第2章:密室の温室
標準時 10:36|サレリス・プラント・第3育成セクション
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エルミナは、再出力直後とは思えない足取りでガラスの廊下を進んでいた。
両脇に並ぶ温室はどれも鍵付きで、内部には水耕栽培装置と緑色の高級作物。銀河の富裕層のための、地味で静かな贅沢だ。
「死者は2名。いずれもこの施設の内部、同様の酸素中毒による死亡」
背後でグレイ警部が説明を続ける。
「最初の被害者は施設長ミロス・ケンブリッジ。60代。政商と繋がりのある人物で、裏取引の噂もありました」
「もう一人は──私。正確には、前の私ね」
エルミナは第3温室の前で立ち止まり、手元の端末を操作した。
セキュリティは現在無効化されている。温室のドアが、静かに開いた。
「ミロスの遺体が発見されたのは第3温室。私のは第5。どちらも“内部カメラなし”、酸素濃度センサーは“部屋の外”までしかカバーしていない……」
「そのとおりです。施設の設計上、植物との化学干渉を避けるため温室内の電子機器は極力排除されております」
「随分都合がいいわね、密室殺人には。それに……」
エルミナが温室の隅に目をやると一角には複数のボンベが並んでいた。酸素、CO₂、それぞれに用途が明示されている。
視線に気付きグレイ警部が説明する。
「あれが今回の死因に関わってると思われます。どちらの温室にも空の酸素ボンベがあったようですな。酸素中毒の原因は、これと見て間違いないでしょう。いずれもノズルは全開でした」
「全開? どちらの現場も?」
「はい。中身は完全に空っぽで、出力ノズルは“全開”状態でした」
「2件とも?」
エルミナはふっと立ち止まった。
「それは重要ね。1件なら偶然かも。でも2件なら──偶然とは思えないわね」
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第5温室。エルミナの遺体が見つかった場所。
警部の仮想投影はエントランス近くのホロ端末に浮かび上がった。
「内部には異常なし。外部センサー記録によれば、発見時点の酸素濃度は若干高めでしたが、許容範囲内」
「でも中では酸素中毒で、私が死んだ。……発見されたときにはもう気化してた、ってことかしら」
「可能性はあります。何らかの形で急激な変化が起き、その後すぐ均されたとすれば、外部センサーには異常として残らないでしょう」
「温室に気流があまりないのも幸いしたのね」
温室内には湿気を含んだ空気が漂い、かすかに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
彼女は植物育成装置の間を歩き、給水チューブと空調孔を見回す。
「前の私は、この温室に自発的に入った……ということになってる?」
「はい。前の記録では、被害者ミロスの個人記録の一部に“不正栽培の証拠”が存在するという報告がありました。あなたはその調査のため、単独で温室に入ったようです。
また周辺に人影はなく、ボンベを操作できた人物はおりません。直前に酸素濃度を弄った、という線は薄いですな」
「つまり、前の私は証拠をつかんで、口を塞がれた。それも密室で」
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温室の外に戻ると、グレイ警部が端末を差し出した。
「追加情報です。ミロスは近年、施設職員から“金銭を徴収していた”という噂があります。
とある温室では、違法植物が育成されていた可能性もありますな」
「で、証拠があった。前の私はそこに入って、殺された……」
彼女は天井を見上げた。
「密室で、酸素による殺人を“誰の手も借りずに”成立させるには……どう仕掛けたのかしら」
エルミナはサモエドに命じて、過去の設備点検履歴を表示させた。
「グレイ警部。事件発生の直前、温室内の給水装置に何か変更があった記録は?」
「ひとつだけ。第3温室、第5温室ともに事件発生時に給水してますな。話を聞いた職員の話では通常通りのようですが……」
「やっぱり。……これ、仕掛けを水で作動させた可能性があるわね」
エルミナは端末を閉じ、髪をかき上げる。
「現場は整った。あとは、“私を殺せた理由”を探すだけよ」