キタさんとミタオくん 2
今日はバレンタイン。
川沿いの古いアパートの窓に、薄い冬の光が貼りついています。
ストーブはありません。
やかんを火にかけて、湯気で少しだけ部屋をあたためます。
キタさんは朝から机に向かって真剣な顔をしていました。
広告のチラシを三枚、じっと見比べています。
「……ここが最安値ですね」
メモにはこう書いてあります。
《板チョコ 特売》
⸻
帰り道、商店街の端のスーパーに寄りました。
派手な箱のチョコレートは、もちろん見ないふりです。
銀紙に包まれた板チョコを二枚、かごに入れました。
レジで少しだけ迷って、一枚戻しました。
「今日は一枚で十分です。気持ちは二枚分です」
誰にも聞こえない声で言いました。
⸻
部屋に戻ると、小さな鍋に湯をわかします。
ボウルはないので、どんぶりで代用です。
チョコを割りながら、つぶやきます。
「均等に割るのは難しいですね」
少し欠けたかけらは、味見ということにしました。
「毒見完了、安全です」
溶けたチョコに、砕いたビスケットを混ぜます。
形は不ぞろいですが、丸めました。
「見た目より、内容です」
アルミホイルに包んで、赤ペンで小さく書きます。
《みたおくんへ》
ひらがなにしました。
やわらかい印象だからです。
⸻
夜。
ミタオくんが帰ってきました。
手がかじかんでいます。
「ただいま。今日、風やばいね」
「おかえりなさい、先にお湯どうぞです」
湯のみを渡してから、キタさんは少しだけ背筋を伸ばしました。
「本日、行事があります」
「行事?」
「年に一度の、甘い日です」
包みを差し出します。
⸻
「え、チョコ?」
「はい。高級ではありません」
「そんなの関係ないって」
「関係あります。なので先に言いました」
ミタオくんは笑いながら開けます。
形の少しゆがんだチョコのかたまりが三つ。
「手作り?」
「台所作業です」
「ありがとう」
「どういたしましてです」
⸻
ラジオから偶然、バレンタインデーのキッスな曲が流れていました。
チョコをひとかじりして、ミタオくんが言います。
「美味しいね。なんか、安心する味」
「原材料が明確ですから」
「それだけじゃないと思う」
⸻
その夜は、いつもより少しだけ話しました。
将来のことは話しません。
明日のことを少しだけ。
電気を消すと、窓の外の川の反射が天井で揺れました。
キタさんは小さな声で言いました。
「高いチョコではありませんでしたが、気持ちの温度は高いです」
暗闇の中で、
「それが一番効くんだよ」
と、ミタオくんが答えました。
やかんの余熱だけが、しばらく部屋に残っていました。




