30話:満身創痍です!
マークとの勝負には勝つことができた。
だがブルースの右腕は満身創痍。
最終戦が始まるまで二十分ある。控え室にいるブルースの元へ、ジェラルドと共に向かった。
簡素な控え室には棚が並び、着替えや荷物が置けるようになっている。入口には武具や防具が置かれていた。
「「ブルース!」」
ジェラルドと同時でその名を呼んでしまう。
部屋の中央にはベンチがいくつかあり、その一つにブルースが座り、養護教諭がそばにいた。素早く駆け寄ったジェラルドが養護教諭に「失礼」と声をかけ、ブルースの腕を確認する。
「……。ブルース。わたしは医師ではない。だが剣術の訓練を長年受けているから分かる。この右腕の状態。今、無理をすれば、一生剣を持てなくなるかもしれない。棄権するか?」
ブルースの表情が強張る。包帯を手にした養護教諭は、ジェラルドに同意を示すように頷いていた。私は衝撃で言葉が出ない。
次の対戦相手であるスチュアートが有利になるよう、マークはあえてブルースの右腕を狙った。自身は騎士団長の嫡男であり、将来は騎士になることを目指す身であるのに! 不正に手を貸すなんて! マークに対する怒りで、はらわたが煮えくり返りそうだった。
だがそれ以上に、己が立場を利用したであろうスチュアートへの怒りが沸いた。
ブルースはここで棄権だ。
騎士になるつもりではないとしても、剣を持てなくなるぐらいでは、日常生活にも支障が出る。右腕を守ることが、今の最優先だ。
「お父様、お母様」
凛としたブルースの声に、ジェラルドも私も背筋がピンと伸びる。養護教諭も思わず、姿勢を正していた。
「僕は諦めません。剣術大会は、二年生のこの一度きりです。それに僕が棄権し、スチュアート殿下が優勝では、彼の思う壺。何より、ミユを守ると誓ったのです。ここで引けば、誓いを果たすことができません」
「……引き際を見誤ることは、敗北だ。それは分かっているのか、ブルース? 勝算無くして挑むは、負けを認めるも同然だ」
「分かっています、お父様。僕を信じてください」
真剣な表情で見つめ合うブルースとジェラルド。
その姿は胸を打つ。
ブルースは賢く育った。負け戦に挑むつもりはないはず。
きっと、きっと何か作戦があるんだわ!
「分かった。ブルース、信じよう」
そう言うとジェラルドが私を見る。
「ブルース。お母様もあなたを信じるわ」
こうして養護教諭が応急処置を施す。
だがブルースの右手は力が入らない状態。
ブルースの右手に柄を握らせ、ジェラルドがミユの贈ったハンカチを結わきつける。
剣を持ち、盾を手にしたブルースが、ジェラルドと私を見た。
「……フォード一族の名に、お父様とお母様の名に、勝利を誓います」
凛々しい顔立ちをしたブルースが、控え室から出て行った。
◇
ブルースとスチュアートの対戦を見るジェラルドは、無言だった。
他の生徒の対戦を見ている時は、とても饒舌だったのに。
でもジェラルドが無言になる気持ちはよく分かった。
スチュアートはある意味、才能がある。
それは相手をおびき出すという才能。
まず、バランスを崩したフリをする。そして慌てて動いたフリ。さらに焦って動き、無防備な姿をさらす。その姿はどう見ても、絶好の攻撃のチャンスと思える。
そこでブルースが剣で斬り込むと。
ガッツリ盾でガードする。
ブルースの顔が歪む。
盾は木製だが、剣と衝突すれば、ダメージは腕に伝わる。
それではなくてもブルースの剣を持つ腕は、限界に近い。
スチュアートはこんなやり方で、ブルースに剣を持つ腕を酷使させ、ダメージを与える。自ら怪我を負っているブルースの腕に、直接攻撃はしない。うっかり当たったレベルの攻撃はするが、あくまで「怪我をしている腕を狙うなんて、非道なことはしていません」というポーズだ。
