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410『松姫と信忠の秘密(カケルのターン)』

  “赤備え”の力を削ぐ目的で恵那城に召喚された昌景は、ようやく武田勝頼との無駄な評定から解放され、松姫と共に最前線の鶴岡山へ進路をとった。


 昌景は、すでに勝頼の癇癪で言われなき折檻を受け重傷だ。なんとか鍛え上げた精神力と信玄への忠義心を持って身を支えてはいるが、自分で騎馬を駆ることもできずお付きの者四人に戸板に乗せられ運ばれていくのがやっとだ。


 傍らを着いて行く松姫は、信忠への愛を唯一応援してくれる理解者・昌景が心配でならない。


 兄・勝頼などは、松姫の気持ちを裏切るように、織田家と対立する武田家の後背・北条氏の嫡男・氏直との縁談すら画策する始末だ。


「兄は、私の心などどうでもいいのじゃ。昌景、わかってくれるのは父(信玄のこと)の薫陶くんとうを受けたお前だけだ」


 と、鶴岡山へ向かう道中に何度も繰り返している。それほど、松姫は織田信忠のことを戦国時代の形だけの政略結婚を越えて愛しているのだ。


 それと言うのも松姫と信忠は、永禄十年(1567年)。松姫が七歳、信忠が十一歳の時だ。


 松姫は物心ついたばかりの幼子で、信忠も元服前の少年で、仲の良い兄と妹のような関係を築いていた。


 だが、将軍・足利義昭が信長から実験を取り戻そうと、信長包囲網を画策した頃から、武田と織田の関係がギクシャクし、元亀四年(1573年)武田と織田の同盟は破棄され、松姫は武田へ戻された。


 そこまでは戦国時代ではよくあることだ。しかし、夫婦仲のいい松姫は初潮を向かえ、信長にすら知られることなく秘密裏に子供を生んだのだ。後の信忠の嫡男・三法師(後の織田秀信)だ。


 この三法師の出産には信忠の判断で、父・信長にも伝えることもなく、家族の和を信条とする傅役もりやく・池田恒興に預けられている。


 恒興は、信長とは乳兄弟の仲で織田家家中でも特別な立ち位置だ。母の養徳院は大御乳おおちちと呼ばれ、今でも信長からは実母のように慕われている。

 養徳院は、信長の父・信秀が側室に迎え入れているので池田家は一門格である。


 恒興は、大将としての才覚は譜代家老の佐久間信盛や柴田勝家に丹羽長秀、新参者の明智光秀や羽柴秀吉に劣るが、こと信用においては家中で並ぶ者がない。


 だから、信長は跡取りの信忠に家老として付けたし、信忠もまた恒興を信頼した。


「爺、相談があるのだ」


 ある日、岐阜城の恒興の屋敷に信忠が数人の護衛だけを連れて思いつめた表情で現れた。


「若、爺はどんな時でも若の味方でございます。なんなりとご相談くだされ」


「実はな、父上にもこの話は漏らさずにおいて欲しいのだ」


「大殿にもで、ございますか?」


 信忠は静かに頷いた。


 それを見た恒興は、腕を組みしばし思案したが、手を膝において受け入れた。


 信忠の密談は、松姫が信忠の子を産んだことだ。仲の良い信忠と松姫の間のことだから、不思議はない。だが、織田と武田の緊張の中、二人の婚姻関係がいつまでつづくかわからない中での出産だ。


 しかも、信忠は信長に反対されることは出端はなから承知していて、松姫の懐妊から出産までを、自分と松姫が心から信頼できる者のみの力を借りて進めた。


 だが、この度、織田と武田の関係は完全にこじれて松姫は武田へ返されることが決まった。信忠は、武田との関係が拗れなければ、折を見て父に報告するつもりでいたが、もはやその機会はない。


 報告などすれば、信忠と松姫との子供は敵の血を受け継ぐ子として抹殺されかねない。


「爺、ワシと松、子を持つ親となって初めて気づいてこの気持ち、他の誰かではない。爺、いや池田恒興だからこそ頼みたいのだ。父・信長へは明かさずな」


 信忠は、願うような目で恒興の返事を待った。その時の恒興の沈黙は一瞬だったが、信忠にとって何時間にも感じられた。


「若、よくぞ、某に打ち明けて下された。この池田恒興、命に代えても若殿と松姫様の御子をお守りいたします」

 信忠と松姫の赤子を生かすための願は、家中随一信頼のおける漢・池田恒興に聞き入れられた。


「そうか、爺。引き受けてくれるか!」


 信忠は、思わず微笑がこぼれた。


 恒興は、生まれて間もなく戦の傷が悪化して父を失い、縁戚の伝手を頼って、母・養徳院が、“乳切り”で誰も乳母にすら成りたがらなかった吉法師(後の信長)を手名付けた。


 そのことで恒興や池田家の家は安泰とはなったが、母を信長に取られたことになる。しかも信長の父・信秀が、誰も手が付けられない吉法師を手名付けたことで、一目で気に入り側室としたことで、例え母子であっても主人と、家臣の関係で簡単には会えない幼少期を過ごした。


 恒興は、当時の池田家の仕えていた組頭・森寺秀勝に養われた。秀勝は温厚で堅実な人柄であったが、主に繋がる子供であっても他人の子供に違いない。そのことで、秀勝の妻から快く思われていない節もあり、親のいない子の気持ちがよくわかる。


 恒興は、三法師をこれまた池田家の家老となった森寺秀勝に預けて匿ったのだ。


 松姫と信忠の隠し子、三法師の存在を知るのは、織田家の池田恒興と、松姫が信頼を寄せるこの手負いの山県昌景のみなのだ。


 松姫は、昌景にもしもののことがあったならば、もう武田家に愛しい我が子と繋ぐ架け橋になる存在が居なくなる。昌景の生死は松姫にとって頼みの綱なのである。


 戸板に寝かされた昌景は、必死で子を想う一人の母親の願に答えるように、重い体を動かして、松姫の手に手を重ねてこけた頬で笑顔を作って見せた。


「松姫様、心配めさるな。この昌景には、ワシが育てた信頼できる者も数人居れば、姫様の心配は、ワシにもしものことがあってもその者たちが必ず引き継いでくれますぞ」


 と、ポンポンと松姫の縋る手を優しく叩いた。



 鶴岡山砦で智林から、織田と武田の停戦状を託されたカケル(体は嶋左近)と、鶴岡山の正面、八王子神社を見据えた明智光秀の陣後で下条智猛と合流した島左近(体はカケル)が北面の山県昌満率いる“赤備え”と池田恒興の激突と、南面の人質・河尻秀長を先頭に八王子神社を目指す秋山虎繁のゆるゆるとした行軍を、歯噛みする河尻秀隆と長谷川秀一たちに視線を切った。


 鶴岡山の深い霧は晴れ、朝日が昇ろうとしていた。


 つづく


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