67話:甘い悪戯です!
こうして迎えた『Heart-Giving Day』のイベント当日。
勿論、私もチョコレートとカードを用意していた。
我が公爵家が運営するチョコレートショップで購入したので、パッケージには私の横顔のシールもバッチリ貼ってある。シルエットとはいえ、自分をモチーフにしたシールが貼ってあるのはかなり気恥ずかしい。
それはともかく朝食の席でも『Heart-Giving Day』の話題となり、ブルースは……。
「お父様、お母様。『Heart-Giving Day』で贈れるチョコレートは一つのみ。僕はミユに贈りたいと思います。お二人のことも大好きなのですが……寂しい思いをさせてしまい、申し訳ないです」
「ブルース、それでいいのよ。お母様とお父様もお互いに贈り合うことになるのだから、寂しくはないわ。愛するミユに贈るので正解よ」
ただ一人に贈るとしたのには、いくつか理由がある。
自分の最愛は誰なのか。夫婦や恋人同士に愛を深めて欲しいと思ったのが一つ。
そしてチョコレートは高級品だが、庶民にも楽しんでもらいたいというのも理由の一つだった。
前世でも貴族の生活を平民は真似しようとした。それは時代が流れても同じ。21世紀になっても、セレブの生活に憧れを持つ一般人はいたわけだ。そしてこの世界でも、貴族に憧れを持つ平民は多い。貴族の流行を平民が真似することが多々あったのだ。
真似をしたい。でも高級なチョコレートとなると、躊躇するかもしれない。
それでも一つだけなら。一年に一度だけ、奮発して買ってみようと思えるように「ただ一人に贈る」にしたのだ。
つまり身分に関係なく、『Heart-Giving Day』を楽しみましょう――にしたかったのだ。
それを実現するために、一粒単位でのチョコレートの販売を、ジェラルドに提案している。チョコレートは最低でも八粒単位での販売が主流だった。つまり一粒からの販売は画期的。でもこれで平民の間でも『Heart-Giving Day』では人気となり、一粒チョコレートは大いに売れた。小さな紙袋に公爵夫人のシール。まさにプチ贅沢だ。
極寒の二月。これというめぼしいイベントはない。でもハート(愛)を贈り合う『Heart-Giving Day』があれば、気持ちがほっこり温まる。身分に関係なく、この日を楽しむ。
まさにそれが結実しつつあり、私は嬉しくてたまらない。
こうしてブルースはミユに渡すチョコレートを持ち、学校へ向かう。ジェラルドは屋敷で執務に取り組む。私はというと、孤児院巡りだった。我が公爵家で運営するチョコレートショップでは、『Heart-Giving Day』にあわせ、大量にチョコレートを作ることになった。すると形の不揃いなどで、店頭には並ばないチョコレートが出てきたのだ。そのチョコレートを無料で届けるための孤児院巡り。
不揃いなだけであり、品質に問題はない。そして今日は『Heart-Giving Day』。孤児院の子供達にもこのイベントを楽しんでもらいたいと思ったのだ。
訪れる孤児院は、ブルースが子供時代からボランティア活動で足を運んでいる。ゆえに職員は私と顔見知りであるし、最初に会った時は子供だったのに、今はスタッフの一人として働いている子もいた。『Heart-Giving Day』を楽しめるようにチョコレートを届けに来たと知ると、みんな大喜びだった。
昼食ではジェラルドに、孤児院の様子を報告した。修繕が必要な孤児院。人手不足な孤児院。商会の手伝いができそうな有能な孤児などをジェラルドに伝える。これを聞いたジェラルドは寄付の手配をし、就職先の斡旋を行う。この国を代表するフォード公爵家の、ノーブレスオブリージュとしての活動の一つだった。
そしてこの昼食のデザートで、ジェラルドには用意していたチョコレートを渡した。勿論、ジェラルドも私にチョコレートを贈ってくれる。交換したお互いのチョコレートを食べる時間は、話も弾み、とっても幸せ。
『Heart-Giving Day』。
極寒の二月に心温まるイベントを提案できたと思う。
きっと毎年のイベントになってくれるはずだわ。
ここでめでたし、めでたしでこの日が終わると私は思っていた。
が、しかし!
私はそういう星の巡り合わせで生きているわけではないようなのだ!
昼食後、自室に戻るとモナカが部屋へ訪ねてきた。
「奥様、お届け物です」
届けられたのはハート型のチョコレート。
まるでジュエリーボックスのような箱に収められ、純白のシルクの上に鎮座している。
どこにも店名の刻印はない。
だがどう考えても超高級品に思えた。添えられたハート型のカードには「Love」の文字。そしてそのハートのチョコレートの表面に、流麗な文字で書かれているのは……。
「Pochirina」
うん……?
うううううん!?
ポチリーナ!?
こ、これはもしやスチュアート!?
おそらくこのチョコレートは宮殿のパティシエに作らせたものだ!
