第3章:昼と夜の間で
標準時 15:30 |採掘衛星パイロフォス 倉庫内
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〈パイロフォス〉の地表では、昼と夜の境界が移動していた。
数時間ごとに巡る灼熱と極寒の波が、ゆっくりと倉庫施設を飲み込んでいく。
エルミナは、倉庫の記録端末に並ぶ熱曲線グラフを眺めながら、静かに呟いた。
「……わかったわ。やっぱりこれは、“熱”が盗んだのよ」
ネリアが息を呑む。
「熱、ですか?」
「ええ。犯人は触ってない。誰も中に入ってない。
でも、“熱”だけが密室の中で動いていたのよ」
彼女は指先で空中にホロを展開し、複数の線を引いた。
「トリックの核は三つ。
まず一つ目──“昼の熱で氷を溶かす”仕掛け」
スロットの底部にあった白い痕を示しながら、エルミナは続ける。
「容器の隙間に、氷で覆った熱伝導体を忍ばせてあったの。
それがちょうど“日照”の間に倉庫内に伝わるわずかな熱を利用し、氷が溶けて伝熱が始まるよう仕掛けられていた。
容器内部のヘリウム3はゆっくりと気化を始める」
グレイ警部が補足する。
「そして二つ目──排出効率を上げる仕込み。
倉庫内のガス組成記録を遡ったところ、微量ながらアルゴン濃度が高まっておりました」
ネリアが目を見開いた。
「まさか、それが……?」
「ええ。ヘリウムより重く拡散しにくいアルゴンを事前に充填していた。
作業スーツを着てるから吸うことはないけど無害だし検出されにくい。
これによって、気化したヘリウム3が上方に押し出されやすくなっていたのよ」
「……“浮かせて追い出す”ってことですね……!」
「そして三つ目──回収のための“吸引と冷却”」
エルミナは通気孔を指さした。
「気化した³Heは、アルゴンの浮力で上昇して、循環孔から外部へ抜けたの」
「でも、本当に重要なのはその先。
地面に接続されたパイプは、単なる排気口じゃなかった。
一定時間だけ内部を吸引・減圧するよう設計されていたの」
ネリアが目を見開く。
「……減圧で?」
「ええ。ヘリウム3は極端に低温でないと液体にならないけれど、
圧力を下げれば液化に必要な温度も緩和される。
真空に近い環境と、夜の冷たさ、冷却材・放熱金属の組み合わせで、条件を満たせば自然に液化できる。
それを狙って、³Heはあのパイプで回収されたのよ」
グレイ警部がデータを展開する。
「赤外線スキャンにより、排気パイプの一部に内部冷却材と減圧機構の痕跡が確認されております」
エルミナが頷いた。
「倉庫内ではアルゴンで押し出し、
外では吸引と冷却で液化・回収──
すべて別の空間で、最適な条件を使い分けてたのよ」
ネリアは呆然としたまま言葉を探す。
「じゃあ……センサーに引っかからなかったのは……」
「消失の時点では、すでに液体になってたから。
センサーは“気体ヘリウム”しか感知できない。だから、見逃された」
――
エルミナが最後に提示したホロには、流出ルートの全体構造が描かれていた。
・昼の熱で氷が溶ける
・熱伝導体が働き、固体の³Heが気化
・アルゴンガスで排出を促進
・押し出されて断熱層へ
・減圧と夜による冷却、液化
・外壁溝を伝って回収パイプへ
・点検の1時間以内でこの工程が完了
・すべては“無人”で行われた
「盗んだのは……熱ですね」
ネリアの呟きに、エルミナは頷く。
「その“熱”は潜んでいた。誰の手にも触れずに、密室の内側で動いていた」
――
捜査の末、犯人は倉庫の下請け管理業者の複数名であることが判明した。
長期間にわたって施設を管理していた彼らは、定期点検の“穴”を利用し、
ヘリウム3を盗み出した上、あわよくば事故または自然消失を装って保険金請求を行うつもりだったという。
帰還の道中、報告しながらグレイ警部は仮想体で淡々と語る。
「全く……これだけの計画を思いつくなら事業で稼げそうなものですが」
ネリアがぽつりと呟いた。
「……必要だったのは、“熱”じゃなくて、“頭の使いどころ”だったのかも」
「うまいこと言ったつもり?」
「えへへ、そうかも」
エルミナは軽く肩をすくめると、髪をかき上げた。
「次の事件、呼ばれてるの。行きましょうか、警部」
「いつでも準備は整っております、探偵」




