140話:大人の事情、です!
「リック、本当にありがとう。これから王宮へ行くのよね?」
「そうだよ」とリックは応じた。
つまりこの後、リックは王宮で、近衛騎士団長として夜勤に入る。でも現状は、白のセットアップとどう見ても高位貴族の貴公子にしか見えない姿だ。近衛騎士ではなく、これから舞踏会へ行く……の方がしっくりしそうだった。
「夜勤だから、今の時間は自由の身。それに幼いが、志の高い令息に仕事を紹介したのはわたしだ。ちゃんとこなせているか、紹介した手前、気になるからね。ゆえにわたしがここにいること、キャシーは気にしないでいいよ」
今、リックとプラム色のドレスを着た私は、オープンカフェにいた。丁度この席から、馬車道を挟んだ向かい側に、スイーツショップ『マダム・メルヘン』が見えている。
『マダム・メルヘン』は、店の多くがガラス張りになっており、それはショーウインドーの役目も果たしていた。ずらりと並ぶ『Heart-Giving Day』向けのチョコレート以外にも、クッキーやマジパン、プレッツェルなどが陳列されている。
その一方で、パティシエがスイーツを作る様子も、ガラス越しに見えるようになっていた。そしてまさに今。孤児院で私に話しかけてきたジェームズは、その店内で仕事をしている最中だった。
仕事……それはお店の掃除から始まり、商品の陳列、そして『マダム・メルヘン』のパティシエから指導を受け、スイーツにドライフルーツやアラザンを飾ったりしている。
この仕事をジェームズに紹介したのは私だが、そもそもこの仕事を用意してくれたのは、リックだ。私が手紙を書き、ジェームズのことを伝え、頼んだところ……。リックは快諾し、『マダム・メルヘン』の店主に事情を話してくれた。その結果、ジェームズを受け入れてもらったのだ。
「なかなか大変そうね」
「でもあの年齢の子にしては、器用によくやっていると思うけど」
今、ジェームズは、あの薔薇の形のチョコレートの作り方を習っていた。簡単にはできないので、何度もやり直しをしている。失敗品は私が買い取り、ジェームズがいるのとはまた違う修道院に届けるつもりでいた。
一時間程経った時、どうやらジェームズは、自分としての自信作を完成させたようだ。笑顔でそばにいるパティシエを見た。パティシエは笑顔になり、店主であるマダム・メルヘンのことを呼ぶ。
マダムはジェームズの薔薇の形のチョコレートを見て、拍手している。
きっと彼女はジェームズに、こう言っているはずだ。
「今日は一日、よく頑張ったわ。ジェームズ、あなたが作った薔薇の形のチョコレート。これを対価としてあげるわ。綺麗にラッピングもしましょう。やり方は教えてあげるわよ」
そしてクッキーやマジパンなどの沢山のお土産を持たせ、ジェームズを馬車に乗せてくれるだろう。
「あの少年は、薔薇の形のチョコレート、当然、女子にあげるのだろう?」
「そうだと思うわ。ジェームズが私に話しかけた時、チラチラ見ていた女の子がいたから。リックみたいな銀髪の、可愛い子だったわ」
「なるほど。子供は無邪気でいいな。想いのままに、渡せるのだから」
リックのこの言葉には「???」となる。
「リックだって、渡したい相手がいるなら、渡せばいいじゃない。去年は貴重な一つを私に使って。大損よ。そして王都中の令嬢が泣いたと思うわ。リックから『Heart-Giving Day』でチョコレートを貰えるかもしれないと考えた令嬢達が」
するとリックは「だからこそ、想いのままに渡せないだろう。大人の事情があるんだよ」と苦笑する。
「誰に渡したかと、騎士団の奴らは賭けをしている。わたしに探りも入れてくるんだ。キャシーに渡しただと、『ああ、あのフォード公爵夫人か』で皆、納得だろう? なにせ『Heart-Giving Day』の産みの親だから。ここでもしいずれかの令嬢に渡したとなったら……大変なことになる。絶対、騎士達の誰かが酔った勢いでその名を言ってしまい、迷惑をかけることになると思う。その令嬢に」
「それは……そうね。確かにそうだと思うわ」
「ということで」
そう言うとリックは小箱を取り出し、私に渡す。
「ああ、リック! また、あなた『Heart-Giving Day』を……」と言いかけて、今日はまだその日ではないと気が付く。でも話の流れだと、『Heart-Giving Day』用に渡したように思える。
前世の選挙のように。
期日前投票よろしく、『Heart-Giving Day』当日ではなく、渡すのはありなのかしら? なしなのかしら? 制定した本人であるけど、そこまで考えていなかった。
一方のリックは、私が考え込んでいることなどおかまいなしで、話を続ける。
「ラム酒も、ラム酒たっぷりチョコレートケーキも、旦那の公爵が手に入れてくれるだろう?」
「それは……まあ、そうね」
「だからこれはキャシー用だ」
指輪が入っているような小さな小箱。
多分、一粒チョコレートね。
「リック。今日はまだ『Heart-Giving Day』ではないわよ。だから私に渡したことは、ノーカウントでいいと思う。当日は誰か渡したい相手にあげればいいわ。それで表向きは、私に渡したってことにすればいいのよ。実際にほら、これ、貰っているのだから」
私がそう言うとリックは「そういう手もありましたか」と朗らかに笑う。
「まあ、キャシーがそんなこと、気にする必要はないよ」
リックが『マダム・メルヘン』の方をチラッと見た。
つられて私もそちらを見て、既にジェームズが店を出て、孤児院まで送り届けてもらっている最中だと理解する。
「さて。そろそろ出勤かな」
立ち上がったリックが、私の頭にぽすっと手を置き、微笑む。
「じゃあ、お先に失礼するよ。またな、キャシー」
リックを見送り、渡された小箱を開けると……。
「まあ、これは……」
一粒チョコレートかと思いきや!
一粒チョコレートをモチーフにしたイヤリング!
前世ではこういう遊び心のあるアイテムを見たことがあるが、この世界でこれは初めてだ。
リックったら、なかなかのセンスじゃない!
それにこれなら、チョコレートの形だけど、イヤリング。
つまりノーカウントよ。
何よりもまだ今日は『Heart-Giving Day』ではないのだから。
そう思い、小箱の蓋を閉めようとして気が付く。
蓋の裏側に一つだけ、錫箔で包まれたこれは……チョコレート!
もう、リックは! 今年も貴重な一つを私に……。
カフェを出て歩きながら、錫箔から取り出した丸いチョコレートを口に入れる。
リックのことだから、甘~い、甘~いチョコレートかと思いきや。
それはほろ苦く、そして少しだけ、甘いチョコレートだった。






















































