side.月代紅音
ミミックというものをご存じだろうか。
擬態という名前の通り、別の何かに姿を似せている存在だ。
一番有名な姿は、櫃の形をしたものだろう。
彼らは人間が一財産をしまう箱をモデルとして、食虫植物のように巧みに人間を捕えている。
例えば堅牢な扉に守られた、隠したいものがあると語るいかにもな部屋。
そこにはひっそりと置かれた、重々しく頑丈さを主張する大きな箱が一つ。
これに魅力を感じない人は、いないと言っても過言である。
開いた先にあるのは、空っぽの中身かシケてる物品か。それとも一攫千金、もしくは大凶のミミック?
そんなギャンブル染みたロマンの箱は、とりあえず開きにいく人もいるだろう。
「それが紅音ちゃんです」
大きな箱を模倣しているミミックに、上半身だけを食われている。
そんな状態になっているのが、わたし──月代紅音だ。
外側から見ると箱の中に身体を突っ込んで、無防備にスカート姿の下半身をさらしているわたしだが、何も好きでこんな格好をしている訳ではない。
行き止まりの通路の横。そこにひっそりと作られた部屋を見つけたので入ったら、目の前にデカい箱が鎮座していた。
これを開けずに去る人はいるだろうか。
「いや、これは開けるじゃろ。開けないとかあり得ないのじゃ」
ちょうどお腹の部分を、ミミックの口である箱の蓋で挟まれているわたしは、体をだらんとさせながら虚空へと語りかける。
ミミックの力は強大だ。吸血鬼であるわたしを、いともたやすく拘束しているのだから、そのパワーは計り知れない。
なので無駄な抵抗をせず、これからどうするかを考えているのだが、わたしの思考を遮るように気になるものが視界全体に映っていた。
「……初めて見るのぉ、ミミックの中」
わたしの目の前に広がるのは箱の中、いやミミックの口内だ。
生物的であり、しかし外観からは想像もできないほど広大な中身は、何ともいえない肉感でいっぱいだった。
普通ならば真っ暗闇な空間だが、夜目が効くわたしにとっては昼間とさほど変わらない。
だからこそ見える、粘液と襞だらけのブヨブヨとした壁の世界は、ある感想を抱くに充分だった。
「さてはエッなやつじゃな、これ。知らんけど」
さっきからわたしの顔を何度も舐めている、ミミックの舌。
器用にうごめいている長い舌はタコの触手的で、伸ばしたままのわたしの腕に手に指に、艶めかしく絡みついてきていた。
どうやら全身を飲み込もうとしているみたいだが四苦八苦しているらしく、結果としてわたしの上半身を舐めるだけに落ち着いている。
いったい何が原因なのだろう。
わたしのお腹を挟んでいる口の前後にあるのは、胸とお尻に背中から生えた黒い翼だが、さっぱり分からない。
一思いに飲み込み切るか吐き出してくれれば、やりようはあるのだが。
中途半端に引っかかってしまったがために、お互いに困っていた。
「どうしようかのぉ」
捕まってからどれだけの時間が経ったのかは分からないが、もうわたしの上半身は粘液まみれ。
黒いセーラー服のトップスも同様で、下着にすら浸透している濡れ具合は、土砂降りを直に体験した時を思い出させる。
さらには蒸し暑さを感じる上半身に、冷えた空気を感じる下半身。
この上下に分かれた温度差は端的に気持ち悪く、どうしても体をソワソワと動かしてしまう。
「助けてなのじゃー、だれかー。出して欲しいのじゃー」
グルグルと思いついた数々の思案を天秤にかけ、雑念と脱出の欲を脳内で拮抗させるわたしは、ついに情けない鳴き声を口からこぼした。
もしかしたら近くにいる人に聞こえるかもしれないと、救援を出したわたしだが、そんな都合の良いことは早々ない。
でも、それはヒラリとスカートを撫でる風を吹かせた。
「──分かった。じゃあ出すね、紅音」
「ふえ?」
救援の声を出してからそう経たずに、ポンとわたしのお尻が誰かに叩かれた。
突然のことに驚きすぎて言葉にならない声がこぼれ、数拍の間を置いてから今なにがあったのかを理解する。
無防備なわたしのお尻。今、誰かしらに叩かれた!?
「な、なんじゃ。誰じゃ。今、紅音ちゃんの……!」
パニックになりながらも、必死に足をジタバタと動かしてわたしは抵抗の意志を見せた。
意味はないが腕も振り、大地へ打ち上げられた魚のようにビチビチと動こうとしたその瞬間。
ミミックの中身が激しく脈動し、噴水のように伸びる舌にわたしの身体は押し出され、閉じ損ねていた蓋が勢いよく開かれた。
大きなリボンで結われた銀の長髪が、天井近くで満月を描く。
宙に舞ったわたしの全身を追うように粘液もキラキラと飛び、活発だったミミックの舌は力尽きる。
久々に感じる正常な室内を目にしたわたしは、ふと天井と壁の次に、無機質な床へと視線を移すと彼を見つけた。
「あっ、シノブ様」
真紅と紺碧。虹彩異色のわたしの瞳が、黒縁メガネの奥に潜む神秘的な黒い瞳と重なる。
引いてカラスに似た濡れた羽色の黒髪に、陰陽師を彷彿とさせる和風の黒い衣装。
そして見覚えのある全体像を捉えたとき、空中で逆さまになりながらも、わたしは自然と笑みを浮かべた。
──仙界シノブ。
白銀の月と入れ代わったわたしを見上げる、この世界でわたしだけの仙人さま。
「やあ、紅音。無事だったかい?」
自前の翼を使ってくるりと宙で身をひるがえしたわたしを、シノブ様は分かっていたように両腕を広げて、お姫様抱っこで受け止めてくれた。
そして間髪入れずにこちらに笑いかけてくれるも、心配と安心を含んだ二色の声音は、腕の中に納まったわたしの胸を的確に撃ち抜く。
わたしがどんな姿になっても構わない。
自分も同じように穢れて、受け止めて、どこまで行っても抱き締める。
そんな覚悟を見せるかのような彼に、わたしが伝えられるのは一言だけだった。
「大丈夫なのじゃ……」
シノブ様の腕の中で小さく縮こまるわたしは、弱々しく彼に向かって頷いた。
きっと今のわたしの頬は、右目と同じザクロ色。
彼に伝える言の葉も、心と同じ紅い音。
<feat.>
・月代紅音(@Akanoneiro)さま
・仙界シノブ(@senkaishinobu)さま