78話:モノローグ
とある人物の独白です。
確かにあの令嬢のことが好きだったはずなのに。
気が付けばまったく違う相手に恋い焦がれていた。
新たに僕の心に住みついた女性。
彼女の初対面の印象は、正直、厄介な女。
淑女のフリをして思いがけず切れ者。
僕の完璧なプランを思いがけない方向から切り崩して来た。油断ならない相手だと思った。この女がいる限り、迂闊には動けないと感じた。
自ら手を下さない。
それはとても卑怯なやり方だと思う。でもあの女がいるのだ。失敗すればその悪事が暴かれ、公にされる――。そう確信したのは宰相が電撃辞任した時だ。表立って明かされていない。だが知ってしまった。宰相がその職だけではなく、爵位まで失った理由に、あの公爵家が関わっていることを。絶対にあの女も一枚噛んでいると。
そんな要注意人物だったのに。
彼女は僕の懐深くに入り込んでいた。
自然に。
違和感なく。
実にすんなりと。
最初は悔しいことに胃袋掴まれたと思う。
冷静に考えると、シンプル過ぎるスイーツだった。
ほんの数分で作ることができる。
まさに子供だましみたいだ。
だが本当に。
美味しかった。パティシエが手間暇かけて作る凝ったスイーツの数百倍美味しい。
でも決定打は吊り橋での一件。
高い所は……苦手だった。
それは幼い頃、誘拐されかけた過去があるからだ。
あれは五歳の時。
犯人は兵士になりすまし、僕をさらおうとした。
王宮の庭園で遊んでいた僕を連れ出し、途中で様子がおかしいと気づくことになる。
だから僕はその兵士になりすました男から逃げ出した。
必死に走り。
目につく建物に飛び込んだら、それは聖堂に併設された尖塔だった。
一心不乱で螺旋階段を駆け上がる。
僕を攫おうと、兵士に扮した男の声が聞こえた。
心臓が爆発しそうなぐらい鼓動し、息が切れ、ついに動きが止まった。
玉のような汗が階段に落ち、ふと見えた窓から外の景色が見えた。
風が吹いており、心地よく感じ、少し窓から身を乗り出し――。
眼下を見てしまった。
その高さに絶句し、完全に動けなくなる。
男の声が迫っているのだ。
早く逃げないと。
でも階段に座りこみ、そこから記憶がない。
意識を失っていた。
結局、その兵に扮した男は、尖塔の階段の途中で近衛騎士に捕らえられている。僕は無傷で王宮に戻ることができた。無傷……そんなことはない。高所に対する恐怖はバッチリ埋め込まれていた。
克服なんてできないと思っていたのに。
あの時、チョコレートフォンデュなんていう、聞いたことがないスイーツの話をされた。でも僕は甘い物が好きだったから、つい夢中で聞いてしまった。
気づけばあれだけ渡ることを躊躇していた吊り橋を渡り終えていた。
本当に、驚きだった。
その時、この女性が何者であるかなんて分からない。
ただのツアーガイドだと思っていた。
でも胃袋掴まれた上に、心まで掴まれてしまう。
顔を見たい、話をしたい、もっと彼女のことを知りたい。
禁止されていたのに、夜になり、テントを抜け出し――。
月明かりに照らされた素顔と見事なブロンドを見た時の衝撃。
あれは……。
天と地が逆転するくらい激震した。
でもどこかで納得する自分もいたのだ。
まるで童話に登場する魔法使いのように、あっさり僕の恐怖心を忘れさせ、手早く絶品スイーツを作り出す。そんなことをいとも簡単にできる女性は、この世界にそういるわけがない。
ああ、彼女だったのか、と。
僕にとっての天敵とも言える女性に。
それどころか永遠に手に入れることが叶わない立場にいる女性を想うことになってしまうなんて。
なぜなのだろう?
既に心に決めた相手がいる女性ばかりを、好きになってしまうのは。
絶対に届かないと分かっているのに。
まるで底なし沼にはまるように、好きになってしまった。
想いの沼から抜け出せない。
同時に。
それまでずっと気になっていた婚約者のいる男爵令嬢への興味は、一切失われてしまった。
むしろ。
彼女がその男爵令嬢を大切にしていると分かっている。ならば彼女が心配しないで済むように、男爵令嬢に自分から近づくのは止めようと決意した。
そして僕の想いは、ひたすら真っ直ぐ彼女へ向かう。
だが……。
彼女を守るように寄り添うあの圧倒的な存在。
いろいろな意味で敵わないと感じる相手だった。
この国の頂点に君臨する父上にすら感じたことがない、絶対的な存在感。
それに殺気。
あの鋭い眼光で睨まれた瞬間。
その場が戦場になったかのように感じた。
丸腰の僕の前に突如現れた敵の総大将。
呼吸することすら憚られ、瞬きをしたら首を落とされる。
それぐらいの恐怖を覚えた。
彼女を手に入れるには、あの男を相手にしないといけない。
無理だ。
ネズミがライオンに挑むようなもの。
もはや彼女のことは遠くから見守るしかない。
まるで冗談のように。
匿名で彼女に贈り物にすることで、なんとか満足していたら……。
突然、変装した彼女が学校に現れた。
毎日の登校が楽しくてならない。
そして僕は彼女の憂いを知る。
憂いの理由を聞いた僕は、気が付く。
僕だからこそ、できることがあると。
僕の瞳に映る彼女が、笑顔で幸せであれば、それでいい――。
こうして僕は動き出す。
「フェリクス殿下、お話があります」