54話:寂しがり屋の公爵様
キャサリンが修学旅行中のジェラルド視点です
「旦那様、領地より大量の秋薔薇が届きました。いかがいたしましょうか」
ヘッドバトラーのチャーマンの報告に、わたしは読んでいた書類から顔をあげ、応じる。
「ああ、それならキャサリンに」
「奥様は実家へお戻りでしたよね?」
そこでハッとして思い出す。
キャサリンがツアーガイドとして、王立レーモン学園二年生のスクールトリップに潜入していることを。
クラスにより行き先が異なるスクールトリップ。ブルースと婚約者であるミユは、行き先が違う。それでいてミユに横恋慕しているこの国の第二王子であるスチュアート。彼とミユはクラスが同じ。つまりスクールトリップの行き先が一致していた。
ブルースの目がないのをいいことに、スチュアートがミユにちょっかいを出さないか。それを心配したキャサリンは、ツアーガイドに扮した。そしてスチュアートのクラスのスクールトリップに潜り込んだわけだ。
チャーマンは潜入の件を知っている。しかし表立ってそれを言うことは危険だ。誰が聞いているか分からない。ゆえに表向きの理由「実家に滞在している」を口にしたわけだ。
「そうだったな。では例年、秋薔薇をどうしていたのか、資料を頼む」
「かしこまりました」
チャーマンが持参した資料を元に、秋薔薇の扱いを決めた後。
「今、屋敷に飾ってもキャサリンはいない。ならばその分で香水でも作らせよう」
補佐官に傘下の商会で香水を作るよう、指示を出す。
その後、執務を続け、集中していると。
「旦那様、昼食の時間です」
「ああ、分かった」
チャーマンの知らせにダイニングルームに向かい、席につく。
ダイニングルームは……こんなにも広かったか……?
キャサリンの席を見て、そこにいない彼女の笑顔を思い出し、その不在に寂しさを感じる。ブルースの席を見て、スクールトリップ中の息子を思い浮かべ、元気にしているのかと気にかかった。
「旦那様、お料理をお出ししますか?」
昼食を始めるよう、メイドに指示をだしていなかった。「ああ、始めてくれ」と応じ、一人での昼食の時間がスタートする。
「食事がこんなに味気なく感じるなんて……」
料理人はいつも通り、全力を出した料理を出してくれている。
それをキャサリンやブルースと共に食べる時は、とても美味しく感じるのに。
今は……。
今晩また、一人で食事をする。
二人の不在を噛みしめながら、この広いダイニングルームで。
いや、それは遠慮したい。
「チャーマン、今晩、夕食は外で食べる」
「かしこまりました。いずれのレストランを予約しておきますか?」
「そうだな。今回は個室ではなく、人が多い店を予約してくれ」
「了解いたしました、旦那様」
◇
参ったな。
大勢の人がいる、がやがやしたレストランで食事をすれば、キャサリンとブルースの不在が気にならないのでは?と考えた。そこで個室をとらなかった。しかも一人でわたしがレストランで食事をしているとなると、詮索する者も出てくるだろう。それは面倒だと感じ、軽い気持ちで変装したが……。
それはそれで誤解を招いたようだ。
席に座ってから周囲の席の女性から、やたら視線を送られ、辟易している。
女性から声をかけることは非常識。
声を掛けて欲しい時は、アイコンタクトを送る。
つまり「誘って欲しいの。声を掛けて」のアピールがしつこく送られ、食事に集中できない。
「すまないが、食欲がない。メインが出る前だが、切り上げて欲しい。料金は食後の紅茶まですべて払う」
こうして屋敷へ戻ることになる。
入浴を終え、つまみとワインを用意させ、しばらく自室で時間を過ごす。
照明を押さえた室内で聞こえる音。それは――。
暖炉の薪が爆ぜる音。
置時計の分針が「カチッ」と時折立てる音。
建材が立てるミシッという音。
静かだった。
普段ならわたしが飲むと言えば、キャサリンがワインの相手をしてくれていた。
対面のソファをいくら見つめても、そこにはキャサリンがいない。
その事実に想いが募る。
今頃、君はどうしているのか――。
既にワインのボトルを一本開けているのに、酔いを感じない。
ただ体が熱くなり、キャサリンを求める気持ちだけが高まっている。
眠れるのだろうか?
カーテンを開け、窓から外を眺める。
満月に近い月が、銀色の輝きを放っていた。
月光を浴び、大いなるため息の後に、就寝を決意する。
メイドを呼び、片づけをさせ、バスルームで身支度を整え……。
そこで気が付く。
自分のベッドルームを使うのは、いつぶりだろうかと。
あれは……あれはそう、キャサリンがびしょ濡れで帰宅した日だ。あの日以来、わたしは自室のベッドで寝ていない。
あの日、ブルースと動物園に行き、キャサリンはゾウに水をかけられた。とんだ災難にあったキャサリンを気遣い、彼女の部屋へ向かった。あの夜、顔を合わせたキャサリンは、いつもとは違っていた。
まず侍女への謝罪を表明したのだ。続いてワインを飲むかと声をかけると、当然のように応じてくれる。「キスをする時は、お酒を飲まないで」が口癖だったのに。それを問うと「今日は私もワインを飲みたい気分なんです」と答えたのだ。
そして二人でワインを飲み、キャサリンのベッドで彼女を抱いたのだが――。
あれは今も思い出しても、なんだか不思議だった。
キャサリンと肌を重ねるのは、あれが初めてというわけではないのに。
反応がいちいち初々しいというか、可憐というか……。
その姿にこれまでにない気持ちの昂りを覚えた。
しかもわたしに自分の寝室に戻るよう、促すこともなかった。
「一人じゃないと熟睡できないの」がいつものキャサリンの言葉。
だがあの日のキャサリンは、わたしの胸に寄りそうようにして、可愛らしく丸くなって眠ったのだ。
その日からずっと。
キャサリンなしでは眠れなくなっている――そう言っても過言ではない。
「旦那様、お休みになると聞いていたのですが、何かございますか!?」
廊下ですれ違ったチャーマンに声をかけられ、わたしは告げる。
「妻の寝室で休む」
キャサリンが不在でも。
ベッドには、彼女が愛用している薔薇の香水の残り香があるはずだ。その香りを感じ、君のことを思い浮かべ、今日は眠り着こう――そう決めた。
最愛が不在の中、秋の夜は静かに更けて行く。