ダンスレッスン
ある女性を助けた。
年末に近い時に偶然会った結婚式まで少しの女性が、街中で出会った幻獣の障りに困っていた時だ。
巨大な猿の幻獣、相手を死に陥れる呪いをかける、性格の悪い炎猿である。
ハストゥーレが混乱し存在自体に揺らがせた炎猿を芽依はきっと一生許さないだろう。
そんな事件の時に出会った女性、マリアージュ。
今回その女性に助けた対価を頂くためにご自宅にお邪魔するのだ。
手土産にとお重に入れた肉まんとあんまんを持ち、お馴染みの4人でお出かけである。
「…………いいのかなぁ、迷惑じゃないかなぁ」
「対価ですのでご主人様が御心をなさることはありません」
にっこり笑顔で腰を折り話してくれるハストゥーレをベール越しに見る。
少し伸びてきた黒髪を編み込んでリボンで止めている芽依の目元は相変わらず薄いベールが付けられていて移民の民独特の甘い香りを遮断している。
紙紐と結び方で香りを薄める効果を見つけたセルジオの功績は凄まじく、今では庭にいる時限定でベールを外すこともあるくらいだ。
移民の民の香りに疎いメディトークと、奴隷契約により芽依に不都合な事は出来ないフェンネルとハストゥーレだからこそ出来るのだが、たまにフェンネルが食べたいなぁ……と眺めたり、観察対象を見るために訪れるニアにうっかり会って、匂いに当てられたニアが血を欲しがり泣きそうな顔をする場面もあったが、ベールの無い視界良好な芽依はご機嫌である。
初めてベールの無い芽依を見たフェンネルとハストゥーレは顔を真っ赤にして暫く使い物にならなくなったり、メディトークに優しい眼差しを向けられて顔を撫でられ芽依が使い物にならなくなったりと珍事件もあったが、今では落ち着いている。
そんな芽依達がマリアージュの家に向かうのには理由があった。
助けられたマリアージュは芽依に対価を払う立場であり、普通はその内容を芽依が決めるのだが、メディトークが一切口を挟ませない勢いでマリアージュと話をして独断で決めた。
それは、ダンスレッスン。
夜会や舞踏会に向けたダンスレッスンであった。
「ああああぁぁぁぁ……本当にするのかぁ」
「ほら、もう目の前だよ」
「踊れる気がしない……」
項垂れながら言う芽依の足取りは少しずつ遅くなってきていて、そんな芽依の背中をメディトークが無遠慮に押しながら歩く。
「歩くー歩くってばぁぁ」
今月……いや、数ヶ月の芽依の予定はかなり入っていてあまり時間がとれない。
通常の庭の手入れにカテリーデンでの販売。
暫定食に、ミチルへのお見舞いにシュミットに時間をさく必要もある。
なにより、2月に向けての害獣対策。
これは庭壊滅の危機であるし、今復興の兆しが見えてきた今手を抜くわけにはいかないのだ。
3月にはガイウス領への追加物資に、ミカの相談にも乗っている。意外とする事が多いのだ。
だからこそ、こんな所でくすぶり時間を費やすわけには行かないのだ。
マリアージュにも時間を開けてもらっているし、なによりダンスレッスンは1日2日で終わるものでは無い。
こうして地獄のレッスンが開始するのだった。
「ようこそ、皆様。あの時は本当にありがとうございました」
「お久しぶりです、マリアージュさん」
お庭のあるグレーの素敵な一軒家、それがマリアージュの新居だった。
実家とは近く、何かあれば手助けしてくれるらしく彼女は充実した毎日を送っているらしい。
あの悲壮な表情は一切なく穏やかに微笑んでいる。
腕には小型犬程の毛並みフワフワな幻獣がいて、洗浄したばかりだろうかフローラルな香りをしている。
キュルンとした丸い目が可愛らしく、歓迎してくれているのかしっぽをブンブンと振っていて芽依はポワンと微笑む。
「次の夜会に向けて、でしたよね。ではそんなに時間はないかしら。私たち夫婦も出る予定なの、会場でもし困り事があったら是非声を掛けてくださいね。旦那さんが対応します。ね! 」
「……………………んん?! 」
笑って言ったマリアージュが抱いている幻獣に向かって言い、元気よくアン!と返事をする姿に目を丸くする。
「…………旦那様」
「ええ。あら、紹介がまだだったわ。この可愛らしい子型狼が私の伴侶なんです」
よろしくお願いいたします! と朗らかに言ったマリアージュに、メイは腕の中でブンブンとしっぽを振りご機嫌に頭を左右にユラユラしている子型狼を見た。
「………………お幸せそうで、大変喜ばしいですね」
返事に迷い、芽依はどうにかこうにか言葉を振り絞ったのだが、後ろからメディトークにこずかれた為及第点には及ばなかったようだ。
場所を移た先は、ダンスレッスンの場である。
マリアージュの綺麗な家の一室を解放したらしく、ガチャリと音を立てて扉を大きく開いたマリアージュに促されて入室する。
そこにはだだっ広い鏡張りの部屋だった。明らかに家の面積から逸脱している。
「じゃあ、さっそくレッスンしますか? 」
にっこり笑顔のマリアージュ。
確か彼女はお金があまり無いと言っていたが、とても立派な一軒家だと周りを見ていると、どうやら出資は旦那様らしい。
長生きな幻獣らしくお金はかなり蓄えていてマリアージュには満足いく生活をさせるのだと張り切ったらしい。
「なるほど、ダンスは初めてなんですね。では基本から始めましょう」
こうして始まったダンスレッスンは、姿勢からステップからと今までした事の無い体制で体を酷使した。
何かの罰ゲームだろうかと思われる程の鬼レッスンで、丸1日踊ったら既に体の力は入らず床にぺシャリと座り込んで歩けない。
聞けば、元々ダンス講師らしい。かなり一流の。
「私に任せてください、素晴らしいダンスが踊られるようにしてみせますからね!! 」
「……………………お手柔らかに」
既に靴擦れや足の底の皮がめくれ痛みに呻きながら答えたのだった。




