな絵を見た学生が、それを気に入ってすっかり模写したのだ。すると、出来がよかったため、市中の食堂がそれをささやかな値段で買い取った。思わぬ形でリュカ王子の描いた絵の贋作が出回り、偶然食堂を訪れた本物を見たことのある人物が騒ぎはじめたのが騒動の発端となった、というわけである。
「どうやら私の本物の絵を見たことのある『誰かさん』がそれを見て、騒ぎにしてしまったらしい。本物は今まさに修復中だから見せられないけれど」
「ああうん、いいよ。仕方ないさ、またの機会を楽しみにしている」
ついでに聞かされた、コンリーゼ伯が食堂自慢の看板娘へ会いに行かなければ騒ぎにならなかった、というリュカの愚痴は聞かなかったことにした。
ハドリアーナの男性はすぐ女性を口説く。そしてトラブルを引き起こす、とメルヴィンは心に刻んでおいた。
それよりも、リュカは模写をした学生と話をしたらしく、そのときのことをメルヴィンへと聞かせてくれた。
「その学生曰く、私のあの絵を見て、ひどく感動したんだってさ。母親と産婆の顔は書かず、あくまで生まれた赤ん坊に目が向けられ、世界の祝福を受けたかのように光差すその描写が素晴らしかった、と褒めてくれたよ」
リュカの横顔は、嬉しさを隠しきれていなかった。
誇らしげに、そして今となっては認められたことを受け入れつつあるその横顔へと、メルヴィンは一押ししておく。
「それは君が、ジェノが生まれたことを喜んだ証だな」
「だったら嬉しいね。いつかジェノに見せて、自慢しよう。私はこんなにもお前の誕生を喜んだんだぞ、って」
それはいつになるのか、できれば早いほうがいいだろう。
リュカにとっては今までそんなことを考えつきもしなかったのだろう。王子にさせられた彼女は、本来の王子であるジェノへずっと引け目と遠慮を覚えていたのだから。
でも、もう大丈夫だ。白日のもとに晒された絵は、リュカとジェノの関係までも露わにさせて、余計な感情を取り払ってしまった。
「君は……きっと、弟に自分の重責を負わせてしまうのでは、と考えたんじゃないか?」
メルヴィンは顔を前へと向けたまま、言葉を続ける。
「自分が解放されることを喜ぶよりも、君はそういう人間だ。もし自分が男だったら、弟にこんな面倒を負わせずに済んだのにと、きっとひどく気遣うだろう」
「……そうかもしれないね」
「でも、絵に残したということは、それ以上に嬉しかったんだろうね」
いくつものわだかまりや無数のしがらみがあろうとも、他人を感動させてしまうほどにリュカの絵は鮮烈に物語った。
リュカが一歩、前に出る。
黒髪の房から垣間見えた頬には、迷いも恥じらいもなかった。
「いつか、そのあたりのこともじっくり聞かせてくれ」
「いいよ。そのときは、絵を前に解説してあげよう」
リュカはそれまで自分たち二人の関係はどうあれきっと続いている、と信じているかのようだ。
願わくば、そうであれ。メルヴィンは心の中で祈った。
「それはそうとだ」
「わっ」
「話は変わるが、このあいだ、牧場に気性の荒い芦毛の馬がいただろう?」
「ああ、あの連銭芦毛の……」
「どうせならその価値が分かる人間のもとで飼われたほうがいいだろうと思ってね。君にあげるよ」
「は?」
突然すぎる話題の転換だった。しかし、断る理由はない。
(あの連銭芦毛の馬は、きっとハドリアーナではいい待遇を受けられないだろう。だったら、まあ、うちで引き取ったほうがいいよな……どうせリュカは厚意で言ってくれているだろうし、うん)
ほんの少しの悩みのあと、メルヴィンは了承する。
「あー……うん、メラニーも喜ぶよ。きっと。あと、うちの長兄も動物が好きだから喜ぶと思う」
「そうか、ならよかった! 大丈夫、君の帰りとは別便でタランティオン侯爵家へちゃんと送り届けるからさ」
リュカは上機嫌でくるりとその場で回る。
それだけには留まらない。鬱憤や問題から解放された彼女は止まらない。
「ふふふ」
「何だよ、気味の悪い笑い方して」
「まるで恋人への贈り物のようだな、と思ってね」
「それにしては色気がない贈り物だな」
「じゃあ、お詫びに君の裸を一枚描こうか?」
「けっこうですッ!」
「冗談だってば。怒るなよ、メルヴィン」
「まったく」
この時点ではいつもよりリュカの軽口がすぎる、程度の認識だったメルヴィンは、さらなる追撃を予想していなかった。
「あ、そうか。私の裸を描いてあげたほうがいい? よく戦場へ行く恋人へ女性から贈るらしいんだけど」
「君はもうちょっと恥じらいを覚えてくれ!」
「冗談だってば。あっはっは!」
完全にからかわれ、真っ赤な顔をしたメルヴィンは逃げるリュカを大股で追いかけるわけにもいかず、その場で地団駄を踏む。
恋人、確かに婚約者同士なら恋人の範疇に入るのだろうが、いやしかし。
モヤモヤしたものを抱えつつ、メルヴィンは実家へ「リュカ王子から馬をもらいました」という連絡を入れなければならない。
祖父もきっと首を傾げるだろうが、まあいいや。
メルヴィンは廊下の先で待っているリュカのもとへ、ゆっくりと歩いていった。
(了)
コミカライズ版の設定も取り入れた番外編でした。
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