第2章:誰が聞いていた?
標準時 09:41|航行2日目・シャトル〈デネブ・ヴィジョンⅢ〉船内
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「こちらは、こと座αからアルタイルへ向かうトライスター・ライン運行の定期便〈デネブ・ヴィジョンⅢ〉です。本船は明日13:00頃、中継ステーションへ寄港予定です。その後アルタイルまで寄港いたしませんので、通信を希望されるお客様は──」
客室内に流れる船内放送を聞き流しながら、ネリア・フレイズは船内をゆっくり歩いていた。
(──豪華だけど、思ったよりすることがないな……)
1等客室の特典で、船内のほとんどの施設を自由に利用できる。だがネリアは、前日に早くも大半を見て回ってしまっていた。
その隣を、ふわふわとサモエドが浮かんでいる。
「ねえ、なんか面白いこと教えて?」
「喜んで! えーと……この船〈デネブ・ヴィジョンⅢ〉は、トライスター・ラインが誇る高級シャトルです。ベガとアルタイルの航路にちなみ、“夏の大三角”のもう一つ──デネブから名づけられています!」
「ふ〜ん……どこの星? 何が三角なの?」
「地球由来の星座です! 実際にはデネブだけ1400光年も離れてますけど、古代の人類はそれを三角形として空に見ていたそうですよ。ロマンですね!」
「へぇ〜、昔の人っておもしろいねぇ……」
ネリアは半ば本気で感心していた。彼女にとって“地球”は、もはや祖先の出身地以上の意味を持たない。宇宙に広がった人類の中で、その地を実際に訪れた者はごくわずかだった。
「そういえば、シアタールームってけっこういい設備なんでしょ? 映画でも観ようかな」
「いいですね! 僕の調べによると、音響はアルカ・オーディア社製、椅子はウルトラリクライニング対応、飲み物サービスも──」
「はいはい、もういいから案内お願い!」
船内の前方にあるシアタールームは、15人ほどが入れる小ぢんまりとした空間だった。ネリアが扉に手をかけたとき、ちょうど走ってきた女の子とぶつかりそうになった。
「あっ、ごめんなさいっ、お姉さん……!」
「わっ……大丈夫だよ、怪我してない?」
ぬいぐるみを抱えた小さな女の子が、深々と頭を下げている。まだ6、7歳といったところだろうか。ネリアの問いかけに、彼女は小さく首を振った。
「そっか、良かった。……あ、その子、パンダのぬいぐるみ? かわいいなあ」
ネリアがそう言うと、女の子は少し照れながらぬいぐるみを持ち上げて見せてくれた。
「お友達!いっつも一緒なの」
「へえ〜、お名前は?」
「えーと、そのまま呼んでるの……パンダさん!」
「うん、いい名前だね」
ネリアが笑ってぬいぐるみに手を振ると、ぬいぐるみは手足をぱたぱたと動かした。見守り用の録音機能がある、今どきのぬいぐるみらしい。
すると女の子の視線が、ネリアの傍らで浮かぶサモエドに移った。
「その子もパンダ? お名前は?」
「いえ、僕はパンダではなく、名前はサモ──」
「ちょっと待って!」
ネリアがあわてて遮った。
「ええと、この子は……パンダの“パンタ”! その子とおそろいだね!」
サモエドは少し不服そうに眉 (らしきもの)をしかめたが、それ以上は何も言わなかった。もともとは政府施設の補助AIであるため、公に正体を明かすなとエルミナから釘を刺されていたのだ。
「はいっ、パンダのパンタです! ワンッ! いや、クゥ?」
「ふふふ、パンタくんかあ。かわいいね!」
「ありがとうございます!」
女の子が撫でると、パンタは嬉しそうにしっぽを振ってみせた。パンダのデータが乏しいのか、どこか挙動は犬っぽい。
そこへ女の子の母親が駆けつけ、ネリアに頭を下げた。事情を聞くと、ふたりはアルタイル星系で単身赴任中の父親のもとへ向かう途中だという。
ネリアは「よければ一緒に観ましょう」と誘った。映画は、動物が主役の冒険もの。女の子と母親、ネリアとパンタは並んで鑑賞し、思いのほか笑い、そして少し泣いた。
──
「ありがとね、楽しかった!」
「こちらこそ! またね!」
ネリアは親子と別れて客室へ戻ろうとした……そのとき、ふと足が止まった。
「……あれ? ぬいぐるみ……」
母親が振り返り、女の子の顔が青ざめる。
「……ない……!」
「えっ、もしかしてシアタールームに忘れた?」
「……パンダさん、置いてきちゃった……!パパから貰ったのに……」
「待ってて、私が取ってくる!」
ネリアはそう言い残して走り出した。彼女のような1等客なら、こうした対応はスムーズにできるはずだった。
だが──
「申し訳ありません。ただいま、シアタールームは貸切中です」
ドロイドが冷たく告げた。パネルには「個人貸切:オスキット議員ご一行」の表示。
(……オスキット議員? どこかで見た名前のような……)
ネリアは眉をひそめた。彼女はかつて政務秘書として働いていたが、その時に関係した議員だったかもしれない。
「貸切が終わったら、確認してもらえますか?」
「承知いたしました」
戻ると、女の子は半泣きになっていた。
「大丈夫、また会えるよ。そうだ、私の席ならレストランの予約もできるから……気晴らしに一緒にどう? お昼ご飯、ごちそうさせて!」
母親は一度辞退しかけたが、ネリアが「1等席のコネなので気にしないで」と言うと、ようやく納得した様子で頷いた。
女の子は涙をこらえながら、小さく「うん」と頷いた。
しばらくして、ドロイドがぬいぐるみを手に現れた。
「お探しのぬいぐるみ、こちらでございますか?」
「パンダさんっ!」
女の子の顔がぱっと明るくなった。
「よかったね。さあ、行こっか」
ネリアは優しく笑って、パンタとともに親子をレストランへと連れていった。
──だが、その一連のやり取りを、ひっそりと見ていた者がいた。
そして、その誰かは強く願った。
“あのぬいぐるみが欲しい”──と。




