side.九青竜
現代の日本で生まれた僕は、これまで普通に暮らしてきた。
朝から仕事に出かけ、家に返ってきたら疲れを癒やすためにダラダラして。
特に休日なんて、やる事はもっぱらゲームとかだ。
特別なことなんてない。
オタクの気質だって一般的な部類で、目立つことなんて、強いていえばネットでの配信活動ぐらい。
僕のような人間はどこにでもいる。
そう思っていたんだ。
「訳分かんねえよ、ホント」
胸中で何回繰り返したのかもう覚えていない、現実逃避の言葉。
仕事から帰って、グダグダと日課をこなして、自室でさあゲームだとパソコンをつけて。
そうして気がついたら、もうそこは別の世界。しかも見知らぬ人たちが、僕たちの前で戦いを始めた。
何一つ理解ができない事態な上に、一緒にゲームで遊ぶ約束をしていた従妹の葵まで巻き込まれている。
──ふざけるなよ。
「……九青くん」
「大丈夫だ。僕がいる」
そんな普通でできた九青竜を、僕は怯えを見せる従妹の前では、心の奥深くにまで呑み込んだ。
ここが日本じゃなくて異世界だったとしても、やるべきことは変わらない。
従兄として、いま僕の腕に震えながらもしがみつく栗生葵を守るのは、当然のことだ。
だからこそ立ち上がる気概を足に溜めながら、ゾンビを迎え撃つために覇気を見せる異世界の住人たちを見届ける。
「トモエ、足止め」
「ん」
閉ざされていた扉が開放され、一斉に部屋へなだれこむ数十を超えるゾンビたち。
それらに対してまず動いたのは、シノブと呼ばれる黒の和装をした人物の式神たちだった。
主と同じアレンジの効いた黒い和装を着こなす二人は、見た目通りに二手に分かれる。
武具を身に着けたトモエは前進し、シノブに近い服装のミツネは僕たちのそばに待機したまま。
仲間を背にして、ゾンビたちに向けて突撃をするトモエだが、残る三人は見守るだけ。
その理由はすぐに判明した。
地を這うように、しかし高速で蛇行して動きを読み辛くしているトモエは、腰に下げた武器を抜き放つ。
それは一振りの刀。だが明らかに敵へ届かない位置でかれは抜刀するも、その刀身は雷のようにゾンビの足元を駆けた。
鞭のようにしなやかに、ヘビのように狡猾に。
一度振るえば複数の足を切断していくトモエの刀は、まさに疾風迅雷。
その正体は無限の長さを持ったヘビの刀、蛇腹剣。
ゾンビたちの意識の外から足元をすくうトモエは、ミツネの指示通りに進行を食い止めている。
「ミツネ」
「言われなくても、もう出来ている」
ひどく短いトモエの一言。
しかしそれに応えるトモエが見せるのは、稲妻の妖術の数々。
トモエに足を奪われ動けない仲間を踏み台にし、それでも進もうとするゾンビたちを、的確に電撃で狩るミツネの姿は絢爛だった。
優美で堅実。
現実的な威力のある攻撃、応用性のある扱いやすい術式、そして美を飾る派手な演出。
そのどれもを取り入れた戦いぶりは、誰もが目を奪われてしまうキツネの演舞。
そんな妥協のない仕事ぶりを見せるミツネだが、トモエと協力してもわずかな隙が生まれる。
何より向かってくるゾンビの数が多すぎだ。
三桁にも及びそうな群れを止めるには、二人では心もとない。
そう、二人では──
「そこから先はいっちゃダメだよ、みんな」
空気を緩ませる優しい声。
そんな柔らかな声音とともに、式神たちの猛攻を通り抜けられたゾンビたちの全身が解体された。
彼らを切り刻んだのは、宙を飛び回る無数のハサミ。
それは使恋と呼ばれた人形が持つ剣と同じ物。
ハサミの軌道は読めず、気がついたら四肢に首にと切断され、ゾンビたちの運命を白黒ハッキリさせられる。
飛翔するハサミがしている事は単純だ。
閉じれば剣として切り裂き、開けばハサミとして対象に噛みつき裁断する。
ただそれだけのシンプルな攻撃は、かなり有用性がある。
なぜなら無数のハサミを操る人形本人は、手が空くからだ。
「それじゃあ纏まってきたところで。シメと行こうか、使恋ちゃん」
「うん」
式神たちも待っていた大本命。
二人の主であるシノブと、迎撃をハサミたちに任せていた使恋。
彼らが準備していた最大の攻撃は、それまでの時間稼ぎが必要だったと頷けるほど、目に焼きつく光景を生み出した。
シノブの繰り出したのは、暴風轟雷を一点に収束させた雷雲の圧縮体。
神鳴り。
その単語を最後に言葉を失ってしまうほど荘厳なエネルギーは、シノブの持つ一枚の札を通して操られ、唸りながらその矛先をゾンビたちへ向ける。
そして使恋が生み出したのは、シノブとは別種のエネルギーの塊。
柑橘系にブドウや桃。果物の香りをただよわせ、光を集めて練り上げるその光景は、一流の芸術家が魅せる作業工程の早回し。
握るハサミで光を操り、彼女の世界に描かれていくのは、エネルギーという名の飴で作られた細工たち。
花に蝶にお菓子と。童話的な飴細工たちは作られた端から創造主に力を貸し、黒白のハサミは力を増していく。
「終わりだよ、ゾンビ共」
「ばいばい」