品行方正で成績優秀なこの国の第二王子というフィルターが、この場にいる全員にかけられている。スキー合宿での出来事も皆、知らない。その上でこのブルースとスチュアートとの対戦を見ても、彼の腹黒さなんて……伝わらないだろう。
「あっ!」
思わず叫び、ジェラルドの胸に顔を寄せてしまった。
ブルースの手が、剣を少しでも強く握れるように、結わきつけていたミユのハンカチ。それが地面に落ちた。力なく落ちて、土埃にまみれるハンカチは、まるで今のブルースのよう。
涙が溢れる。
「ジェラルド、もう、止めた方がいいのでは!?」
私がそう言った時、競技場全体で声が起きる。
ブルースの手から、遂に剣が落ちた。
剣が落ちただけでは、まだ敗北にはならない。
だが、もうこれで勝負がついたと、皆が思っていた。
スチュアートのシルバーブロンドが風に揺れる。
サファイアのような瞳は勝利を確信し、細められた。
もう、いいわ、ブルース。
あなたは十分に戦った。
私が思ったその時。
ブルースが持っていた盾を放棄すると同時に、左手で剣を素早く拾い上げた。
それはまさに渾身の一撃。
スチュアートとの間合いを一瞬で詰め、これまで温存していたのか。
電光石火の突きの一撃が、スチュアートの胸元目掛け、放たれた。
ブルースからの左手による攻撃。
スチュアートはワンテンポ遅れたが、左手で盾を持っていた。なんとかギリギリで盾によるガードを行ったと思えたが……。
スチュアートの盾は、ブルースの右手を潰すために、何度も攻撃を受け止めていた。
その結果。
ブルースから渾身の突きの一撃を受けた盾は、まさかの縦に真っ二つで割れることになったのだ。
競技場には悲鳴のような歓声が起き、度肝を抜かれたスチュアートは、そのまま尻もちをついた。
その姿は実に情けない。
さらにまだ動けるはずなのに、盾を割られた衝撃で、スチュアートは固まっている。
「殿下の敗北です」
ブルースは左手で持つ剣をスチュアートに向けた。
◇
「ブルースには両手で剣を扱えるよう、教えてきた。六歳で始めた剣術の訓練の時から。ブルースは私の跡継ぎだ。騎士にはならない。だがもし実際に戦闘をする場合、利き手をやられて戦闘不能になれば、それは死に直結する。ゆえに利き手である右手と変わらないくらい、左手も使えるようにと鍛えてきた」
ブルースは学園での剣術の授業では、右手に剣、左手に盾で通してきた。ゆえに左手で剣を使えることは、学生は誰も知らない。
右腕を潰せば勝てる――このスチュアートの邪悪な企みは、最初から失策だった。
「ではブルース・ヘンリー・フォードの栄誉を称え、このトロフィーとペンダントを授与する」
表彰台にいるブルースの右腕は、包帯でぐるぐる巻き。とてもトロフィーを持てる状態ではない。ゆえにミユがそばに控え、校長からトロフィーを受け取った。そのミユの目元が赤いのは、きっと戦闘中に涙を流し、戦闘後に歓喜で泣いた証。
校長からタンザナイトのペンダントを受け取ったブルースは、まさにヒーローインタビューとなった。新聞部の生徒から今の気持ちを問われると――。
「僕の優勝は、僕一人の力で成し得たものではありません。日頃から訓練をつけてくれたお父様。訓練をサポートしてくれたお母様。練習に付き合ってくれた騎士や応援してくれた使用人のみんな。そして婚約者であり、常に僕に寄り添ってくれたミユのおかげです」
そこでブルースは最後の力を振り絞り、タンザナイトのペンダントをミユの首にかけた。
「ミユ。僕の最愛の婚約者。君に永遠の愛を捧げます」
ブルースがミユにキスをして、競技場では歓喜の声と拍手が鳴り響いた。