9話:彼の死を回避する!
まるで喉に刺さった小骨のように。歯に詰まったほうれん草のように。
ブルースの言葉が気にかかる。
だって伝説では、白い鹿は「狩ってはならない」と言われていた。しかも狩ろうものなら「不慮の死を遂げる」のだ。そしてジェラルドは、自身の意志で崖に近づくことはない。だが崖から転落すると、小説では書かれていた。
もしかしてブルースが、友達にマウントを取るため、白い鹿をジェラルドに求めることで、それが崖からの転落死につながるのでは……?
「ブルース。お父様へのそのリクエストは、待って頂戴。お母様はこれからドレスに着替えるから、お夕食までに、この本のこのページを読んでみて。分からない字があったら、モナカに聞きなさい」
こうして一旦、モナカにブルースを託し、白い鹿の伝説を読ませることにした。その間にメイドを呼び、モーブ色のドレスを着せてもらいながら、最新版のホワイトフォレストに関する本を、パラパラと眺めた。
最新の書物はカラーであり、挿絵も多い。
「! これは……!」
髪をアップにしてもらいながら見つけたのは、驚くべき情報だった。
『ホワイトフォレストの古い伝承・伝説に、繰り返し登場する白い鹿。その白い鹿の謎が解けた。詳細な調査は、まだ途中。よって仮の名として、白い鹿はスノー・ディアと呼ぶ。このスノー・ディアは、大変珍しい習性を持つ。元々生息域も限られ、個体数が少ない。その割にクマやオオカミなどの天敵が、ホワイトフォレストには多い。そこでスノー・ディアは、外敵から逃れるため、断崖絶壁で暮らしている。ヤギが断崖絶壁で暮らすことは、知られているが、まさか鹿が生息しているとは! これまでこの謎が解かれなかったのは、ひとえに、白い鹿を追う者は、崖から転落死する――この伝説のせいであろう。』
これはつまり、スノー・ディア……白い鹿を森の中で見つけ、そのまま追い続けると、いつの間にか断崖絶壁まで来ていることになるのでは? でも追うことに夢中になっており、気が付くと崖から転落死していた――ということではないの? 昔の人は、教訓から伝承を生み出すことが多い。白い鹿は森の王とされ、追う者は不慮の死を遂げるということに、なったのではないか。
間違いない。
ブルースは、友人にマウントをとるため、ジェラルドに白い鹿を捕らえるよう、お願いする。その一方で『ホワイトフォレストの古い伝承・伝説に繰り返し登場する白い鹿。』と書かれている通り、もはや伝説は風化されていた。
ジェラルドはこの伝承を、忘れている、もしくは信じていない。いずれにせよ、息子のためと、白い鹿を追ってしまうんだ……! その結果、崖からの転落死につながるのね。
アクセサリーをメイドにつけてもらないながら、一輪挿しにした秋薔薇を見る。
ブルースは、とても心優しい子に育っているが、マウントをとりたがるなんて……見逃していた。これは今すぐに説得しなければ。
身支度が整うと、ソファに座り、モナカと共に本を読んでいたブルースに、声をかける。
「お母様……! なんてお綺麗なんでしょう」
瞳をキラキラと輝かせるブルースは、善良の塊にしか見えない! でもまだ、足りないのだ。
「ありがとう、ブルース。さっきの本は読めた? 白い鹿のお話は理解した?」
「うん、理解した。白い鹿は……捕まえちゃダメだったんだね」
ブルースはしょんぼりしている。
そこでブルースを膝に乗せ、白い鹿の正体――スノー・ディアについて話す。
「そうだったんだ。白い鹿はそんな場所に住んでいるんだね」
「そうよ。だからお父様に白い鹿を頼んだら、事故に遭ってしまうかもしれない。危険だから、白い鹿は諦めましょうね」
ブルースはこくっと頷く。
そこでもう一つ、重要なことを伝える。
「ブルースは白い鹿をお父様に捕まえてもらって、友達に自慢すると言っていたでしょう。どうして自慢をしたいの?」
「え……。それは……。うーん、だってコリンズ伯爵の令息キータは、例えば『俺のこのタイについている宝石はサファイアなんだぜ、すごいだろう!』って自慢して、みんなも『すごーい!』って言うんだ。僕もみんなから『すごーい!』って言われたい!」
要するに、承認欲求を満たされたいのね。でもその「すごーい!」は一度キリのもの。物に頼って得た「すごーい!」は、物がなければ、二度目はない。
「ブルース。本当に『すごい』と思わせるためには、物に頼ってはダメなの。物に頼ると、毎回、『すごーい』と言われる物を、用意しないといけなくなるわ。それでは疲れてしまうわよ」
「え……。じゃあ、どうしたらいいの?」
こちらを見上げるブルースは……もう、愛い!
「ブルース自身が『すごい』と思われるようになればいいの。例えば今、ブルースは剣術を習っているでしょう。お父様みたいに剣術を極めると、いつもみんなから『すごい』と思ってもらえる。それはいちいち『僕ってすごいでしょう?』って言う必要はないの。お父様が剣術を披露すれば、みんな『すごい』って囁かない?」
「うん、みんな『当主様はすごいな』『騎士になれる腕前だ』って褒めているよ!」
「お父様はみんなに自慢している?」
「していないよ!」
そこでブルースの頭を優しく撫でる。
「本当にすごい人は、自慢なんてしないわ。その実力を目の当たりにした人から、自然と『すごい』と思われるの。だからブルースも。剣術ではなくても、他の何かでもいいわ。頑張って極めましょう。そして自慢はせず、自然に『すごい』と思われるようになりましょう」
「そうだね。僕、お父様みたいになれるよう、頑張るね!」
「ええ。無理せず、ゆっくりでいいから、続けて行きましょう」
ブルースをぎゅっと抱きしめた。