109話:届かない想い、です!
ヘッドバトラーとメイド長は、オーガストが出発するまで、慌ただしく過ごすことになった。
オーガストがボートに乗り込み、見送りが完了し、城へ戻った時。改めてキャサリン・ハートレーの姿がないことに、ヘッドバトラーとメイド長は気が付く。
すぐに意地悪な先輩メイド他、数名の使用人に彼女の捜索が命じられた。
メイド長もヘッドバトラーも、経験豊富だった。
行儀見習い時代は経験を積むため、複数の貴族の屋敷を渡り歩いた。
使用人の質=爵位に比例することは、経験で掴んでいる。
本当に裕福な高位貴族は、余裕があった。
それは懐具合もそうであるし、精神的にも。
よって使用人の質が高い。
さぼったり、悪事を働いたり、突然姿を消すこともなかった。
そしてこの古城の城主は王家。
雇われている使用人には面談とテストも課しているし、ほとんどが貴族の令息令嬢だった。
給金も高いし、ここでの経験は大いに役立つ。
よって急に姿を消す使用人には、この古城において、メイド長もヘッドバトラーも会ったことがなかった。
ゆえにキャサリン・ハートレーが見当たらないと聞いた時は、「もっとよくお探しなさい」と命じている。
だがオーガストが宮殿へ向け出発した日、その翌日、その翌々日に、ようやくキャサリン・ハートレーが姿を見せた時。メイド長とヘッドバトラーの彼女に対する評価は、地に落ちている。
折しもオーガストが宮殿へ向かい、使用人の数を減らすことになっていた。つまりは休暇扱いで、実家へ帰るなりしていい、ということ。休暇中の給金は半額で支給されるので、通常は選ばれると喜ばれる。
だがキャサリン・ハートレーは、メイドとして着任した時から「休暇はなくて構いません。私は住み込みで、ここでずっと働きたいです」と言っていたのだ。つまり普通なら喜ばれる休暇を、彼女は喜ばない。
それが分かっていたので、罰の意味合いを込め、メイド長はキャサリン・ハートレーに休暇を言い渡した。
「キャサリン・ハートレー。あなたに三カ月の休暇を命じます。復帰が決まったら連絡するので、滞在先の住所をこの紙に書き、身支度を整えなさい」
これを聞いた時、普段は従順なキャサリン・ハートレーが「メイド長、休暇はいりません。働かせてください」と縋りついた。するとメイド長は大きくため息をついてから、こう告げた。
「なぜ休暇を割り当てられたのか。分かっているはずです。事情も明かさず、無断欠勤を三日もしたのですよ。よく反省なさい」
意地悪なメイドの先輩について、なぜキャサリン・ハートレーは、メイド長に打ち明けないのか?
打ち明けても、休暇を割り当てられる=罰を受ける、この事実に変わりはないと彼女は考えていた。
オーガストから使用人たちは、23時以降に部屋から出ないようにと命じられている。それなのにキャサリン・ハートレーは抜け出していた。抜け出したことへの罰で、先輩メイド達から水をかけられたのだ。
水をかけたことは、行き過ぎた行為かもしれない。しかも勝手に罰を与えたのだ。よって話せばメイド長は、意地悪な先輩メイド達にも、罰を課したかもしれない。だが結局、キャサリン・ハートレー自身が罰を受けることに、変わりはないだろう。そもそもオーガストの命令に背いているのだから。
それに意地悪な先輩メイド達には、オーガストとの関係に気づかれてしまった。でもメイド長は気づいていない。平民と恋愛関係にあったなんて、公になっていいことではないのだ。それもあり、キャサリン・ハートレーはメイド長に、自身の事情を話せずにいた。
こんな状況に追い込まれたことを、キャサリン・ハートレー自身はどう考えていたのか。
彼女はこう考えていた。
意地悪なメイドの先輩達は悪知恵が働くと。
彼女たちは、キャサリン・ハートレーが23時以降に部屋から出たことを、メイド長に報告していない。そうすることでキャサリン・ハートレーが、彼女達から嫌がらせを受けたことを話せないと、考えていたのだ。自分からオーガストとの関係を、メイド長に話すわけがないと。そしてそれはまさにその通りだった。
こうしてキャサリン・ハートレーは休暇を取ることが決まり、なけなしの荷物をまとめることになる。本当に、持ち物が少なかった。トランク一つ分しかない。
その準備が終わった時、キャサリン・ハートレーは思い出す。手紙を渡すとオーガストが言っていたことを。
縁談話が浮上しており、そのために宮殿へオーガストは戻っていた。そのことに、少なからずキャサリン・ハートレーは、ショックを受けている。
その一方で、これで良かったとも思っていた。
何しろ身分的に結ばれるのは無理なのだから。
実際、別れ話を何度も切り出していたのだ。
それはまるでイソップ物語に登場する狐のように。
あの葡萄はきっとすっぱいから食べれなくて正解だと、狐が自身に言い聞かせたように。
オーガストが縁談話のために宮殿へ戻ったことを、キャサリン・ハートレーは受け入れようとしていた。その上でこう考える。
オーガストがその身分に相応しい相手と婚約するなら、それを祝うまでだ。よって彼が私へ書いてくれた手紙。それは最後の思い出だ。
そこでキャサリン・ハートレーは、図書室へ行くことを決める。そしてトランクを手に部屋を出た。
すると……。
書庫の扉の前で、あの意地悪なメイドの先輩達が待ち受けていた。キャサリン・ハートレーは先輩メイド達に、散々文句を言われる。
「しょっちゅう図書室にいたわよね? 殿下もよく利用している書庫で、あなたを見かけたこともあるわ。一体そこで何をしていたの? 好き勝手なことをしているわよね」
「それにサボってばかりなのに、今回、休暇を割り当てられるなんて。生意気よ、あなたは!」
「休暇をもらったのでしょう? いつまでもこんなところでウロウロしていないで、さっさとボートに乗りなさいよ」
どうしても書庫に入ることができない。
どこかに隠れ、彼女たちが図書室から去るのを待つ。
そうしたかったが、そうはいかない。
休暇を誰がとるかは発表されている。それにあわせ、ボートも手配されていた。
そう、そうなのだ。
キャサリン・ハートレーは結局、書庫の本に挟まれた手紙を見ることなく、古城を出た。さらに古城に戻っても、その手紙を見ることはない。
見ることはない……ではなく、見ることができなかったのだ。