61話:マジでぶちキレ五秒前です!
ダンスのお誘いは、お断りしても構わない。
ただ、その相手が王族の場合。
明確な理由なく断ることは、好ましいことではない。周囲の目もある。よからぬ噂がすぐに広まる可能性が高い。
ミユを守りたいが、スチュアートが今、ダンスに誘ったら……。
断ることは賢明ではない。
チラリと見ると、ミユも不安そうな顔をしている。
「フォード公爵」
スチュアートがなぜかジェラルドに声をかけた。
「奥方であるフォード公爵夫人とダンスを一曲踊ること、お許しいただけますか」
私達の周囲だけ、シンとした気がする。
スチュアートは今、何とおっしゃいましたか!?
「……スチュアート殿下、わたしの妻と……ダンスをしたい、のですか?」
困惑するジェラルドの声に、私の脳が激震している。
スチュアートは、何を企んでいるの!?
どうしてミユではなく、私をダンスに!?
もしや順番に私、ミユの母親、そしてミユをダンスに誘うつもり?
「連続して同じ相手と踊るのは避けたいので、次のお相手、お願いできませんか」――という大義名分で、ミユをダンスに誘う作戦!?
相変わらずスチュアートが何を考え、行動しているのか。
まったく分かりません!
そしてパートナーがいる相手にダンスを申し込む時。
そのパートナーに許可をとるのが礼儀となっている。スチュアートはきちんとジェラルドに確認をしていた。対してジェラルドは余程の理由がないと、断ることはできない。特に王家に忠誠を誓うフォード公爵家の当主としても、ここで「ノー」の返答はあり得なかった。
「……分かりました。どうぞ」
ジェラルドのこの回答が正解だ。そもそも守りたかったのはミユなのだ。ミユがスチュアートの餌食にならないなら、ダンスぐらい私が踊ります!
ということでスチュアートにエスコートされ、ホール中央のダンススペースへ向かう。
しかしスチュアートがよりにもよって、自身の今日の最初のダンスパートナーに、公爵夫人である私を選ぶなんて、奇特過ぎる! ここは同年代の未婚令嬢を誘うべきでは!? ただしミユを除き。
スチュアートとホールの中央で向き合うと、自然と周囲の令息令嬢が距離をとる。それは当然だ。王族がダンスをするのを邪魔しないよう、皆、気を遣う。
未婚で婚約者なしの第二王子が、同級生の母親であり、既婚の公爵夫人とダンスをする。既に注目を集めていた。そこに加え、スチュアートと私の周囲にだけスペースがあるから、悪目立ちしているとしか思えない!
始まりの体勢をとると、スチュアートがこの世界のヒーローらしい王子様スマイルをこちらへ向ける。
何を考えているの?
この笑顔の下で、今度はどんな悪いことを計画しているのか。
もうブルースには手を出さないと言った。
だがブルースとミユを引き離す手段はいくらでもある。
ブルースを貶めることができないなら。
今度は母親である私を、貶めることにした?
もしやダンスでヒドイ失敗を私にさせ、恥をかかせるつもり?
もしくは何か悪い物で食べて、頭が変になってしまった……?
ゆっくりワルツのメロディが流れる。
この曲は……!
演奏時間が他のワルツ曲よりも、長いものではないですか!
もしやスチュアートにオーケストラが忖度をした!?
「フォード公爵夫人」
「はいっ!?」とキツい返事をしそうになるのを堪えた。上品に微笑みながら応じる。
「はい。何でしょうか、殿下」
「僕がダンスに誘ったこと、驚かれています?」
「それを聞きますか、殿下! 驚いて当然でしょうが!」と言いたくなるのも堪える。
「ええ、驚きましたわ。何せ私は殿下の同級生であるブルースの母親。そしてフォード公爵の妻ですから」
!?
なぜそこでそんな傷ついたような顔をするのかしら!?
同級生の母親であり、既婚者であることを忘れ、私をダンスに誘ってしまった。なんて恥ずかしいことをしたんだ、僕――と後悔している!?
「フォード公爵夫人はダンスが大変お上手です。ダンスの基本は男性のリード。下手なダンスも男性のリード次第でなんとかなる……とは言いますが、せっかく踊るなら、上手な方と踊りたいのです」
「はぁ……ああっと、そうでしたか、殿下!」
思わず「はぁ……」と盛大なため息をつきそうになり、慌てて誤魔化す。だが誤魔化しきれず、スチュアートがクスクス笑っている。それを見た私はマジでぶちキレ五秒前だ。
だが、私の怒りの感情は、次の一言で鎮静化してしまう。
沈静化……というか、別の感情が湧き上がり、それどころではなくなる。
シルバーブロンドの前髪をサラサラと揺らしながら、スチュアートはサファイアのような瞳を真っすぐにこちらへ向けた。そして意味深に私を見つめた後、ゆっくり口を開く。
「スクールトリップのツアーガイド。あれはあなたではないですか?」