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406『鬼道、追い詰めて(カケルのターン)』

 夜の帳が風に揺れるようにその時は訪れた。


 山岡から出て来た“武田の赤備え”が織田信忠の本陣目指して突進してきたのである。



「急報にございます。武田勢が押し寄せてまいりました」


 伝令を受けた信忠は、床几にこそ腰かけ、采配を握っているが、静かな夜である。連日の緊張に疲れ果

 て居眠りをしていたところを叩き起こされた。


「寄せ手は、いかほどだ?」


「およそ、6千。赤備えの総攻撃です」


 信忠は、いきり立った。八王子神社の本陣にいる諸将の顔を見る。


「ん? 誰もおらぬではないか」


 光秀が、篝火の陰から姿を現して呟いた。


「若殿、池田も河尻も、昨日の汚名を晴らそうと躍起になっているのでございます」


 光秀の蛇目じゃのめが信忠の背筋を舐めたような気がした。


 信忠は、背筋が震えるのを必死で隠して、光秀に厳しい顔を向ける。


「光秀、お前は、ここで何をしておるのだ?」


 光秀は、ニヤリと笑って言った。


「某は、待っているのでござる」


「待っている?」


「はい、その時を――」



 八王子神社の北面で体制を立て直し、陣を張る池田恒興たちは、迫り来る赤備えのひづめの音に、槍を握り、突撃に備えた。


「よいか、長可、せん、大助、此度は敵に遅れは取ってはならぬぞ! 心して当たれ‼」


 長可は、名槍・人間無骨を地面突き立てる。


「次こそは、武田の三枝昌貞とやらの首を獲ってくれるわ!」


 長可の豪胆さに、妻のせんが答える。


「長可様、私は後方から援護します。兄上は、槍衾やりぶすまを並べ、赤備えの突撃に備えてくだされ」


 大助は、妹の采配に素直に頷いた。


「うむ、此度は、俺が一陣となり槍衾を並べ、正面からの突撃を防ぐ。長可、せん、敵が割れたら後は任せたぞ!」


 息子たちの勇ましい覚悟を聞いた恒興は、大きく頷いた。


「よし、池田の者よ! 赤備えを跳ね返すぞ‼」



 その頃、山県昌満率いる赤備えと別行動をとり、明知光秀が空にした陣の焼け跡に僅かな手勢と入った武藤喜兵衛(後の真田昌幸)は、焼け跡を丹念に調べている。


「ほほう、光秀のこの陣。山岡からの正面の陣幕の裏に柵を設けてある。これだと、我らの騎馬は防げるが、逃げてくる池田勢は取り込めぬ仕掛けだ。……明智光秀という男、味方を撒き餌にして、我らを討ち取る気であったか、まったく、恐ろしき奴が敵におる。昌満殿が危ない。先を急がねば!」


