第5章:不快な反響
標準時 16:08|第11ドーム 文化外交支局・臨時執務室
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「結論から申し上げますと……まともな容疑者はいません」
クロイ・ヴァーレンはそう言って、資料をテーブルに置いた。
わずかに眉をしかめながら、肩を回している。慣れない作業だったのだろう。
「ご苦労様。尋問中にリストアップしてくれたんでしょう?」
エルミナは椅子に座りながら、彼の様子を観察していた。
「ええ。貴女が“高貴なるガラスの知性”と対話していた間、私は“愚かな人類の泥沼”を掻き回していたわけですが──どうやら私に探偵は向いていないらしい」
「苦労した割にはずいぶん涼しげな顔だけれど?」
「表情筋は商売道具なので。役者なら多少は向いているでしょう」
クロイは深く息をついて、端末を操作する。壁のスクリーンに複数の顔写真とプロフィールが浮かび上がった。
「まず反グノーシアンの過激派です。いくつかの軍人と技術者の名前が挙がりましたが、いずれも警備記録により除外されました。会場にはいなかった」
映像が切り替わる。
「続いて利権構造に関わる者たち……これは政治家、軍需企業、開発企業など複数。だがこの事件に直接関与できる立場の者は極めて少ない」
エルミナは頷きながら、ぼんやりと写真を眺めた。容疑者は数十人。50億人の中からピックアップされたのだから、これでも少ないだろう。
「現場にいたのは?」
「捕虜移送担当の軍人、立会い官、現場監視官……ほとんど爆発で死んでしまいました。
施設の外に十数名。ほとんどが警備兵ですが……科学情報局の随行員が1名。グノーシアンの呼吸に必要な硝酸を供給するためですね」
クロイが続けて複数人のプロフィールを映し出す。警備兵はいずれもこの地で生まれ育ったようだ。
「しかし彼らにも登録のない爆発物の携行は難しいでしょう。お互いに警備は厳重でしたから、罠を仕掛けたとするのには些か懐疑的です」
エルミナが頷く。
「私も重要な取引の場で、軍人が仕掛けられた爆弾を見逃すとは考え辛いと思う」
「ええ、だから軍の上層部はすでにグノーシアンによる新兵器による攻撃だとして報復を準備しています。我々がグノーシアンの兵器とは別物だと言っても聞く耳は持たないでしょう」
──フラクトン兵器──
グノーシアンの用いるそれは強力だった。彼らは自身の消化器官で物質を分子レベルに分解できる。その能力を増幅し、指向性を与える装置、それがフラクトン兵器だ。
当たればあらゆるものを分解し、再利用を難しくする。数で勝る人類が勝てない理由の一つであった。
「フラクトン兵器を持つ彼らがわざわざ人類のような爆発物を用いる理由はない。そもそも彼らには六人の捕虜の持つ“記憶”は、人間の捕虜や高官などより遥かに重要。動機がない」
エルミナはしばし間を置いて同意した。
「恐らく人間側の誰かでしょう。動機は豊富なようだしね。ただし実行出来る人物はいない。自爆したなら別だけれど……」
決死の犯行であれば立証は難しいかもしれない。だがエルミナは別の可能性を探っていた。尋問の中で気になった点……
「生き残った捕虜は当日、未知の硝酸系化合物の匂いを嗅いだと言っていた。そこに何かヒントがあるはず」
すかさずクロイが疑問を呈する。
「しかし、その捕虜はその匂い自体は記憶していないのでしょう? それが何か判明したところで確かめようがないのでは?」
エルミナは思考を巡らす。あの捕虜は拘束されており、いわば裸に近い状態で移送されていた。体内外に爆発物を隠すなど不可能に近い。
「でも、もし……」
彼女はふと、言葉を止めた。端末をタップし、別のデータを表示する。
「グノーシアンの消化器系──いや、“呼吸系”の構造はどうなっていたかしら。彼らは硝酸を吸い込み、代謝に使う。
もしそこに異物が混じっていたら?」
クロイがグノーシアンの体構造を素早く確認する。
「そのまま吐き出すか、まとめて排出するかと思いますが……いやしかし……」
エルミナがもう一つ質問を重ねる。
「ではそれが硝酸系の化合物であったなら……一度肺、もしくは胃袋に入れてしまうんじゃないかしら?」
クロイは怪訝な表情を浮かべたが、対照的にエルミナは微笑みを浮かべた。
探偵は、暗闇の反響からようやく最初の一音を捉え始めていた。