雷鳴が咆哮し、メルヘンチックな黒白の閃光がゾンビの群れをかき消した。
接近は許されず、避けるための横道は、式神たちとハサミによって念入りに潰されている。
かといって後退する脳がないゾンビたちに待っているのは、せん滅の文字だけ。
二人の一撃を受けた群れは瞬く間に姿を消し、残りはいないと確信できる焼け野原だけが、僕の目の前に広がった。
「……凄い。あんだけいたのに」
疑いようのない勝利。
何も分からない世界に来て、ようやく手に入った一つ目の確かなことに安堵する僕は、戦った彼らに対して安直な感想しか持てなかった。
とにかく生き残れた、目の前の四人は味方だ、強い味方だ。
その安心感は張りつめていた糸を切ったのか、見ていただけなのに全身にドッと疲れをもたらして。
チラリと視界に映った影の存在を理解できなかった。
「九青様、栗生様。お逃げ下さい」
「マズっ! 一体逃した」
「間にあって……!」
影の正体が何か。それをいち早く気づいたのはミツネだった。
戦う四人の意識をくぐり抜けて僕たちに迫ったのは、一体の風変わりなゾンビ。
全身が焼けていることから、さっきの攻撃は受けている。
しかし耐性があったのだろう。
未だに動くそのゾンビは、全員が抱いた終わりの確信を隙として突いてきた。
耳で捉えたミツネだが、他三人への声がけは一歩遅い。
迷いなく駆ける変わったゾンビが狙ったのは、僕にしがみつく葵だった。
おそらくこの中で一番弱い、最も仕留めやすい相手を選んだのだろう。
僕を突き飛ばして、自分がやられる前に一矢報いる。
そんな企みで動くゾンビに対して、僕ができることは──
「僕の従妹に、手ェ出すな……!」
許せない。
そんな怒りの感情を原動力として、僕は足へ溜めた気合を解き放つ。
入念な準備ではない。とっさの行動、無謀の一手。
何かあれば葵を連れて逃げよう、そう思って決めていた覚悟を、僕は衝動的に拳で握り締めた。
普通、誰でも思っている事だろう。
大切な家族を傷つけようとする奴がいたら、理性や理屈をのぞき、一発ぶん殴ってやりたいって。
だからこそ僕は逃げないという、間違った選択をしてしまった。
怯える葵を背中に回して、後悔して、でも止まれなくて。
敵うはずのない相手を前に拳を振るう。
「俺が、許さないッ!」
僕がゾンビと決死の一撃を交わし合うと、辺りは静寂に包まれた。
敵の両手を使った攻撃は外れて、僕の拳は相手の顔面へ。
そんなことではゾンビは倒せない。そのはずなのに続く攻撃は一向に来ず、無意識につぶっていた目を開くと、知らない現象が僕の腕をおおっていた。
──それは混じり気の少ない、綺麗な炎。
ゲームでよく見る、ドラゴンの息吹のようなシンプルな火は、僕には敵意を向けずに相手だけを焼いている。
ゾンビは顔を起点に全身を炎で焼かれ、物の数秒で炭の塊に。
何が起きたのか、僕を含めて沈黙で語る全員だったが。
一番に破り去ったのは、従妹の葵だった。
「……よかっ……良かったぁ、九青くーん……!」
「うわっ……! いきなり抱きつくな、葵」
幼い子どものように感情をあふれさせる葵に、今度こそ終わったと僕たちは安堵の息をもらした。
泣きながら僕に抱きつく葵の体温は暖かく、それが今までのこと全てが現実だと教えてくれる。
強く、そしてもう離さないとする従妹の力に引っ張られて、徐々に僕の中の感情が浮き上がってくる。
しかし豪快に泣いている彼女を見ていると、なぜか僕の方は笑ってしまう。
ホッとした。その表し方は人それぞれだと思う。
だからとにかく、短い間に圧縮された感情を涙とともに吐き出す葵を、僕は頭を撫でながら聴くことにした。
そうして泣き続けた従妹が落ち着きを取り戻したのは、十分以上も後。
もう叫ぶだけになり、言いたいことも立って抱きつく力も無くなった少女は、それでも僕のパーカーの裾を離さなかった。
それこそ小さな子どもの、妹のように。
「落ち着いたかな? んじゃ、歩きながら説明するよ。ここって、一か所に留まると危ないからさ」
「こっちだよー」
「あっ、ああ。ほら、葵。そろそろ……」
葵が落ち着くのを見計らって、異世界の二人は僕たちがここに来た時の続きを誘ってきた。
僕もちょうど気持ちの整理がついてきて、そのことを気になり始めていた時だったからタイミングがいい。
だから葵にも早く自分で立って歩いて欲しいと、うずくまったままの従妹に声をかけたところで、予想外の答えが返って来た。
「……ない」
「えっ、何が」
「立て……ない。腰、抜けたみたい。九青くん、おぶって」
赤くはれた目元に、上気した頬、疲れの見える枯れた声。
そして上目遣いで裾を引きながらお願いをする従妹に、僕は開いた口がふさがらず、ガックリと肩を落とすのだった。
<feat.>
・仙界シノブ(@senkaishinobu)さま
・飴咲 使恋(@amesaki_siren)さま
・九青 竜(@9jouryu_V)さま
・栗生 葵(@9ryuaoi_V)さま