「モナカ、これはスチュアート殿下からだわ。私は食べるわけにいかない。どうしたらいいかしら? 宮殿のパティシエが作ったものだから、きっと美味しいとは思うの」
「では我々使用人で美味しくいただきます!」
朝昼晩の三度の食事。
主が残したものは使用人がいただく。
この世界はそうやって見事なまでの循環社会を実現していた。
ということでスチュアートのチョコレートの対応はこれでOKだ。
しかしスチュアートは舞踏会でジェラルドに牽制され、かつ自身の父親である国王からも注意を受けたはずなのに! めげずによく贈って来るわね……。
「LOVE」なんてカードが同封されているが、ポチリーナと表記している時点で、本気で私にLOVEだとは思えない。完全におふざけだわ!
本命はいずれかの令嬢でしょう。
でも『Heart-Giving Day』で贈ることができるチョコレートは一つのみ。
ということは、スチュアートは貴重な告白のチャンスを無駄にしたも同然だ。
だってミユもしくはいずれかの令嬢には贈ることができないのだから!
ただ言えることは一つ。
私相手におふざけをしているくらいなのだ。スチュアートのミユへの関心が、収まっている可能性が高い。このスチュアートのおふざけがいつまで続くのか。それは分からなかった。だが間もなく進級し、スチュアートもブルースもミユも、三年生になる。そしてブルースがミユと婚約破棄するのは……小説では卒業記念舞踏会なのだ。
そこまで。
卒業記念舞踏会が終わるまで、スチュアートの関心が私に向いてくれていたら。ミユは小説の強制力から逃れ、ブルースと結ばれることができると思う!
ならばスチュアートは、余程のことをしない限り、放置だ。
方針も決まり、ほっと一息をついたのも束の間、またもチョコレートが届けられる。
だ、誰ですか!?
モナカが運んできたのは、前世の某有名ブランドを思わせるターコイズブルーの箱に白のリボン。
でも箱には公爵夫人のシール。しかしその色は白で、正規のローズ色ではない。つまり使用料を払い、このシールを貼付している。蓋をあけると、裏側に『マダム・メルヘン』と店名がプリントされていた。
『マダム・メルヘン』と言えば、それはピアース侯爵家の商会が運営しているお店だわ。
ということは!
ハート型で見開きになっているカードを開くと……。
『やあ、キャサリン。
君、また面白いことを思いついたようだね。
Heart-Giving Dayなんて!
粋じゃないか。
しかし、独り身の僕には困ったイベントだ。
誰に渡すのかと近衛騎士団の連中が
僕を賭けの対象にしている。
こうなると僕も誰かに贈らないといけない。
だが母上に贈るのも……ね?
そこでHeart-Giving Dayの言い出しっぺの君に。
キャサリンに贈ることにしたよ。
特注のチョコレートケーキだ。
あ、子供に食べさせちゃダメだよ。
洋酒がたっぷり使われているからね。
あの君を溺愛する公爵と
ナイトティーと一緒に食べるといい。
君の永遠の友リック』
リック!
あなたまで、貴重な一人にしか渡せないチョコレートを私に贈るなんて!
相変わらずだわ。
リックからのチョコレートを待つ令嬢は五万といそうなのに。
そしてリックが今日、受け取るであろうチョコレートの数を想像すると……。
大変なことになりそうだわ。
でもせっかくいただいたのだ。
御礼の手紙と庭園で摘んだ花でブーケを作り、リックに贈った。
夕食後、ナイトティーと共に、リックからのチョコレートケーキを食べることにした。
「ジェラルド、これ、リックから贈られてきたの。近衛騎士団で賭けをしているからって」
そう言って例のカードを見せる。
「ふん。賭けをしているなんて言い訳だろう。リックは……」
臨戦態勢なジェラルドを落ち着かせ、とりあえず食べて見ると……。
これは……たっぷりのラム酒が使われているわ!
ラム酒はこの世界ではまだ珍しいお酒。
確かアルコール度数が、ブランデーやウィスキーよりも高かったと思う。
「これは……洋酒と思うが、風味があって美味しい……。敵ながらあっぱれだ」
どうやらジェラルドは気に入ったようで、ぱくぱくと食べている。
「残りも食べてしまっていいか?」
「! ええ、どうぞ」
綺麗に平らげたジェラルドの頬がほんのり赤い。
「……なんだか熱いな」
そう言うジェラルドは目元もうっすら赤く、いつもキリッとしているのに、その表情はとろんと甘いものになっている。
「キャサリン」
「はい」
「キスをしたい」
「?」
チョコレートケーキを食べたばかりのキスは濃厚で甘い。
しかもジェラルドは珍しく酔っているのか、舌も唇もいつもより熱い。
「……我慢できない」
「え!?」
「ここで、抱く」
「?????」
ベッドはすぐそこにあるのに、ジェラルドの熱は止まらない。
ソファで愛を確かめることになるなんて!
もう、リック!
絶対にこういう展開を予想し、面白がってラム酒たっぷりのチョコレートケーキを贈ったわね!
幼なじみの悪戯に翻弄された『Heart-Giving Day』だった。