決定権は人外者
しとしとと降る雨。
薔薇園にもその雨は降り注いでいて、積もっていた雪を溶かしている。
ガゼボから見る雪が重なる薔薇園はとても神秘的で、降る雨が薔薇の花弁を揺らしている。
隣でペロンペロンと食事している蛟をちらりと見てみると、お腹なのだろうか、一部がポコンと飛び出している、満腹になってきたんだろうか。
「…………ちょっと見てくるね」
芽依の声に反応して顔を上げた蛟はチロチロと舌を出してシューシューと返事を返した。
霧雨に変わっている柔らかな雨は服がしっとりと湿らせていくが、その感覚すら気持ちいい。
霧雨を全身に受けていると、ふわりと先程まで感じていた優しい風が変わった気がした。
何が変わったとかは分からないのだが、何かが変わった感じがするのだ。
ふくよかな香がする薔薇たちから目を離して周りを見渡すが、芽依の視界の中を確認したが異変は見つけられなかった。
「……なんだったんだろう」
振り返ると、目を見開きこっちに来る蛟が大きくシャー!と鳴く。
なに?と首を傾げた時だった、芽依の体を何かが掴み、急激に上昇するその一瞬のふわりとした感覚に、え? と下を見たら地上は、はるか遠くにあった。
「な…………なに? なに?! 」
バタバタと手足を動かしたい所だが、落とされる可能性があるし、なにより体感したことも無い高さとスピードに体はガチガチに固まっていた。
芽依は震える唇で、何度も浅く早い呼吸をしながら周りを見ると、今は丁度シャリダンの上のようだ。
凄まじいスピードで移動しているのだろう、芽依はガチガチと歯を鳴らして恐怖を必死に逃がそうとしていた。
『…………メイ……メイが、連れていかれた』
残された蛟は呆然と呟いてから、はっと目を見開き領主館に戻って行った。
行先はアリステアの執務室で、芽依の状況を教えに行ったのだ。
こうして、芽依の連れ去られ事件が幕を開ける。
しかし縁とは不思議なもので、芽依は予想外な方法で助けられ領主館に戻されるのだった。
場所はシャリダンとガヤの近くにある森だった。
その中腹まで来た芽依を運ぶ何かは、途中で背中に芽依を乗せて、大きな羽を羽ばたかせて霧雨の降る空を飛んでいた。
掴む場所があまりなく、吹き飛ばされないように羽をしっかり握り締めてへばりつくしか方法がなく、かなりの恐怖を経験していた。
優雅に地面に降り立ったその何かは、鳥によく似た姿の幻獣で、ギュグゴゴゴ!と鳴きながらまた芽依を鷲掴んだ。
この鳥は、前側に短な足があり、後ろに長いあしがある。
歩行時は後ろ足だけで歩行しているようで、前の短い足で芽依を捕まえてノシノシと歩いている。
かなり大きく、芽依はこの時点で地面から2m程離れていた。
そして連れてこられたのは地面に直接作られた巨大な巣だった。
折り重なった木が屋根の役割をしているのか、他よりもあまり地面に雪がなく、この雪が降る冬の時期に何処から集めたのか小枝や木の葉で出来ていて、その半分には柔らかな布がかかっている。
小枝の部分には、数人の人間が身を寄せあって座っていて、布の方には大ぶりの卵が4つ置いてあった。
人間たちは震えて、何かに必死に話しかけてけているようだが、芽依には距離が遠く聞こえなかった。
しかし、この鳥のようなものには聞こえたのだろう、ギュグゴゴゴ!!と鳴き、芽依を掴んだまま走り出した。
「は……走るの? この、鳥……」
ガクンガクンと上下に揺さぶられていると、卵の真横に誰かが立っているのが霞んで見えた。
確かにさっきは居なかった人物だが、芽依から見えない場所にしゃがみこみ卵を見ていたようだ。
「…………うぅ」
「またお前か」
ガクガクと揺さぶられる芽依を見て喋ったのは卵の隣に立った男性で、最近聞いたばかりの呆れた声が芽依の耳に届く。
何とか顔を上げると、真っ白なステッキをくるりと回した所だった。
「…………シュ……ミット……さん……」
「…………はぁ」
がっくんと大きく揺れて、グギャァァァァ!!と叫ぶ鳥は、ズザザザザ……と大きな音を立てて走るスピードを殺せずに滑りながら転がった。
その際に、芽依は吹き飛ばされシュミットに片手で支えられる。
「相変わらずお前はよくよくトラブルに巻き込まれるな。なんだ、趣味か?」
「そんなアブノーマルな趣味は持ち合わせていません」
呆れたようにこちらを見るシュミットを見上げると、眉を上げておでこを指で弾かれた。
「あ! あの!! お知り合いの方ですか!? 助けて貰えるようにお願いして頂けませんか?! 」
巣穴に数人で固まっているうちの1人の男性が震えながら話す。
親鳥なのだろう地面にスライディングした鳥をチラチラ見ながら、その男性の服を何度も引っ張る青ざめ震える女性。