 喜平衛は、すぐさま、手勢を率いて、赤備えの後を追った。



「かかれ!」


 赤備えの先鋒大将・三枝昌貞の号令で、第一陣が怒涛の如く池田大助の待ち構える陣へ突撃する。



「今だ。槍を落とせ!」


 大助の号令で、横に並んだ槍隊が、切っ先を突撃してくる赤備えに向ける。



「いかん、左右に散れ!」


 昌貞は、大助の槍衾に突っ込むは避け、部隊を左右に開いた。



「待って居ったぞ、三枝昌貞! 今度こそ、その首もらってやる‼」


 待ち構えていた長可が、人間無骨を振るって槍を当てる。


「ふん、また、お前か。若造の癖にしつこい奴だ。だがな……」


 昌貞が槍を跳ね返す。


「かかれ!」


 長可の待ち伏せを知っていたのか、赤備えの第二陣、孕石元泰の軍勢が雪崩の如く押し寄せて来た。


「なんだと!」


 さすがの長可も、この勢いには、一瞬慄いた。


「その首、もらった!」


 昌貞は、その一瞬の隙を見逃さなかった。鋭い突きを放ち長可の片袖を薙ぎ払った。


「うぬぬ!」


「長可様、助太刀ごめん!」


 一斉に、長可を越えて赤備えに向かって遠弓に矢の雨が降って来た。


 池田せんの号令で、夫の窮地を覚った妻の機転だ。


「皆、一旦、矢を避けよ!」


 昌貞の号令で、手足の様に、元泰の軍も散開する。


「見事だな。武田の赤備えの統率は」


 目の前で、自在にうねりを見せる赤備えに長可は感嘆の声を上げた。


「大助様の南を抜け、敵の別動隊が恒興様の陣を狙って動いておりまする!」



 烈火のごとくまるで火柱を上げながら進むように騎馬を駆る広瀬景家が、恒興の陣へ迫る。


 恒興は、床几からゆっくり立ち上がり、籠手を縛る紐を確かめた。


「恒興様、南の敵へは、稲葉様が動かれました」


 恒興は、目を見開いて唸りを上げる。


「さすが、稲葉一鉄殿だ。心強い」


 恒興は、一息ついて、また、床几に腰を下ろした。



 赤備えと池田軍の戦端が開かれた後方で、山県昌満に追いついた喜兵衛が、ぬっと並びかけて耳打ちした。


 それを聞いた昌満は、ニヤリと笑って言った。


「フッ、さすがは、真田の者だ。好きにいたせ」


「はっ、好きに動きまする」


 と、言って喜平衛は手勢を率いて、小隊を南へ動かした。



 八王子神社の陣屋から表へ出ていた光秀が、目を凝らして、喜平衛の小隊の動きを捕えた。


「ほう、敵は桂馬をって来たか、ならば、そろそろ、俺も動かねばなるまい。利三としみつ、準備は良いか!」


 側に控えた斎藤利三が、頷く。


「はっ、殿、準備は整っておりまする」


「うむ、よし、我ら明智は正面から、桂馬を蹴散らし、あの鶴岡山の頂を目指す! 行くぞ!」



 鶴岡山の頂で、嫡男・智林と、山の防衛を任された“鶴岡山の猛虎“の異名をとる下条智猛は、明智光秀の動きを見逃さなかった。


「智林、おそらく、あれは明智光秀だ。真っすぐこちらへ向かって来よる」


 そう言って、脱いで側に置いていた芥子色の兜を手に取り、顎紐を結んだ。


「父上、私も初陣として加えてください」


 十三歳の智林は、初陣を父にせがんだ。


「智林、お前は頭を丸めた僧侶だ。槍など持たず、十の兵を預けるから、この父に代わり、ほれ、吉良見から登ってくる敵を撃退いたせ」


 と、手勢二十を率いて、鶴岡山の正面の茂みへ下って行った。


 智林は、山に消えて行く父の背中っを見送りながら胸中で呟いた。

(父上、この砦は、この智林が命に代えて守り通して見せます。どうか、父上も御無事で)



 その頃、配下の足軽たちをすべて長谷川秀一の陣へ返したカケル(肉体は嶋左近)と菅沼大膳と山県お虎の三人は、吉良見口から山の中ほどまで登っていた。


 大膳が、岩肌に手を掛けながらカケルに不満を漏らす。


「おい、左近。よりによって、どうして、こんな岩肌を登るのだ。道なら他にもあるだろう」


 同じく岩肌を登るカケルが答える。


「こんな絶壁をまさか誰も登ってくるとは思わない。だから、ここから行くの。罠も仕掛けようがないしさ」


 先に岩肌の踊り場へ昇ったお虎が、カケルに手を刺し伸ばす。


「左近、さあ、もう一息だ」


 カケルは、お虎の手を掴む。


「ありがとうお虎さん」


 と、カケルは踊り場に上がった。


 それにつづく、まだ岩肌の大膳が、


「お~い、お虎よ。次はワシに手を貸せ」


 お虎は、下をのぞき込んで、足元の小石を大膳に向って蹴る。


 大膳の頭に小石が当たる。


「おい、お虎、危ないではないか!」


 お虎は、ポンポンと手を払って、


「大膳、お前は口ばかり達者だから自力で上がってこい」


 と、さっさとカケルにつづいて先に行ってしまう。


「おい、お虎!」


 大膳の手が踊り場に手を掛けたその時だ。


 シュッ!


 カツンッ!


 大膳の手の僅か半寸の所に矢が飛んできた。


 大膳は、慌てて踊り場によじ登り下を見ると、下で弓を構える男がいた。


 元は武田家に居た大膳が、目を凝らしても知らぬ顔だ。


「ずいぶん若い奴だ。新参者か」


 大膳は、狙われているのは承知しつつ、尻を巻くって手で叩いた。


「武田の若造、名を何と申す!」


 シュッ!


 否応なく矢が飛んできた。


「おおっ、話しが通じぬ相手か、こりゃ関わると損だわい。先を急ごう」


 大膳は、慌てて尻を巻くって、カケルとお虎を追った。



 岩肌の崖の下で弓を背に担ぎなおした男、それはカケルの肉体を持って戦国時代へやって来た島左近が迫っていたのだった。



 つづく



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