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女神の愛し子 010



 お姉ちゃんと別れて、近江さんと2人で落ち着いて話ができる特別教室へ入った。勝手に使っていいのかな? と思っていると、近江さんから、部室として使ってなければ大丈夫とのこと。教室に入ってから、適当なところで椅子に座った。


「あの、お姉ちゃんのことなんだけど」

「ん?」

「近江さんにきつい言い方をしてごめんなさい」

「いや、特に気にしてないよ。誰だって信じがたい話だと思うしな」

「そうじゃなくて」


 昔のことを、近江さんに言ってもいいかな。あんなことを言っても、困らせるだけかもしれないけど、こうやって会うようになれば、お姉ちゃんとも顔を合わすことになるだろうし。


「どうした?」

「あ、あのね。お姉ちゃんがあんな風に警戒するのは、1年半くらい前に、わたしがストーカー被害に遭ったせいなの」

「ストーカー?」


 近江さんがおうむ返しに呟いた言葉に、わたしは「うん」と、首を縦に振った。


「中学2年生の冬休み前に、同じクラス委員をしていた人に……。委員としての仕事で、他の人と一緒にいる機会が多かったせいか、いつの間にか、その人は付き合っているって思い込んじゃって」

「……で?」

「でも、わたしはそんなつもりも無かったから、他の男子とも普通に話をしてたの。そうしたら、その人は自分と付き合っているのにって怒りだして……」


 怒ってカッターを振り回していた時を思い出して、思わず自分の左腕を擦った。ここにはその時に傷つけられた痕が、今も薄く残っている。カッターの刃は薄いけど、傷が思ったより深くて、縫うほどだったから。


「話したくないなら、無理に話さなくていいよ」


 左腕を押さえている右手にそっと触れて、自分が傷付いたような痛ましい表情を浮かべている。

 その後、何かに気付いたように、慌てて距離を取った。


「あっ、すまない。そんなことがあったなら、男に触れられるのは怖いだろう?」

「ううん、大丈夫。でも、その人が引っ越しして、この町から居なくなるまでは怖かったの。お姉ちゃんは、そんなわたしを見ているから、近江さんに対しても警戒していたんだと思う」


 お姉ちゃんは、わたしにとって、いつだって姉であろうとしてくれる。1つしか違わないのに。

 わたしは、そんなお姉ちゃんに迷惑をかけるばかりのに、いつも優しくしてくれる。わたしには、もったいないお姉ちゃん。


「だから、お姉ちゃんのことを悪く思わないで欲しいの」

「分かった。そもそも彼女に対して、悪い印象はないよ。間違えた俺が悪いんだし。さすがに、昔の話をするのは迷ったけど」

「良かった。そう言ってくれて、ありがとう」


 何故だろう。近江さんの言うことは素直に心にストンと入る。気を遣って言っているという訳でもないのも分かる。

 昔のわたしのことを知ってるから? わたしもこの人のことをどこかで覚えているから? なんとなく、気を遣わなく話すことができるって、思える。とても、不思議な気持ちになる。


「あの、聞いてもいい?」

「何を?」

「その、昔のこと」

「気になる?」

「うん」


 知らない方がいい事もあるって分かってる。でも、この人を見ると不思議な気持ちになる、この感情の源を知りたい。わたしには、前世の記憶がないから。


「簡単になら話すよ」

「簡単に?」

「前世の記憶を持って生まれた俺が言うことじゃないかもしれない。でも、今を生きるのに、過去を引きずるのは良くないから」

「そうなの?」

「人1人の人生だからね。いいこともあれば、悪いこともある。それに、自分で言うのもなんだけど、未練があるから前世の記憶を持って生まれたんだ」


 未練――という言葉を聞いて、鼓動が速くなる。前日の『貴女に会うために探していたのに』という言葉を思い出して。それに、近江さんはわたしのことを『婚約者だった』と言った。『結婚した』と言ってない。それって……何かの理由でわたし達は別れてしまった?

 でも、近江さんの言葉を信じるのなら、互いに嫌いになって別れたわけじゃないように思えて……。それじゃあ、原因は何?

 そう考えると、知るのが少し怖くなる。


「大丈夫か? 顔色が悪い」

「……あ、はい。あの、いろいろ考えてしまって」

「この話はまた今度にしようか」

「いえ、話してください!」


 食い気味に言うと、近江さんは苦笑した。


「分かった。簡単に話すよ」

「お願いします」

「あ、その前に」

「はい?」

「名前を呼んで欲しい」

「……はい?」


 いきなり⁉ というか、まずその話?

 近江遥斗さん……名前で呼んで欲しいってことは、『遥斗さん』って言うの? ちょっとハードルが高すぎない? またもや顔が熱くなって、両手で頬を押さえてしまう。

 でも、『遥斗さん』……なんか、しっくりくるのは気のせいかしら? 少し深く息を吸って。


「は、遥斗さん?」

「うん」


 遥斗さんは満面の笑みを浮かべた。

 うわっ、なんか、最初見た時と違って、なんか可愛い。名前を呼んだだけでこんな風な笑みを浮かべるなんて、反則だよ。


「俺も、『梨世』って、呼んでいい?」

「う、うん」

「ありがとう。梨世」


 ああ、もう、余計に顔が熱くなるから止めて欲しい。その笑顔は反則すぎる。

 そんな風に思っているところに、頬に添えられた右手を取られて、脳内にはてなマークを浮かべていると、右手を自分のほうに引き寄せて、右手の甲に遥斗さんの唇が触れた。

 一拍遅れて手の甲に触れた唇の柔らかさを実感すると、ますます頬に熱が集まったのが分かった。


「お、近江さん⁉」

「遥斗だよ」

「は、遥斗さん、恥ずかしいから止めてぇぇっ!」


 まるで映画のワンシーンのようなそれは、うっとりするより羞恥心のほうが勝った。

 もうっもうっ、絶対からかってるっ‼

7/8 梨世のストーカーについて、時期を修正しました。

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