表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エルミナ・リローデッド:銀河探偵  作者: うしの昂
CASE:8『細波とカレイドスコープ』
34/46

第5章:とても甘くて少し苦い

標準時 19:42《アルカ・ソリス》最上階・プライベートレストラン《ル・ヴォルト》


――


 銀の柱と緋の絨毯が交差する、宮殿めいたレストランの入口で──リゼラド・クレムローザは静かに佇んでいた。

 月光のような髪に黒のドレス、幾重にも編まれた髪飾りが、わずかに揺れている。


 エルミナの姿を認めると、リゼラドはゆっくりとスカートの裾を摘み、ひときわ優雅にお辞儀してみせた。


 「来てくれて嬉しいわ。そして──お見事。今回は素直に負けを認める」


 「……そう」


 「今夜は、貸切にしたの。ね? 仲直りの夜にしましょう」


 そのしなやかな笑みに毒気はなく、エルミナは無言で頷き、後に続いた。

 だが、その背にふわりと告げられる。


 「そういえば、もう一人、お誘いしたの」


 足が止まる。


 視線の先、奥の窓際──そこに、ネリア・フレイズの姿があった。


 「エルミナさーん!」


 カップを片手に、満面の笑み。

 テーブルには、小さなスコーンとケーキがかわいらしく並んでいた。


 「クレムローザさんに声かけて頂いて、すごく気さくな方で……エルミナさんと幼馴染なんですねっ」


 そして、リゼラドがワイングラスを掲げる。


 「ねえ、エルミナ。最後に一つ、ゲームをしましょう。あのスコーン、見えるかしら?」


 皿の上には三つのスコーン。

 そのうち一つは、ネリアが半分ほどかじった跡がある。彼女は今まさに、次の一口を取ろうとしていた。


 「そのうち二つには、それぞれ異なる毒が入ってるの」


 ネリアの手が止まり、目を丸くする。


 「ど、どく……?」


 リゼラドは芝居がかった声で、優雅に続けた。


「一つは《イソラネイン》。惑星〈ネアル〉の粘菌から抽出される神経阻害毒。

摂取後10分以内に末梢神経を麻痺させ、呼吸を止めるの」


ネリアが息を呑む。


「もう一つは──《セプテリン酸》。興奮性伝達物質に近い構造で、脳神経に過剰な電気信号を流し、痙攣や多臓器不全を引き起こす」


 一呼吸置いて、リゼラドは微笑む。


 「どちらも、単体なら致死。でも──これは“ゲーム”よ。ヒントはすべて、この場にあるわ。

 怪盗〈カレイディア〉のトリックを見破った、あなたならできるでしょう? 造作もないはず。

 どれを食べたかは私にも分からない。運がよければ、毒のないものを選んだだけかもしれない。

 ……効果が出るのは、そうね──あと五分。それが、タイムリミットよ」


 ネリアの顔から血の気が引き、今にも卒倒しそうだった。

 エルミナは一瞬だけリゼラドを鋭く睨み、すぐに思考を切り替える。


 氷のように蒼いふたつの眼が、冷静にテーブルを見渡した。

 素早く、すべての食器に目を走らせる。

 皿、グラス、銀器、ナプキン。テーブルクロスではない──いや、違う。リゼラドならば……


 エルミナは一つの答えを導き出した。


 「ネリア。全部、食べて」


 「……え? ええっ!?でも、毒が──」


 「食べるの。三つとも。急いで」


 その声に迷いはなかった。


 ネリアは怯えながらも、言葉なく頷き、一口、また一口とかきこむ。

 緊張で喉が詰まり、水を何杯も飲みながら、なんとか三つ目まで食べきった。


 最後にカフェオレに口をつけ、ようやく少し落ち着きを取り戻した。


 エルミナは、その様子に安堵するとそっと告げた。


 「毒は二種。一つは神経を遮断し、もう一つは神経を過剰に興奮させる。

 どちらか一方だけなら、確実に致命的。──でも、同時に摂取すれば、それぞれの作用が拮抗して毒性が弱まる。

 つまり、すべてを口にすれば中和される」


 蒼く鋭い瞳がリゼラドへと向けられる。


 「……“打ち消し合う波”──それが、あなたの作品のテーマだったわね」


 「……さすが。正解よ、エルミナ。でも──」


 リゼラドはワイングラスを傾け、くすりと笑った。


 「うそよ。スコーンには何も入ってなかった。

 あなたの“焦る顔”が見たかっただけ。……ごめんなさいね」


 エルミナは無言のまま、静かに歩み寄った。コツ、コツ──靴音だけが、静寂に刻まれる。


 その圧力に、リゼラドは思わずたじろぐ。後ずさった拍子に、椅子の背に手が触れた。


 「……な、何? 悪かったわよ、たしかに少しやりすぎ──」


 パンッ。


 乾いた音が、静寂を裂いた。


 ──殴るのは、初めてだった。

 ──殴られるのも、初めてだった。


 リゼラドは呆然と頬を押さえ、視線を泳がせる。


 「二度と、こんなことしないで。リゼ」


 その声には、怒りと冷ややかさがあった。


 リゼラドの目に、ゆっくりと涙が浮かぶ。何も言い返さず、ただ視線をそらした。


 ネリアは言葉を失い、開いた口を塞ぐことさえ忘れていた。


 「行きましょう、ネリア」


 エルミナが踵を返す。ネリアは慌てて立ち上がり、彼女の後に続いた。


――


 扉が閉まり、静寂が広い客間を支配する。

 1人残されたリゼラドはか細い声で呟いた。


 「ただ……あなたに追い付きたかったのよ、エル」


――


標準時 20:23《ル・ヴォルト》前の夜景通り


――


 外に出たエルミナは、手のひらをじっと見つめていた。


 「……初めて人を殴った。……殴った方も痛いなんて、知らなかったわ」


 ネリアが苦笑しながら、その手を両手で包むようにさすった。


 「でも……すごく、かっこよかったです。今夜は、私がごちそうしますね」


 エルミナはようやく、柔らかな笑みを浮かべた。


 「ふふ……じゃあ、私が昔大臣と行った店にしましょうか。完全個室よ」


 「ええー!? わ、私、財布軽装備なんですけど!」


 「冗談よ。あなたの馴染みのチェーン店でいいわ」


 ネリアはふっと笑い、エルミナの腕を軽く引いた。


 「じゃあ、行きましょ。スコーンはもう一生分食べたので、それ以外で!」


 エルミナは心から微笑んだ。


 「……ほんと、あなたは強いわね」


 ──ネオンの光が、静かに二人の背を照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