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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

光の届かない場所で

作者: 円山 英茉
掲載日:2026/04/12



そうして彼は梯子を下って帰ってきた。

「ミラ、おかえりなさい」

「ただいま」

頬に煤のようなものが付着していたので、僕はあらかじめポケットに仕舞っておいたハンカチを差し出した。

ミラがどこについてる?って首を傾げるから、人差し指で己の右頬を指差す。力強く拭われたところは少し赤くなっていた。

「今日の調子はどう?」

「120点満点だよ」

「さすがだね」

帰ってくるタイミングを見計らって淹れておいたティーポットに手を伸ばす。ミラを向かいの席に座るよう促し、ついでにウォーマーから温かいおしぼりを2つ取り出した。

「お、今日ははちみつ紅茶だ」

「市場で買ってきたんだ。試飲させてもらったんだけど、これがまた程よい甘さでさ。カモミールも入ってるらしいし、寝る前にちょうど良さそうだなと思って」

「ありがとう。お金はいつものところから取っておいて」

ミラのふうっと吐いた息で、部屋中はちみつ紅茶の香りでいっぱいになった。《いつものところ》を見る。藁で編んだ小さなバスケットの中には銀貨と紙幣が入っている。僕たちはアレを《共通口座》と呼んだり《いつものところ》と呼んだりしていた。

「…いいよ。これは僕からのプレゼント。いつも頑張ってるミラへのプレゼントだから」

目を見ずに応える。どんな顔をしているだろう。ゆっくりとはちみつ紅茶を頬張る。ミラの鼻が嬉しそうに鳴ったのが分かった。


「透、もう少しで惑星サンレスへ行けそうだよ」

それまで僕は皿の上で転がるケーキの残り滓を見つめていた。その声はいつもより上擦っているような気がして、己の心臓がドクンと脈打つのを感じた。

「通路が完成したから、あとは土地環境を調査して、仮設コロニーを移動させる必要があるんだけど」

「もうそんな段階まで来たんだ」

僕の言葉にミラは誇らしげに微笑んだ。

「たくさんの力を借りたけどね。サンレスに着いたら僕が調査隊長として動く代わりに、毎日報告書を提出しなきゃならないのが面倒なんだよなぁ」

息をする合間に、はちみつ紅茶を口元へ運ぶ様子をじっと見つめる。甘すぎないものを選んでよかった。気に入ってくれたみたいでホッと一安心する。

「でもまあ、透が安心して住める場所ならそれが一番嬉しいから」

そっと僕の手にミラの手が重ねられた。彼の親指がザラついた僕の皮膚を愛おしそうに撫で続けている。


自分がいつから日の光を浴びなくなったのか、少し前の出来事であるはずなのに、思い出したくないと脳が拒否してくる。しかし、日光アレルギーだと告げられた時の絶望感は、頭が、この肌が、嫌でも記憶していた。


僕は地球から浴びる太陽の光が好きだった。夏と冬で日差しの強さが違うこと、朝起きてカーテンを開ける瞬間や夕方にかけて沈む太陽を眺めることが好きだった。簡単な話、それら全てが出来なくなってしまった。日光アレルギーにも段階があるらしいけど、僕は極めて重症といわれるレベルと診断された。それは突如、地球上で増殖し始めた《未明花》が原因だった。名の通り、夜がまだ明けきらない、日の出前の時間帯に咲き始めるため、そのように名付けられたもの。

僕と同じく未明花で日光アレルギーを患った人間は多くいたが、なぜ未明花が咲くようになったのか、そして未明花が反応する者とそうでない者の違いに関して、確かなことはまだわかっていないらしい。


人は太陽光を浴びなくなると時間の感覚を失う。時の流れがわからなくなる。医者から診断されたその瞬間から僕は、どうしようもなく1人で生きていくことが怖くなってしまった。


守りたい。ミラはそう言った。そうして僕のことを強く抱きしめてくれた。一生僕のそばを離れないと誓った。

「俺、透が笑顔で暮らせる場所を探すよ」


それからミラは自身の持つ卓越した頭脳と技術を活かし、極めて珍しくも独学で惑星間整備士になった。


惑星間整備士とは、宇宙大航海時代において必要不可欠な存在である。地球ではない星で暮らすことが可能になったいま、人間はこの広い宇宙のありとあらゆる場所に身を置き始めた。

