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9(梨里)

 昔、婚約者だった――その言葉は衝撃的だった。2人には何かあるとは思ってたけど、まさか、前世で婚約者だったなんて。

 ……正直、あの男の一方的な想いじゃないのかしら? なんて、思ったりもしたんだけど――そんな、簡単ものじゃなかった。

 彼氏も居ないのに、前世の婚約者がひょっこり出てくるなんて、聞いてないわ。引くわー。

 梨世も声が裏返ってる。


「あなたと、わたしが?」

「そう。10歳の時に出会ってから、ずっと好きだった」


『好き』という単語に、梨世の顔が更に赤くなる。あー、なんかもう、聞いているこっちの方が小っ恥ずかしくなるわー。

 しかも、『好きだ』と臆面もなく言い切るこの男にも、ムズムズしたものを感じる。ああ、きっと、前世とやらは思考が日本人というより、白人とかに近いのかもしれない。あっちは、言葉を濁さすはっきり言うし、距離感も近い。


「何も覚えていない君にそう言っても、理解されないかもしれないけど」

「えっと、確かに婚約者なんて言われても……でも、あなたに対して、わたしも懐かしいとか、そういった感情があるのも嘘じゃないわけで……」


 梨世の言葉に目を瞠った。記憶がなくても、梨世はこの男のことをどこかで覚えている? この男も同じような感じたのか、その後は相好を崩した。


「なんとなくでも、覚えいてくれて嬉しい」

「そ、その……ぜんぜん思い出してはいないんだけど」

「でも、俺という存在を、なんとなくでも覚えていてくれた。胸の裡に残してくれていた」

「お、大げさです……」


 この男の歯の浮くような台詞に、梨世たじたじになっている。

 この子は、奥ゆかしいというか、自分の意見は控えめに、周りにあわせてしまうからねぇ。このまま、この男の勢いに流されそうで、横から口を挟むべきか悩む。

 でも、前世(とやら)の話は、私は当事者じゃない。今生、この子の姉として思うところはあるけど、この男の強い想いを考えると、遮るのも憚られる。しかも、妹もこの男に対して、何かしらの感情を抱いているのだ。ここで反対しても、きっと2人は別の所で会い、想いを交わすのだろう。


 この男の望むように。


 妹が望まないなら、近づけさせない。昔の想いになんて、引きずられて欲しくない。

 でも、妹の様子を見るに、妹もこの男に惹かれている。それが分かってしまうほどの感情が、妹の顔に出ていた。


「ちょっといい?」

「お姉ちゃん?」

「何か……?」


 妹はとまどいながら、男の方は警戒気味に訊ねてくる。


「あのさ、ここまでしておいてなんだけど、もう2人の世界みたいだし、私には入れない世界だし、私はもう行くわ」

「お姉ちゃんっ⁉」


 2人の世界、なんて言ったせいか、妹の顔がまた赤く染まる。あー、もう、なんでうちの子はこう可愛いのかしら?

 男の方はふてぶてしいけどね。妹可愛いフイルターのせいで、余計にそう思うのかもしれないけど。


「あんた、今は退いてあげる。だけど、妹を泣かせたりしたら、承知しないんだからね!」


 男――近江遥斗を指さして、宣言する。

 シスコンだって思われたっていい。だって、うちの妹は可愛いんだから、傷つけるヤツは許せない――そう、意気込んでの宣言だったのに。


「くっ、」

「何が可笑しいのよ⁉」

「いや、済まない。君に笑ったんじゃなくて、昔も、よく君のように言ってくる人が多かったんだ。それを思い出して。ああ、変わらないんだな、って」

「は?」


 昔から、妹は皆に愛されていたのだろうか? 確かに、妹の前に出ると毒気を抜かれるヤツは多いけど。本人は地味だと言っているけど、顔立ちは悪くないし、性格はいいと思う。家事能力もお母さんのお墨付き。

 ただ、妹を好きになるのは、重いヤツが多かった。……そういや、目の前の男がダントツに重いわー。

 でも、妹も覚えていないのに、心の奥でこの男のことを想っているみたい。だから、もう、私が出る必要はない。妹が相談してきたら、話を聞いてあげればいい。


「と、とにかく、私はもう行くから。後は2人で話しなさいよ」

「お姉ちゃん、ありがとう」

「ありがとう」


 妹にお礼を言われて心和んでいるところに、男の方(あくまで名前を呼びたくない)からもお礼の言葉が来て、つい指さして「あんたのためじゃない!」と、怒鳴ってしまった。

 うう、せめてもう少し普通の男子ならいいんだけど、良い意味でも悪い意味でも目立つヤツだからなぁ。妹が心配だわー。

 そう思いながらも、もう用はないと、手を降って踵を返した。


 前世からの恋人と今生で再会なんて、物語ではロマンティックだ。

 だけど、本来なら忘れるはずの記憶を持って生まれて来るなんて、前世で未練がなければ、そこまで執着しないと思う。

 だから、2人が付き合うのが、妹が過去を思い出すのが、本当に幸せなことなのかは分からない。だけど、部外者の私が決めていいことでもないと思い、私は当分2人の様子を見ることに決めた。


 とにかく、()()()のようにならなければいい、と思いながら。

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