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404『織田信忠(カケルのターン)』

 散々に打ちのめされて撤退してきた池田・河尻、無傷で同じく撤退してきた明智・稲葉の軍。


 八王子神社の陣幕に戻って来た各将を、信忠は睨みつけて一周すると、自分の腿を軍配が叩き折れるほどの強さで叩いた。


「お前たち、おめおめと逃げ帰って来て、一体何をやっておるのだ! それに、光秀! 敵にはあの山県昌景が居ると言うではないか、お前、たばかられたのではないか」


 光秀は、一瞬、視線を逸らし後ろに控える斎藤利三に送って確認し、頷き答えた。


「あの鶴岡山に、山県昌景が居らぬのは、真にござる。居るとすれば、偽り――」


 まだ、頬の泥も払っていない河尻秀隆が、光秀に憤りをぶつける。


「俺は、お前が居ないと言う昌景にしてやられたのだ。しかも、秀長が……」


 秀隆は、口を結んで、目を泳がせた。


 光秀は、吐き捨てるように、


「河尻殿のご子息が情けない真似をして居らねばいいが……」


 光秀、非情である。


 それを聞いた家族大事な恒興が、口を開く。


「光秀! お前は、人の血が通っておるのか! 秀隆は、嫡男の秀長の消息が知れぬと言うに、親ならば子の無事を心配するのが人であろう!」


 光秀は、めんどくさそうな目を恒興に送って、籠手を外す。


「池田殿、河尻殿からは、戦に勝ってからその言葉をほざきなされ。某が、あそこに控えて居ったから無事に生きて帰れたこともお忘れなく、な!」


「ぐぬぬ!」


 恒興、秀隆、言葉も出ない。


 一瞬、一鉄が、光秀に視線を送る。


 信忠は、冷酷な言葉を浴びせる光秀に冷たい目を切って、稲葉一鉄に尋ねた。


「一鉄、ご苦労」


 信忠は、口数は少なだが、この男を信頼している。その朴訥とした人柄、家族大事の心、何より信念を一切曲げない姿勢に――。


 一鉄は、遠く鶴岡山の頂を見やって、呟いた。


「若殿、次の備えを」


 光秀も、眉を躍らせて頷いた。


「稲葉殿の申すように、武田はここ八王子神社の本陣へ迫っておる。池田殿、河尻殿、早よう自陣に戻って兵を立て直されよ。武田への策は某が脳裏でうごめいておりますればな」


 信忠は、光秀に顔を向けた。


「光秀、策の一端を聞かせよ」


 光秀は、静かに首を振った。


「いいや、今は、その時にあらねば、まだ」


 不敵な光秀の顔をユラユラと篝火かがりびが照らし怪しい影を見せた。信忠も、恒興も、秀隆も、光秀の心の深海をまだ見いだせないでいた。




 その頃、長谷川秀一の部隊から離れたカケルたちは、鶴岡山の麓に着いた。


「霧で視界が悪いし、もしかして、へびとかでるんじゃない?」


 カケルが、現代の感覚で口にする。


 菅沼大膳が、当たり前のように言い切る。


「当たり前のことを申すな左近よ。どんな山でも、蛇は当たり前、猪も出れば、熊も出るぞ。もしかすると美濃のまむしにその足を食われるかも知れぬ」


 と、大膳大笑いだ。


 山県お虎がピシャリと、


「獣だけなら知れておるが、この鶴岡山は縄張りを荒らす者は許さない“猛虎”が住みついておる」


「猛虎? お虎さん、日本にも虎がいるの?」


 お虎は、真剣な眼差しでカケルを見て言った。


「昔、父から聞いた話では、この鶴岡山には、亡き御屋形様(武田信玄のこと)が、こんな辺鄙へんぴな田舎侍に家老の娘を養女に貰い受けて、遣わした下条智猛という男がいる。攻めても跳ね返し、一国を与えると籠絡しても靡かぬ男だ。それが、遠山家を裏切り、武田に着いた。わかるか?」


 大膳が、髭を貪って自信満々に言う。


「お虎の父上にかかれば、造作もないのだろうよ。さすがの鶴岡山の“猛虎”もなすすべがなかった。それしかない」


 お虎が、吐き捨てた。


「馬鹿は黙っておれ!」


 大膳、頭に血が上ってお虎に噛みつかんばかりに顔を寄せる。すかさずカケルが間に入ってお虎に尋ねた。


「すると、鶴岡山には、聞いたことのない名前だけどすごい人がいるのね?」


 お虎は、頷いた。


「父上ならず、あの御屋形様も認めた男だ油断ならん」


 お虎は、そう言って、茂みに目を向け、隠された糸を見つけた。


「ほら、罠だ。大膳のような馬鹿者が不用意に近づけば、すでに命はなかった」


 大膳、お虎の忠告も聞かず、糸を引っ張る。


 シュットン!


「およよ!」


 どこからともなく、高見から先端の尖った竹矢が飛んできた。


 あわやの所で、大膳は尻餅をついた。竹矢は大膳の開いた股の間に突き立っている。


「危ない所だった。……油断できんな」


「ほら、大膳さんお虎さんに逆らうから」


 お虎は、当然だと言った表情で、大膳を見下す。大膳は、フンッ! と立ち上がり、カケルに並び立つ。


「左近、あの山は手強てごわいぞ!」


「大膳さん、無事でよかったね」


 カケルはそう言って微笑みを浮かべると、異様に大きくそびえる鶴岡山を睨んだ。




「ん?」


 その頃、鶴岡山の南・吉良見側でかすかに聞こえた罠の音を智猛は聞き逃さなかった。

 隣にいる嫡男・智林に肩を寄せ。


「獣ではあるまい」


 智林は、禅宗の師・宗林と左近とこの智猛により学問と実践と、目の前の真の戦場によってその英知は水を吸うように磨かれている。


「父上、今度の新手は、油断できませんね」


「そうだな、何か左近殿に似て、先を見通す勘のようなものを持った人間かも知れぬ。心して守り切るぞ」




 同じころ、吉良見の逃口をいでて、秋山虎繁と陣を張る島左近は、先ほどの鶴岡山の麓から聞こえた物音を聞き逃さなかった。


「秋山殿、やはり、先ほど霧に紛れて動いた者がおりますな」


「左近、どうする?」


「某が率いる部隊は徒歩かち三十の小隊。どうも、動きが気になり申す。秋山殿、別に機動してもよろしいか?」


 繁虎は、食えぬ男よと左近に微笑んで、


「左近よ、好きにいたせ、敵は見えぬがお前の鷹の目ならば捉えられようぞ」



 つづく



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