惑星間の行き来をスムーズに行うため、航路の整備や点検、場合によっては軌道修正を行う必要がある。他にも未開拓の惑星を現地調査したり、長い時間で歪んだ重力バランスを整えたりなど、惑星そのものに関与することも行うため、別名《宇宙のなんでも屋さん》と呼ばれたりする。


ちなみに惑星間を移動する手段はさまざまで、遠くの惑星へは新幹線のように速く進む宇宙船に、比較的近い距離の場合は、まるでショッピングモールにあるみたいな移動式の自動階段、インタープラネタリー・エスカレーターなどがあり、近頃では某アニメに出てくるような扉型ワープホールの開発が進んでいるらしい。


惑星間整備士には階級が定められている。

第三級は基礎的な作業や、他整備士の補佐として事務作業を行う資格を得るもの。大抵の人間は三級から取得し、現場で働くようになってから第二級、第一級…と資格取得に努めることが多い。

第三級と第二級に取得する資格の差はないが、第二級は大学院を出ても取ることが難しいとされているレベルらしい。


そもそも天文学の他に物理学や宇宙工学など、数々の学問を学ばなければ到底なれるはずもない職業なのだが、うちのミラは独学で国家資格である第二級惑星間整備士に合格したのだ。

「運が良かったんだよ」

とても照れくさそうだったのは覚えている。合格通知を見せられた時、僕は喜ぶよりも恐怖心のほうが勝った。目の前の男は天地をひっくり返すほどの天才なのではないかと思った。


第一級を取得するには丸5年の現場経験が必要らしく、ミラは一級取得に向けて日々の業務に取り組んでいる。控えめにいってバケモノだ。


ミラが惑星間整備士になってから、僕は太陽から逃れるように、隠れるように、彼の薄暗い研究室に住まわせてもらっている。日の光が1ミリたりとも入らないこの部屋は、地球からはるか遠く離れた惑星に存在している。カーテンがなくても陽を浴びることがないここから眺める景色は、いつだって壮観だった。そして圧倒的に広がる無限の空間は、どこか物寂しく、そして不気味さを感じさせる。僕は暇さえあればずっと窓の外を眺めていた。


「年数でいうと、あとどれくらい?」

カモミールの効果が出始めたのか、ミラは重たそうな瞼をゆっくりと持ち上げてこちらを見た。

「あと…1年半ってところかな。早くて1年、遅くて2年はかかると思う」

「そっか。あっという間だね、きっと」

席を立ち、今にも椅子からずり落ちそうなミラに手を伸ばす。肩に触れると彼は柔らかく笑った。

「今日もお疲れさま」

ミラを抱き寄せて、すぐ後ろにあるベッドに優しく寝かせてあげる。鉛のように重たい瞼は、地球よりも重力が小さいこの惑星でも勝てなかったみたいだ。


地球から遠く離れたこの地はよく冷える。特に朝晩は冷え込みが激しい。風邪を引いてしまうとすぐには治らないだろう。乾燥機にかけたばかりの掛け布団を首元までかけてあげる。

「…おやすみ、ミラ」

返答はなかった。耳を立てずとも聞こえてくる規則正しい寝息の音。目にかかる長い前髪を掻き分けて、おでこにそっと口づけた。


僕は知っている。ミラが誰よりも努力していること、そして誰よりも負けず嫌いなことを。

掛け布団を少しだけ捲ってそっと手首に触れる。1週間前よりひとまわり細くなったな、と思う。ミラの体がこの宇宙空間に上手く馴染みきれていないことに気がつくのは早かった。本人は隠しているつもりなんだろうけど、日に日に痩せ細っていく姿に僕が感付かないはずがない。


惑星サンレスでの業務にあたるようになってから、帰宅するや否や、おぼつかない足取りのまま寝床につくのが習慣になっていた。声をかけてもあやふやなものしか返ってこない。朝だけはどうにか栄養を摂ってほしくて、朝ごはんの栄養ゼリーとついでにお昼用のサンドイッチを持たせていた。


「いつもありがとう、大好きだよ」

僕がミラにしてあげられることを探す。それがここに来てから決めた、僕のやるべきことのひとつだった。ミラから自由に出入りして良いと言われた資料室へ向かうため、僕は足元の地下室へと続く専用ハッチを開けて梯子を下った。

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