39話:さっきよりピンチです!
「か、会長、それはちょっと」
「まあ、心配するな」
手の自由を奪われたら、ボーンチャイナの花瓶で、一発お見舞いすることができないわ!
いや、こうなったら膝であそこを……。
バンッと扉が開いたかと思うと、デイヴィス伯爵に同行していた男性が、ツカツカとこちらへと歩いて来る。
「君、応接室で待つようにと言っただろう!」
だがデイヴィス伯爵にそのまま近づいた、トップハットを被ったサングラスの男性は……。
え、何が起きたの!?
それはあまりの早業で、何が起きたのか理解できない!
でも瞬きをした次の瞬間には、デイヴィス伯爵は絨毯に転がり、気絶していた。
ともかく助けてもらったのだ。御礼を言わないと!
口を開きかけると、先に男が声をあげた。
「自分のことを応接室で待たせ、女とよろしくやるだと!? ふざけるな。こんな奴とは取引しない。裏社会では信用が第一だ。こんな男、信頼できん」
なるほど!
この男、裏取引の相手なのね!
どうりで手荒いことをすると思ったわ。
それに時間外にここへ来たのも納得だ。
「女」
「は、はいっ、あの助けていただき、ありがと」
「ついでにお前は俺がもらおう。ホテルへ行くぞ、ボタンを留めろ!」
え、えええええーっ!
冗談ではない。
ボタンを手早く留め、逃げようとすると、肩を抱かれた。
「歩け。それともここで、コイツがいつ目覚めるか分からない状態で、押し倒されたいか?」
最悪過ぎる。
平手打ちでもしたいところだが、私の肩に回された腕の筋肉。その力。
無理だ。
絶対に敵わない。
平手打ちする前に、腕を折られる。
つまり逃げ出すことはできないと理解した。
どうすればいいのか。
ただ、ブリーフケースに入れた裏帳簿はしっかり持っている。
このままこの男と共に建物を出て、そこで逃げ出せないか模索しよう!
外に出れば、人の目もある。
さらに今は、仕事帰りでレストランや酒場に向かう人も多い。
つまり人出がある時間だ。
大丈夫。
金庫の暗証番号がなかなか一致しないところから始まり、ヒヤヒヤすることの連続だった。だが裏帳簿は手に入った。なんとかなっている。そしてこの後も、なんとかするしかない!
そう思っていたが……。
階段を降り、廊下のその先に裏口――職員の通用口が見えた時。
思い出した。
ボディチェックと手荷物検査がある!!!!!
鞄の中のブリーフケースも絶対に見られてしまう。
ど、どうしたらいいの……!?
再度、肩に回されている腕の様子を確認する。
ダメだ。
ガッツリ、力が入っている。
私の力では絶対に逃げ出せない。
ボディチェックの係員の男達が、こちらを見ている。
なんで裏取引の相手と、今日辞める秘書が一緒にいるのか。
不思議に思えるのだろう。
いや、裏取引の相手とは分からない?
ともかく。
手荷物検査で鞄の中を見られ、ブリーフケースに気づかれ、中を見られたら……。
またも万事休すだ。
待って! 一緒にいる相手が裏取引の相手なのだ。彼に頼まれ、持ち出した……なんて嘘は、すぐにバレるだろう。
「お前、嘘をつくな。なぜ俺のせいにする?」と私の肩を抱くこの男に、腕の一本でも折られそうだ。
この場を切り抜ける決定打が浮かばないまま、ボディチェックをする男達のところまで来てしまった。
男達がボディチェックを始めた。
鞄の持ち手を握り締め、私は冷や汗状態。
この後、手荷物検査が待っている……。
「!」
私が今日で退職と分かっているからだろうか。
あやうく変な場所に触られそうになった。
「おい!」
ドスの効いた大声に、私もボディチェックをする男達も、全員動きが止まった。まさに裏取引の相手以外が、震撼した状態。
ボディチェックをしている男性は、前世アメリカの路上で「Ya」とラップを口ずさむ、ガタイのいいブラザーみたいな者ばかりだった。その全員が、「おい!」の一言だけで凍り付いている。
でも、分かる。
だって。
怖い!
明らかにこの裏取引の相手、裏社会の人間だと分かるオーラを持っている。まさにアンタッチャブル! たった一言でも威圧的だし、重低音なその声は、凄みがあった。
「コイツは俺の女になった。手を出すんじゃねぇ。分かったか、そこのガキ!」
先程以上の大音量な声に、腰が抜けそうになる。
そばにいたボディチェックの男は、猛獣を前にしたチワワのような状態。何も言わず、引き下がった。
結果。
ボディチェックなし、手荷物検査なしで通過できた。
外に、出られ――。
いきなり担ぎ上げられ、そのまま馬車へ押し込まれた。
これまたあまりの早業で、何が起きたか分からなかった。
建物の外に出たら、人の目もある。逃げるチャンスがある。そう思ったが、そんなタイミング、ナッシング!
しかもアンタッチャブルなその男も、あっという間に馬車に乗り込んだ。さらに心得たとばかりに馬車はもう、走り出している!
ひ、人攫いのプロだ!
「ジェラルド、助け――」
手で口を押えられ、私は馬車の座席に押し倒されている。
やはり慣れないことはしなければよかったと、もう追い詰められた最後の抵抗で男を睨み上げた。
すると。
アンタッチャブルなその男が、被っていたトップハットをはずし、髭を取り、大粒なほくろとサングラスを外すと……。
「え、こ、公爵様……?」
「キャサリンよくやった。裏帳簿は手に入ったな。ならば奴とわたしとの偽の裏取引は、不要だ。しかし。色仕掛けを使うとは……」
「で、でも、ジェラルド、あれは絶体絶め」
言葉を続けられないのは、ジェラルドのキスで口を塞がれたから。
そして揺れる馬車の中で、愛を確かめることになった。