side.????
迷宮というのは、正しい呼称とはいえない。
人を惑わし彷徨わせる迷路、君主を最後に守る堅固な地下牢。
そのどれもが間違ってはおらず、そして本質的ではなく。
──それがこの、いつまでも下へ続く未知の世界。
この幻想的な地下迷宮は、ある条件を満たすことで辿り着ける。
ただ下へ道を作っても繋がらない。それどころか、天守閣への扉から行けたという噂すらある。
そんな滅茶苦茶な構造体だが、確かなことが一つだけ。
それはただただ、下へ下へと広がる無窮の空間。
最下層への到達は未だなく、この世界に足を踏み入れて数年もの間、音信不通なんて日常茶飯事。
だからこそ、未知は人々に恐怖と興味を与えた。
例え進むほどに更なる強敵が待っていようと、地上にはない恩恵を得られるのではないかと夢想する。
だから挑むんだ。
現実にはない仮想の世界だったとしても、その先にある何かを見たいから。
「……なんて。オレは大それたこと、考えてないけどね」
陽光が根絶された地下世界。
立体的に作られた迷路の道は、古来と未来が混在していた。
石に煉瓦に鋼鉄に、見たこともない金属たち。
節操なく素材を採用した通路を走るオレは、頭に浮かんだ考えを笑って払い除けた。
皆にも思い当たることがあるだろう。
単調な作業、暇が過ぎる待機時間、眠ろうとした時のふとした疑問。
考えすぎると出てくる自分らしくない思考なんて、何考えてんだと蹴り飛ばすものだ。
だからオレは、ひたすら目の前のことに集中する。
先行する二つの光源を追い、注意するのは彼らに対して起こること。
「見つけた」
一言。簡潔に状況を口ずさんだオレは、先を行っていた光源たちが照らした何かを捉える。
迷宮内の光は乏しい。その中で光を見れば惹きつけられるし、動けばなおさら気になるだろう。
そしてこの地下世界で動くものといえば、敵か、同業者だ。
相手の判別は後回し。
足の力を強め、しかし音もなく床を蹴るオレは、壁に天井に宙すらも足場として行動に移る。
縦横無尽、縮地に勝る瞬時の移動。
時の針すら刻ませない速度で光源に追いつき、彼らが照らしていた曲がり角の先へ襲撃をかける。
「──……ちょっ、うえっ!?」
そこで待っていたのは、オレの瞳とよく似た赤い右目。
映りこむのは暗い緑と赤の羽織を纏った、オレの──禍月影斗の姿。
エメラルドとルビーの虹彩異色がよく目立ち、銀髪と同色の耳と尻尾は獣のそれ。
背負う長物は古びた刀で、首にかけられたリードは自身の左手首に。
姿を捉えられた時点で間違いなく、相手はオレの動きに追いついていた。
しかしお互いにそれ以上のことができず、待ち受けていたのは明白な結果。
高速移動からの減速無しで衝突。
事故となる形でオレは相手にタックルをかましてしまい、そのままの勢いで反対側の壁に突撃する。
最悪なのが壁との距離だ。
行き止まりだったらしく、一メートルもない距離感は一瞬で詰められ、オレと相手は仲良く壁に激突し……。
まさかの壁を突き破ってしまった。
「──うあぁっ」
「──のじゃっ」
追い打ちとばかりの想定外が、さらに続く。
元々隠し壁だったのか、突き破った壁の先は下に広がる大部屋。
ほぼ天井と同じ高さから落ちたオレたちは、何とか受け身をとるも痛みだけは押さえられない。
「痛つッ。ああもう、何でここにいるの」
無意識の領域でテキパキと体へのダメージを確認し、オレはすぐさま立ち上がる。
声をかける相手は勿論、ぶつかって一緒に落ちた奴。
一連の流れで悪いのは自分自身、それは分かっている。
けれどもそれ以上に知りたい事があり、近くで転がっている例の相手の名前を呼んだ。
「──紅音ちゃん!」
「あっ、影やんなのじゃ」
相手の正体は、オレの仲間である月代紅音だ。
黒のセーラー服で身を包み、愛嬌と妖艶を往復する少女の見た目をしているが、その正体は年齢不詳の吸血鬼。
さらにはオレと同じ虹彩異色の持ち主だが、オレと彼女とでは色も性質も違う。
オレが昼夜で変わる赤緑のアレクサンドライトとするならば、紅音ちゃんは柘榴石と蒼玉。
寒色の方は言わずもがな、暖色の赤にしても色味が違う。
そんな似ているようで似ていない彼女は、高所から落下したというのに平然と会話を続けていく。
「あっ、影やん。……じゃないって。オレが先に出たはずなのに、何で追いついてんの」
「違うのじゃ、影やん。追いついたんじゃなくて、なぜかあそこに居たのじゃ」
「えっ、待って。どういうこと?」
皆と共有している拠点を出てから、オレがこの階層に来るのに経過した時間はそれなりだ。
速さには自信があるし、道中の敵は先の奇襲を使って蹴散らしてきた。
この自信の裏付けとして、十層以上は超えてきた事実があり。
そして拠点にいた仲間たちは全員、オレほどの足はない。
仲間の三人。その誰もがオレに追いつくためには、かなりの時間を要すると踏んでいたのに、あっさりと目の前に現れてしまっては唖然とするしかない。
だからこそ、追いついてきた当人である紅音ちゃんを問い詰めているのだが、返って来たのは肩をガックリと落とす答えだった。
「じゃからな。シノブさまたちと歩いてたら、途中でカチリと足元がなってな。そしたらあそこにいたのじゃ」
