第3章:どうして攫われた?
標準時 12:24|航行2日目・シャトル〈デネブ・ヴィジョンⅢ〉船内・レストラン区画
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〈デネブ・ヴィジョンⅢ〉の高級レストラン〈ヴェルト・ブラン〉は、船内でも特に人気のある店舗だ。白を基調とした内装、窓のように設けられたディスプレイから差し込む擬似的な“恒星光”、そして宇宙船とは思えない本格的なコース料理──どれを取っても評判が高い。
ただし、昼の時間帯は比較的空いていた。多くの乗客が夕方のディナータイムを狙うためであり、今も五つあるテーブルのうち四席が埋まっていたが、ネリアは直前の予約でも問題なく席を確保できた。
「予約のお客様、お一組──ご案内いたします」
案内役のドロイドに促されて、ネリアたちはレストラン前の廊下へと進む。
ドロイドが手を差し出すと、ネリアは少しめかし込んで羽織っていたショールをそっと預けた。続いて、女の子が抱えていたぬいぐるみに視線を向けたドロイドが、静かに屈む。
「そちらのお品物は、衛生上の理由により客席へのお持ち込みをご遠慮いただいております。よろしければ、こちらのソファにてお預かりいたします」
廊下の壁際には、赤いクッションのソファが一脚だけ設置されていた。
「え……パンダさん、置いてかなきゃいけないの?」
女の子が困ったようにネリアを見上げる。
「うん……でもこのお店はちょっと特別だから。あとで絶対に迎えにくるって、約束しよう?」
ネリアがやさしく語りかけると、女の子は迷いながらもぬいぐるみをソファにそっと置き、両手で頭をなでるようにしてから手を振った。
「……待っててね。すぐ戻るから」
──
店内はそれほど広くはないが、ゆとりを感じる設計だった。白い壁に柔らかな照明、ディスプレイにはアルタイルとベガの観光地が静かに流れている。
テーブルに着くと、パンタがネリアにこっそり話しかける。
「ちょっと緊張しますね……僕に味はわかりませんが、評判通りの名店ですよ。先月の料理評価でもトップランクでした!」
「ふふ、楽しみだね。……ほんと、いい雰囲気」
ネリアは店内を見渡した。
一番奥の特等席には、政治家と秘書らしき女性が座っていた。二人のテーブルだけがやや奥まっており、プライベートな空間を演出している。
(……やっぱり、オスキット議員……)
ネリアはそっと目を細めた。政務秘書だった頃、遠巻きに何度か顔を見たことがある。再生技術の推進派として有名な人物だ。
他の客たちも気になった。
ストールを羽織った気品ある女性。落ち着いた雰囲気の老夫婦。そして資料端末と紙袋を抱えた、やや場違いな印象の男性。
それぞれの様子を観察するうち、ネリアはふと気づいた。
(……あの女性、ずいぶんゆっくり食べてるな。それに比べてあっちの男性は写真を撮りながらもけっこう早いペース──)
普段、エルミナと食事をしていると、ときどき「客の職業当てゲーム」に付き合わされることがあった。最初は当てずっぽうだったネリアも、いつの間にか少しずつ、観察眼が鍛えられていたのかもしれない。
(……ちょっと観察しすぎかな? 私、探偵じゃないのに……)
思わずくすりと笑いながら、ネリアはメニューを手に取った。
前菜の冷製スープに始まり、続いて運ばれてきたメインは、豊かな赤身のグリル。合成肉ではない“本物”の牛肉だ。
「ほんとうに……おいしい……本物の牛肉って初めてかも!」
女の子の頬が嬉しそうに染まる。
「うんうん、来てよかったね。パンタも食べる?」
「うっ……さすがに味覚機能は非搭載なんですよ〜!」
皆で声をあげて笑った。やわらかな時間が、静かに流れていった。
──
やがて他の客たちが、次々に席を立っていった。
最初に資料を持った男性、次にストールの女性。続いて落ち着いた夫婦。そして最後に、オスキット議員とその秘書がゆっくりと退出していった。
その途中、老夫婦と男性が料理や店内の写真を熱心に撮っていた。シャッター音に、議員がわずかに顔をしかめたのをネリアは見逃さなかった。
「さて、そろそろ行こっか。パンダさんも待ってるし──」
ネリアは立ち上がり、廊下へと出た。
だが次の瞬間、動きが止まる。
「……あれ?」
女の子が駆け寄り、顔色を変える。
「……いない……!」
ソファの上は、空っぽだった。
「パンダさんが……いない……!」
「えっ、うそ……」
廊下に係員の姿はなく、監視カメラも見当たらない。プライバシー保護を理由に、このエリアは最低限のセキュリティしか備えていないという。
「申し訳ありません。この廊下には現在、映像記録装置は設置されておりません。ホール側の扉外にはスタッフが待機していましたが、廊下内の様子は確認できませんでした……」
ドロイドは丁寧に謝罪したが、その口調はどこか機械的で、冷ややかでもあった。
(……盗まれた? ぬいぐるみなんか、どうして……?)
女の子は涙をこらえ、唇をきつく結んでいた。
ネリアはしゃがみ込み、そっとその手を取る。
「大丈夫。実はね、私こう見えて──ちょっとした探偵の助手みたいな仕事してるの。必ず見つける。約束するよ」
パンタがぴょんと跳ねて言う
「僕も全力でお手伝いしますよ! 犯人、絶対に見つけます!」
小さな手が、ネリアの指をぎゅっと握り返した。
──静かな船内の片隅で、小さな事件が、静かに幕を開けた。