芽依と同じように連れて来られたのだろう、順当にいけばそこに並ぶ筈だった芽依は今、シュミットに子供のように抱き上げられている。
「……いまいち現状の把握が出来ていないんですけれど、今どういう状態なんですか? 」
「カンガディに連れてこられたんですよ、生まれるヒナの餌にする為に! 」
なんで知らないの? と一瞬眉を寄せながらも教えてくれた女性を見てから、隣にある卵を見る。
芽依の体の3分の2程の大きさの少し青味を帯びている白い卵だ。
「…………え、食べられるの? 」
顔を歪めて呟きシュミットを見上げると、卵を見つめて何かを確認している。
指でコンコンと軽くノックして音を聞いていると、芽依の視線に気付き顔を見た。
「えーっと、助けてください? 」
ぷるぷると震えて体を起こす鳥に男性はビクリと震えてシュミットを見る。
どうやら離れている時に何か話しかけていたのは、助けて欲しいとシュミットに言っていたようだ。
しかし、男性の話に聞く耳がないシュミットは、ただ卵を見ていただけだった。
「……何してるんです? 」
「こいつは今回の依頼品だ。2つ納品、だから選んでいた所だ……そうだな、これとこれだな」
指先で軽く触れると、その2つは一瞬で消えた。
それを見た鳥が怒り狂い叫ぶと、その場にいる人間も叫ぶ。
一切魔術を使おうとしない様子を見るかぎり、どうやら魔術が不得意なのだろう。
シュミットの方に行こうとしたが、見えない壁に遮られて近付けず、空中を手で叩く。
「……さて、今回の対価はなんだ? 」
そんな人間達に見向きもしないシュミットは口端を持ち上げて芽依を見る。
鳥の走る風圧に、ネイビーの髪を揺らしたシュミットの鮮やかな笑みに一瞬あてられながらも慌てて箱庭を出すと、シュミットは眉を持ち上げた。
そして、ステッキを軽く地面に叩きつけると、走ってくる鳥がビタン! と地面に倒れる。
まるで重量がかかっているように地面にめり込む鳥を見て、人間達は助かるのでは……とゴクリと喉を鳴らした。
「…………そうだな」
芽依の顔の横まで下がり箱庭を見るシュミット。
そんな横顔を見ると鋭い美しさが目の前にあって、危険な人物と言われたシュミットだったがその気質のせいか、やはり芽依に恐怖はない。
鳥が地面にめり込んでいるのをいい事に、シュミットはゆっくりと箱庭を眺める。
そして、作りかけの餡子で手が止まった。
「………………ごまあん?」
「あぁ、まだ途中なんだけどあんまん作る用の餡子です」
「……ほぉ、じゃあそれにするか」
「餡子?」
「いや、あんまんだ。出来たら俺の分をとっておけ」
「わかりました、箱で準備しておきます」
「……ああ、いい子だ」
指で軽く頬を撫でられた芽依は、パチクリと見つめたあと、人形のように数回頷いた。
それを満足そうに見た後、シュミットはもう一度地面を叩く。
「じゃあ、行くぞ」
「え? 鳥は?! 」
「それは知らんな、俺が必要なのは卵だけだ」
「でも! でも!! あの人達は? 」
「それこそ俺には関係ないだろう」
「…………え? 」
ぶん……と一瞬で芽依とシュミットは領主館の前に現れた。
呆然とシュミットを見上げると、眉をはね上げ芽依を見る。
「…………シュミットさん」
「あんまんはいつ頃出来るんだ?」
「……たぶん、来年になる。忙しいから」
「まあ、それが順当か。わかった、来年にでも来るから作っておけよ」
「………………うん」
歯切れ悪く返事をすると、シュミットは芽依の顎に手をかけて顔を上げさせた。
「何か言いたそうだな」
「…………どうして助けなかったんですか?」
「さっきのやつらか?」
「はい」
「助ける、俺が? 客でもないヤツをか? 」
冷たくなる眼差しを芽依に向ける。
今までの温かさすら感じていたシュミットの様子が変わり、まるで別人のようにも見えた。
危機に瀕した時、助けの手を伸ばしそれを当たり前のように握り返して貰っていた。
メディトークもフェンネルもハストゥーレも、アリステア達も当然のように。
しかしそれは、国に属しているからアリステア達が、芽依の関係者だからメディトーク達が当然のように助けてくれていたのだ。
この世界は等価交換で出来ていて、契約の上位にいきやすいのは人外者である。
だからこそ何かを助ける場合、人外者が等価交換や利益といった理由を前提にして差し出された手を握るのだ。
まるで知らないシュミットのテリトリーとも言える自宅に入った芽依を生きて返すと決めたのも、芽依の利益を鑑みた結果だ。
「………………そうか、そうだよね」
「納得したか」
ふん、と鼻で笑って芽依に背を向けたシュミットは静かに姿を消した。
その後すぐに、領主館の方から芽依を探す為の編成を組まれた騎士達がバタバタと走る足音が聞こえたが、芽依がそちらに顔を向けるのは少し経ってからだった。