「……それトラップだよ! しかも下手したら怪物たちの部屋に飛ばされるやつ! さっきミミックに引っかかったばっかじゃん」
「そうじゃのぉ。ちょうど影やんのところに飛ばされて、助かったのじゃ」
「イヤイヤイヤイヤ。オレたち、別のにかかっちゃったから。助かってないよ」
紅音ちゃんがあの場にいた理由は、単純明快。
強制的に瞬間移動させられる罠に引っかかり、不幸中の幸いとしてオレの近くに現れたらしい。
そこまでは過ぎたことで、もうどうしようもないこと。
紅音ちゃんもミミックのとき同様、またやってしまったと半ば諦めムード。
オレも必要以上には追求する気もなく、むしろ今の状態が気になってしまい話題の変更を試みる。
──この大部屋は、とにかく広さを意識した造りになっていた。
庭付きの立派な一軒家ほどの大きさで、縦も横もかなりある。
そして床に散らばる障害物。これは人工的な四角形が組み合わさった凹凸の群れで、最低限の数といったところ。
これらは分かりやすく、落ちてきた穴からの脱出を阻むためで、壁に何もないのが良い証拠だ。
そして先程までいた通路以上の暗さになっているこの部屋は、嫌な気配が充満している。
明らかな罠。それも厄介さを前面に押し出した強敵が、配置されやすい構造だ。
「何がいると思う?」
「面倒なやつじゃな」
「そうだね。……来た」
罠に続く罠。
敵の存在を意識したオレたちは、示し合わさずとも自然と戦闘態勢をとり、お互いの背中を守るようにして全方位を警戒する。
そんなオレたちをまず捉えてきたのは、不快な音だった。
暗闇に鳴り響くソロのヴァイオリン。それはスローテンポで、かつ意図的に音を外した不気味な旋律。
どこからともなく聞こえる耳障りな恐怖の音楽は、闇そのものの声だとばかりに奏でられ、気を狂わせる輪舞を誘っている。
「それで? ──紅音ちゃん」
大部屋全体に響いている奇怪な旋律だが、オレたちは耳を塞ぐどころか平然と事を進めていく。
確かにこの音は背筋を凍らせて、狂気に陥らせる恐怖の曲だろう。
しかしそれは普通の話。
オレたちに、そんな常套手段は通じない。
「出番じゃぞ、飛んで行くのじゃ」
オレの合図が来るや否や、紅音ちゃんは自身の影から何かを飛翔させる。
明かりのない暗闇よりも濃い深淵となった影から出たのは、高速で飛び回る彼女の眷属。
それは主と同じ瞳を持った、影の蝙蝠。
動体視力が追いつかない者には残像すら見えない眷属は、紅音ちゃんが口で命令せずとも行動に移っていく。
大部屋を隅から隅へ。不規則な軌道で床の凹凸すら通り抜けてく蝙蝠は、まるで何かを探しているかのよう。
当然だ。
あの眷属の役割は敵の探知。人知では遠く及ばない超音波を使い、塵一つすら知覚する超常の蝙蝠は、その全てを主と共有し、相手の姿形を丸裸にしていく。
「なんじゃ、こんなものかの。もう少し解き甲斐があれば良かったのじゃが、まあよい」
敵の発見にかかる時間は、そう長くはなかった。
三分すら経たずに相手を見つけた紅音ちゃんは、この部屋の仕掛けを余裕綽々と話していく。
「暗い部屋に、透明になる能力。どちらかを攻略しても、もう片方が保険となる感じじゃな。そうして見つけるのに時間かけていると、この音楽で頭がバーンとなる。ここへ入ったら最後、出口も敵も見つからずに発狂とは中々じゃな」
「しかし残念。オレたちには効かないよ、全部ね」
本来であれば暗闇の中で徒労を重ねて、失意の内に狂気に落ちる。
そんな予定で作られた部屋だったのだろうが、本当に残念だったねとしか言いようがない。
オレも紅音ちゃんも、夜目が効く。
姿を消せても生半可なものだったら、紅音ちゃんの能力で見つかってしまうし。
何より狂気を武器とするなんて、最もオレたちに意味のない行為。
「後ろじゃ、影やん」
「了解」
なぜなら、既に狂気を身に宿しているから。
「行くぞ」
紅音ちゃんの背後、オレの正面。
背を預ける少女は振り向きすらせず、伝えられた言葉に応えるのはオレの抜刀。
刀を背中の鞘から引き抜くと、現れたのは錆びつき刃こぼれした刀身。
しかしこれで良い。一見、何も斬れない刀を構えて、駆けるタイミングを待ち受ける。
声による合図なんてない。あるのは、位置を知らせる攻撃のみ。
「遅い」
一刀──
両断したのは紅音ちゃんの眷属が急降下し、三日月の軌道を取ったその最先端。
床を弾き、刹那に加速し、刀に力を込めるのは敵に触れた一瞬。
一秒未満の閃光を放ったオレの刀は、その僅かな時間で暗闇すら切り裂き、確かな手応えを教えてくれる。
残ったのは再びの暗闇と、二つの三日月だけ。
「さよならだ」
「さよならじゃ」
紅音ちゃんは両腕を大きく広げ、眷属を片側から滑るように身に下ろして、影に溶かし込んでいく。
そしてオレたちの背と背の間で、ガランと音を立てて落ちた敵は、物の見事に唐竹割りが成されており。
この手に残った感触は間違いではなかったと、事実が後から褒めてくれる。
それがどうにも嬉しくて、オレの口元はつい、虚空に消えていく三日月を真似てしまった。
<feat.>
・月代 紅音(@Akanoneiro)さま
・禍月 影斗(@Magatsuki_draw)さま