399『鶴岡山の激突・五 恒興、敗走!(左近のターン)』
「ええい、あの“赤備え”には、山県昌景はおらぬはずではないのか!」
先端を支える第一陣の娘婿・森長可。二陣夫を援護するつもりが横合いを急襲された形となった娘・せん。そこを堅実な用兵で嫡男の大助が防いだものの大混乱にある池田軍を山岡の里の入口腕陣を張る信忠の傅役・池田恒興は、いつもの朗らかな仮面を脱ぎ、若き頃の鬼の形相に変わっている。
帆に折れた弓が刺さった伝令が走り来る。
「殿、武田の第三陣が、こちらへ直接、向かっております!」
「大物首を狙え!」
赤備えの第三陣、“火”の将・広瀬景家が、烈火のごとく騎馬隊を走らせて、恒興の本陣へ迫って来る。
恒興は、池田家の筆頭家老の荒尾善次に采配を預けて、自ら槍を握った。
「俺も、昔は大殿の元で可成(長可の父)や、秀隆(河尻秀隆)と一番槍を競ったものだ。まだまだ、俺切っ先は錆びついてはおらぬぞ!」
そう言って、愛馬に跨り、景家を迎え撃った。
山岡の里、各地で戦火があがる頃、鶴岡山の北面の茂みから、シタシタと六文銭の兜が忍び寄る。
「皆の者、まだだ、もう一つ呼吸を見極めるのだ」
武藤喜兵衛(後の真田昌幸)が、高まる息を殺して池田の本陣へ忍び寄る。
最前線の森長可と、山県昌景の娘婿・三枝昌貞の一騎打ちは、どちらも武勇の士だ。一歩も引かない打ち合いがつづく。
「おい、若造、息があがってきおったのう。お前の女は、俺が貰うからな!」
昌貞の手槍が打ち下ろされる。
「なにくそ! 俺が、お前の女房を奪ってやる!」
名槍“人間無骨“で、昌貞の重い一撃を、長可は跳ね返す。
同時に飛び退さり、一呼吸入れて互いに舌なめずりした。
「久しぶりに、美味い首に出会うたわい」
「へっ、それは、俺のセリフだ」
長可、昌貞、もはや二人は獣だ。
「せん、ここは俺に任せて、お前は三陣へ下がれ!」
「いいえ、兄上こそ、ここは私に任せてお下がりください!」
「はっはっは! 兄妹喧嘩しておる場合ではないぞ!」
せんの弓隊と、大助の徒歩が入り乱れ、互いに二陣を引こうとしない所を、武田の第二陣・孕石元泰が気がつけば迫っていた。
「どりゃあ!」
元泰の豪槍が、薙ぐように元助に振り下ろされる。
「ええい、何度もしつこい奴だ!」
元助は、何とか跳ね返し、すぐに兵を動かして構えを整える。
突き抜けた元泰が、馬首を返す。
シュッ!
元泰の頬を弓が掠めた。
「もう少し、だったのに」
せんが、悔しそうに次の弓をつがえる。
「は~ん。さすがにウチのじゃじゃ馬(山県お虎のこと)と同じで、どこの家も手におえねぇ~な女は」
と、頬から流れる血の味を確かめた。
「そこにおる見るからに強者の顔をした男、お前だな、池田恒興は!」
広瀬景家が、恒興に迫る。
恒興は、眉を寄せ、眼光をピタリと合わせ瞬きも、返事もしない。
「構わぬわ、お前が池田の大将首でも、そうでなくても、お前は討ち取らねばならん!」
景家が手綱をしごく。
待ち構える恒興は、ペェ! と、手のひらに唾をつけ、「どこからでもかかってこい!」と待ち構える。
景家の馬がよだれを飛ばす。
恒興の眼光が光る。
バチンッ!
火花が散った。
景家と恒興の力と力がぶつかって、山の鳥を空へ逃がした。
「その腕、やはり、池田恒興と見た」
「そうか、俺はそう見えるか」
あくまで恒興は正体を明かさない。
三段構えの戦場は、池田軍と山県軍互いに譲らず膠着を見せた。
互いの兵たちの呼吸が乱れ、汗が吹き出し、足がもつれる者もある。
「頃合いだな。今だ、六文銭の旗を上げよ!」
鶴岡の茂みで息を殺して、その時を待っていた武藤喜兵衛の兵が、池田家本陣の背後で声を上げ、一気
に攻め寄せた。
恒興から、軍配を託された荒尾善次は、すぐに目を向けるが、すでに喜兵衛の兵は池田の陣幕を撃ち落としている。
「なに、伏兵か!」
恒興が、本陣へ顔を向ける。
「池田恒興、貰った!」
景家の槍が振り下ろされる。
「ぬぬぬ! ええい! 撤退の法螺を吹け! こうなっては是非もない。八王子神社まで下がり、立て直すぞ!」
と、恒興は、手近な馬に跨り、山岡の間道へ馬を走らせた。
山岡の里の出口に陣取る明智光秀が、里から鳥の群れが逃げるようにこちらへ向かって飛んでくるのを見て、家老の斎藤利三に呟いた。
「運だけで成り上がった池田の凡将が、尻尾を巻いてくるぞ」
「殿、そのようなもの言いは、誰が聞いておるるやもしれませぬから、控えた方がよろしいのでは?」
「構わぬさ。凡将はいずれ、どこかでその首を地面に転がすことになるのさ」
と、一瞬、利三に視線を放って、鼻で笑った。
と、そこへ、信忠本陣がある八王子神社から、母衣衆が光秀の元へ駆けつけ、飛び降りるように馬を降りる。
「明智殿、本陣に大殿よりの援軍として、長谷川秀一様、稲葉一鉄様、嶋左近様が到着いたしました」
光秀は、利三を横目で見て、
「長谷川の小僧に、あの稲葉一鉄、それに嶋左近?」
利三が、言葉を足す。
「某も詳しくは知りませぬが、以前、松永久秀から筒井には、嶋左近なる家臣がおるようにございます」
光秀は、眉をハの字にして答えた。
「あのどっちつかずの筒井の坊主が家臣か、まあ、そいつはどうでもよかろう。厄介なのは、稲葉一鉄だ。あいつは、ほれ、お前のこともあるし。俺の天敵だ」
つづく




