38話:そんな、無理よ、そんな。――です!
会長の部屋の鍵が開いており、しかも中には誰もいない!
金庫のある部屋に入れる!
ということで部屋に入り、辞職届はドアのすぐ前に置き、鞄からブリーフケースを取り出す。しゃがんで金庫を開けるため、ダイヤル式の暗証番号を合わせる。
この金庫の暗証番号は、ヒドイものだった。
というのも。
会長であり、宰相でもあるデイヴィス伯爵。彼は見るからにインテリだった。だが伯爵はむっつりスケベ。何人も愛人がいて、一晩で愛人宅を何軒回れるか。それが日々の楽しみだというのだ! そんなに一晩で何人もの愛人に手を出すなんて、インテリとは思えない体力だ。ともかく毎日、金庫の暗証番号は変わるが、それは日付と前夜に巡った愛人の数だった。
例えば7月15日であれば、07151~07153が暗証番号になる。
つまり「今日の日付」と「巡った愛人の数」の組み合わせが、暗証番号なのだ! まったく何を暗証番号にしているのか。ともかく巡った愛人の数の最大値となる3から試す。
ダメね。
昨晩はお疲れだったのかしら?
ということで2を試す。
これもダメ?
え、では昨晩、手を出した愛人は一人?
うううん!? これも不正解?
会食があり、愛人の屋敷には立ち寄らなかった……ということ?
でも先輩秘書は、こう言っていた。
晩餐会後、奥さんと屋敷に帰った後。
なんと再び屋敷をこっそり抜け出し、愛人のところへ行ったと聞いている。
でもまあ、0という日もあるのでしょう。
そう思い、0を合わせるが……。
え……これも違う?
もしや暗証番号を全く違うものに変えた、とか?
それが正解なら、先輩秘書たちが大騒ぎしているはずだ。「今度の暗証番号は、愛人を何回抱いたのか、らしいわよ」――こんな具合に噂しているはず。でもそんな噂、聞いていない。
え、もしかして……。
そんな、無理よ、そんな。
そう思いながら試した数字が一致した時は、驚愕した。
ともかく金庫は、これで開けることができたのだ。
変な汗もかいたが、ちゃんとそこに裏帳簿がある!
早速取り出し、ブリーフケースへと仕舞う。
きちんと金庫の扉を閉め、立ち上がる。
部屋から出ようと、扉を細く開け、廊下の様子を窺うと……。
「!」
会長=デイヴィス伯爵が誰かを連れ、こちらへ向かっている……!
めったにこの商会へは顔を出さないというのに。
しかもこの時間、既に秘書も事務職員も勤務時間が終わっている。
なんでこんな時間にやってきたの!?
ともかく扉を閉め、頭をフル稼働させる。
部屋は三階。
窓から飛び降りるのは無理だ。
どこか隠れる場所は……。
会長室と言うが、シンプルな部屋だった。
執務机と椅子、本棚、ソファセット。
隠れることができるような場所はない。
いや、正確には隠れてもすぐバレる場所しかなかった。
ど、どうするの、私!?
やはりプロのスパイではない私に、これは無茶なことだったのでは!?
万事休す――。
◇
「いやあ、君とはいい取引ができそうだ」
会長であり、宰相であるデイヴィス伯爵が、大声で話しながら、部屋に入って来た。
「!?」
デイヴィス伯爵が目を剥くが、それもそのはず。
スパイではない私に今できることは、これしかないと思った。
つまり。
かけていた眼鏡を外し、結わいていた髪をおろす。
三つ編みにしていたので、髪はいい感じでウェーブがつき、普段の私とは別人。
さらに。
ドレスの身頃のボタンは、胸の谷間が見えるくらいまではずしている。スカートはたくしあげ、ガーターベルトが見えている状態で、執務机にもたれた私は。
普段、ジェラルド以外には聞かせたことのない、大変甘い声を出す。
「会長、お待ちしていましたわ。私、今日で退職なんです。会長との思い出を作りたくて」
そう言いながら、髪をかきあげると、イイ感じで胸がたぷんと揺れてくれた。
愛人を何人も囲っているぐらいなのだ。そちらの欲求が強いはず。
すると。
眼鏡越しのデイヴィス伯爵の黒い瞳に、欲情の炎が灯った。
女好きする伯爵は舌なめずりし、同行している男性に「応接室で待っていてくれ」と伝える。
トップハットを被った、黒のスーツ姿のサングラスの男性は「え」となったが、部屋から出て行く。
ニヤリと笑ったデイヴィス伯爵が、こちらへ歩み寄る様子に悪寒が走る。
でも我慢して、顔には強張った笑みを貼り付けていた。
執務机にはボーンチャイナの花瓶がある。
これを一発お見舞いして、気絶させる算段を立てていた。
多少、物音や悲鳴がしても。
女とよろしくやっていることは、あの同行した男性は分かっている。
よって動くことはないだろう。
執務机にもたれる私のところまで来たデイヴィス伯爵は、いきなり両手で私の腰を掴んだ。そして自身の方へと、グイっと勢いよく引き寄せる。「ひっ」と思わず声が出そうになり、慌てて呑み込む。
デイヴィス伯爵は、あの黒い瞳で上から下まで舐めるように見た後、おもむろに口を開く。
「いい体をしているな。……なぜ秘書を辞める?」
「お、お父様が、領地に戻り、見合いをしろと」
「ふむ。勿体ないな。愛人にしてやってもいいのに」
その手がアンダーバストの位置まで移動してきたので、蹴りたくなる衝動をなんとか抑え、答える。
「そんな。私はしがない男爵家の娘。伯爵様の愛人なんて! とても務まりませんわ」
ええい、気持ち悪い、エロ伯爵め!
もう、限界だわ。
ボーンチャイナの花瓶に手を伸ばそうとすると。
その手を掴まれた。
「私は縛るのが好きでね」
デイヴィス伯爵がそう言いながら、自身のズボンのベルトをカチャカチャ言わせながら外そうとしている。
え、え、え……!
両手をベルトで縛られる……!?